現在、全国の劇場で爆発的な大ヒットを飛ばしている新海誠監督の新作アニメ『君の名は。』が、22日までに観客動員数774万人、公開後わずか28日間で興行収入が100億円を突破したそうだ。日本のアニメでは、宮崎駿監督の作品以外で100億円を超えたのは史上初。邦画全体のランキングでも、現時点で歴代9位に食い込んでおり、大変な快挙と言えるだろう。
さらに、新海監督が手掛けた同名小説も発行部数100万部を突破し、映画に登場する場所に多数のファンが押し寄せる“聖地巡礼”など、『君の名は。』を取り巻く環境は今や完全に社会現象と化している。しかも興行成績の増加ペースが2001年の『千と千尋の神隠し』を上回る勢いで推移していることから、「『千と千尋』を抜くのではないか?」との噂まで出ているらしい。
ちなみに、100億円を超えたアニメ映画で、宮崎駿監督作品以外のものと言えば、『アナと雪の女王』(255億円)、『ファインディング・ニモ』(110億円)、『トイ・ストーリー3』(108億円)の3本だけ。あとは全部、宮崎アニメで占められている。このゾーンへ新海誠監督が参入してくるわけだから、改めて考えてみると凄い話だよなあ。
しかしながら、『君の名は。』を観るまでに新海監督のことを知っていた観客は、どれぐらいいるのだろうか?アニメーション作家としての新海誠は、もちろん以前から多くのファンに知られていたが、ここまで爆発的に知名度が上がる事態は想定していなかっただろう。恐らく、「『君の名は。』で初めて知った」という観客が大半じゃないだろうか?
というわけで本日は、新海監督がまだ会社員時代に作った自主制作アニメ『彼女と彼女の猫』(2000年)から、最新作の『君の名は。』に至るまでの16年間に制作したアニメーション作品(主に劇場で公開されたもの)について、その変遷をざっくりと振り返ってみたい。『君の名は。』の大ヒットが、”ある種の必然”だったことが分かると思う。
●『彼女と彼女の猫』(2000年)
新海誠監督の名前が広く知られるきっかけになったのは『ほしのこえ』に違いない。だが、その前に作った自主制作アニメ『彼女と彼女の猫』の時点で、その実力はすでに認められていたという。新海作品の原点となるこの作品は、彼がまだゲーム会社に勤めていた時に作られたものだ。
アマチュアとはいえ、その評価は当時から非常に高く、第12回CGアニメコンテストでグランプリを受賞するなど、他のアマチュア作家を圧倒していたのである。この作品に最初に目を付けたのが、短編映画専門館「下北沢トリウッド」の代表を務める大槻貴宏氏だった。
初めて『彼女と彼女の猫』を観た大槻氏は、「こんなに凄いアニメーションを個人で制作できるのか!」と驚き、トリウッドでの上映を決定。こうして新海誠の存在が世に知られるようになった。今、『彼女と彼女の猫』を改めて観てみると、緻密で美しい背景美術、リアリスティックな日常描写、天門による音楽、印象的なモノローグなど、後の新海作品に見られる特徴がいくつも入っていることが分かる。
実は本作を作っていた頃、新海監督は「このままゲーム会社の社員を続けるべきなのか?」と真剣に悩んでいたそうだ。しかし、どうしても「自分のアニメを作りたい!」という気持ちを抑えることが出来ず、「突き動かされるような初期衝動を、そのままこの作品にぶつけた」という。まさに、アニメーションに対する彼の想いが詰まった入魂の一作!ここから”新海誠伝説”は始まったのだ。
●『ほしのこえ』(2002年)
『彼女と彼女の猫』でその存在を知られるようになったものの、まだまだコアなユーザーにしか認知されていなかった新海誠を、一躍有名にしたのが『ほしのこえ』である。この作品がどれほど世間に驚きと感動と衝撃を与えたかについては、先日、当ブログでも詳しく書いたので、未読の方はぜひお読みいただきたい。
そして短編映画『ほしのこえ』では、前作で評価の高かった背景美術や音楽や日常描写に加え、「美しいライティング効果」と「思春期の男女」という、後の新海誠作品における重要な要素がほぼ全て出揃っている。すなわち本作は、”新海スタイル”が確立した記念碑的作品なのだ。
