本日、金曜ロードSHOW!にて宮崎駿監督の大ヒット映画『千と千尋の神隠し』が放送されます。本作は2001年に公開されるや308億円という前人未到の凄まじい興行収入を叩き出し、日本映画として歴代ナンバーワンの記録を樹立しました。
そんな『千と千尋』と、現在232億円という好成績で後を追いかけている『君の名は。』との間に、共通点があるのをご存知でしょうか?『君の名は。』の監督は新海誠さんですが、作画監督はどちらのアニメも安藤雅司さんが担当しているのですよ。
安藤雅司さんといえば、1990年にスタジオジブリに入社して以来、宮崎駿も認める凄腕アニメーターとして数々のジブリ作品に参加。『On Your Mark』で初めて作画監督を任され、続く『もののけ姫』でも作画監督としてその類稀なる才能を存分に発揮していました。
しかし、『もののけ姫』の作業が終わると、安藤さんは鈴木敏夫プロデューサーのところへ行って「辞めさせてください」と申し出たそうです。驚いて理由を尋ねると、「宮崎監督のアニメーションのスタイルは、自分が理想としているものとは違う。他のスタジオへ行って自分のやり方を試してみたい」とのこと。
でも、鈴木さんとしては彼のような優れた人材を、簡単に失うわけにはいきません。そこで安藤さんを引き留めるために、「『もののけ姫』では宮崎駿が全てを指揮していたが、次回作では君のやり方でやっていい」と約束したのです。
こうして安藤さんは、ジブリに残って『千と千尋の神隠し』の作画監督をやろうと決意しました。しかし、それは同時にベテラン・アニメーター:宮崎駿との、熾烈な戦いの幕開けでもあったのです。なぜなら、宮崎さんのやり方は映像のインパクトを優先するため、正確なデッサンをわざと狂わせたり、時にはキャラクターの背の高ささえ場面によってコロコロ変えるなど、まさに自由自在。
それに対して安藤さんは、完璧に正確なデッサンやリアルな動きなど、自分が考える”正しいアニメーション”を目指していたからです。つまり宮崎監督の方向性とは真っ向からぶつかるわけで、宮崎さんが修正したカットと安藤さんが修正したカットには、明らかな違いが見受けられました。
最初のうちは宮崎さんも我慢して、安藤さんのやり方を受け入れようとしたものの、やがて我慢が出来なくなったのか、途中からどんどん”宮崎色”が強くなり、最終的にはいつもの「宮崎アニメ」に戻ってしまったらしい。
そんな安藤さんは『千と千尋の神隠し』の作業中、どんな心境だったのでしょうか?スタジオジブリを辞めた後、元ジブリのスタッフ達と対談した会話が面白かったので、一部を抜粋してみます。
吉田健一:絵柄も含めて(宮崎さんに)抵抗しているし、それによって画面に出てくる印象を変えたいっていう安藤さんの気持ちは感じていました。だから劇場に観に行った時は、やっぱり、ものすごい闘いの跡が見えましたね(笑)。千尋が最初の方で、ワーッて階段を降りていって、ベターンってなるところ。あそこはやっぱり、あの作品の岐路だったかなって気がする。その前までの千尋は、もうそれこそ一生懸命やってるんですよ。いや、あそこで変わるっていうのも、最終的に計算に入ってたと思うんだけど。
安藤雅司:いや、計算は全然入ってなかった。
吉田:入ってなかったんだ(笑)。そのあともチマチマ変わってるし。
安藤:というか、そういうストーリーだと最初から解っていれば、見せ方も違ったんじゃないかな。
吉田:ああ、宮崎さんがどんどん絵コンテを新しく出してくるから。あの絵コンテが上がってきた時は、ビックリしたでしょう?
安藤:「階段を千尋がゆっくり降りてきて…」っていう話を宮崎さんに聞かされて。それは、少女の心情として、非常にいい表現だなと思ったんですよ。そしたら宮崎さんが、「いや、一方では愚図な千尋を動かすための誘惑として、踏み板を外してダダダーって走らせてしまおうか、とも思っちゃったりするんだよね」みたいなことを、演出助手に言ってるんですよね(笑)。演出助手がまた、そういうのが好きでね。「いいですね、いいですね!」って。そして、次に上がってきた絵コンテを見たら、階段を踏み外して一気に駆け降りていくものになってて(笑)。
吉田:壁に貼りつきますからね、ベターンって(笑)。
安藤:それでも、まだ軌道修正しながらやっていけばいいかと思ってたんだけど、徐々に、一方向にしかシフトしていかないような作品になっていったんで、苦しかったんですよ。最初は、そうじゃない作品を作るんだっていう思いがあったから。
僕には、千尋という少女を可愛くしないっていうことが、ものすごい挑戦だと思えたんですよ。というのは、アニメーションで「普通の少女を描きます」と言ったって、実際に出てくるものは、たいがい可愛く描かれているじゃないですか。「普通の少女」と言いながら、見てくれが可愛い。性格的にどんなに普通の少女だと言い張っても、見てくれが可愛いから、見る側はどうしても少女を「可愛い女の子」として見てしまう。ひねくれた言い方をしたら、「ヒロインは可愛いというアニメの常識」に沿った見方になってしまう、そんな感じだと思うんです。それをちょっと突き放すということなんですよ。言ってみれば、見てくれを可愛くしないというのは、本当に「普通の少女」を描くという、大きな挑戦だと思ってたんです。違いましたけどね(笑)。
吉田:いやあ、でもやっぱり無理ですよ。というか、それをやるんだったらすごく太らせるとかね。本当に見た目もブサイクに変えないと。アニメって結局そういうものですよ。そういう演出は、今敏さんの方がやるんじゃない?例えば『東京ゴッドファーザーズ』だと、あの主人公の女の子、割と可愛いじゃないですか?けれど、過去のシーンになるとすごく太ってる。安藤さんはああいう方が好きってこと?
安藤:いやいや、そういうわけじゃなくて。ブサイクでも、時間とともに本人なりの頑張りみたいなものが見えていって、切り替わった時に、同じ造形なんだけど、なんか行動に対して愛嬌が滲み出ている。行動にというか、想いに対してって言うべきなのかな。
(中略)
だから、ブサイクな女の子を描きたいというんだったら、本当にブサイクに描くしかない。普通の女の子を描くんだったら、普通の部分っていうものを、本当にバランス良く普通に描いちゃうと、結局「可愛い」という方向にしか行かないんじゃないかって。「マイナス面をいかに強く出すかということをしないと、普通の女の子になってくれないというのがアニメーションの特性だね」っていうような話をしていて。
つまり僕の『千と千尋』に対しての反省点というのは、「千尋をブサイクな顔に描けなかった」ことではなくて、「最初から可愛く描いときゃ良かった」っていう。そっちの方がね、あの内容としては合っていたんじゃないかなって。千尋がふてくされていても、設定として可愛くない必要はないんですよ。ふてくされている、という状況があればいいんですからね。
(「宮崎駿の世界―クリエイターズ・ファイル」より)
というわけで、『千と千尋の神隠し』を制作中の安藤さんはどんな心境だったのか、本人が詳しく語っているんですけど、かなり悩んでいたみたいですねえ(^_^;)
基本的に「アニメのヒロインといえば美少女」というのが世間のお約束となっていて、それは宮崎アニメと言えども例外ではありません。しかし、安藤さんはそういう風潮を覆すために、従来の「宮崎アニメ型美少女」からの脱却を図り、敢えて「普通の女の子」または「ちょいブサイクな女の子」を描こうと試みました。
そのため、『千と千尋の神隠し』での安藤さんは、”宮崎監督の描く千尋”にずっと抵抗を示し続け、宮崎監督が描いた絵の上に紙を乗せて修正を繰り返していましたが、その戦いは熾烈を極め、精神的にも肉体的にも限界までストレスをかけ続けた結果、作業が終わった時には髪の毛が全部抜け落ちていたそうです。恐ろしや!