しかし、『ほしのこえ』が話題になったことで、ある”問題”が発生する。多くの人々の注目を集めるということは、同時に多くの批判にさらされることでもあるからだ。そして、これ以降の新海誠は長い”迷走状態”に入っていく。
●『雲のむこう、約束の場所』(2004年)
本作は新海監督にとって初の劇場用長編アニメーションであり、公開規模も全国スケールにアップした大作映画だ。そのスケールに合わせるかのように、技術的にも内容的にも大幅に進化している。
だが前作『ほしのこえ』の公開後、「制服姿の女子中学生が巨大ロボに乗って戦うなんてリアリティがない」とか、「登場人物が二人しか出ていないので、世界がどうなっているのか全く分からない」とか、「雰囲気だけでストーリー性がない」など、様々な批判が殺到したことで新海監督は悩んだらしい。
そして『雲のむこう、約束の場所』では、これらの批判を真摯に受け止め、「ダメだ」と言われた部分を修正しようと試みているのだ。物語に起伏をつけてストーリー性を強化し、登場人物を増やし、SF設定も真面目に考証するなど、ひたすら誠実に対応している。
ただ、その結果『ほしのこえ』よりもいい映画になったのか?と言われれば、ちょっと微妙な感じに…。ストーリーが長く複雑になった分だけ冗長な語り口が目に付き、構成力の弱さが露呈してしまったのだ。新海自身も「自分としては稚拙さが目立つ作品。特に、物語面での手付きの危うさばかりが気になってしまう」と辛口にコメントしている。
しかし、『雲のむこう、約束の場所』で満足な結果を得られなかったことが、逆に自分の弱点に気付くきっかけとなり、以降の新海監督をさらなる高みへとレベルアップさせていく。そういう意味では、とても重要な作品と言えるだろう。
●『秒速5センチメートル』(2007年)
前作から3年後、満を持して制作された本作。長編1本ではなく、初心に帰って(?)短編3本で構成(「桜花抄」・「コスモナウト」・「秒速5センチメートル」)されているのがポイントだ。
この映画について新海監督は、「『雲のむこう、約束の場所』を思うように作れなかったという気持ちをずっと引きずっていて、もっとコンパクトに、短い作品をちゃんと作ろうと思った」と語っている。
その言葉通り、短編の良さを生かした秀作に仕上がっており、ファンの評価も高いようだ。中でも、以前から特徴的だった背景描写は凄まじい進化を遂げており、アニメーション表現の限界を極めるかのような緻密さを実現している。
しかし、ここまで完成度の高い作品を作っても、新海監督の中ではまだ納得し切れない部分があったようだ。以下、本作を自己批判する新海監督のコメントより↓
『秒速5センチメートル』は、作った後で自分で小説版を書いたんですが、それはやっぱり、観客の反応に対する”言い訳”という側面がどこかにあったんです。作品を観て「ショックだった」という声に対するアンサーでもあった。「ショック」ということはその人の心を動かしたということでもあるので、作り手としては喜ぶべきなんだけど、ちゃんとした意図が伝わらなかったのは、技術が足りないからだ、という気持ちもあったんです。 「アニメスタイル004」のインタビューより
「自分の意図が正しく伝わらなかった」という点を反省した新海監督は、「次回作ではもっと分かりやすく、伝わりやすくしよう!」と心に誓った。その結果、今度は”別の批判”に晒されることになる。こうして迷走状態はまだまだ続くことに…。
●『星を追う子ども』(2011年)
この映画が公開された時の世間の反応、それは「ジブリのパクリじゃねえか!」というものだった。確かに、キャラクターデザイン、設定、動き、レイアウト、内容全般に至るまで、ジブリ作品と似ている部分は多いかもしれない。また、新海監督自身も「宮崎駿の絵コンテを参考にした」と認めているので、影響を受けていることは間違いないだろう。
ただしそれは、『秒速5センチメートル』の時に気付いた「意図が正しく伝わらない」という欠点を補うための手段の一つであり、「普遍的な物語構造にストーリーを落とし込む」という手法と同じく、あくまでも「絵柄を馴染みやすいものに変える」という手法を選択しただけなのだ。
新海監督によると、『星を追う子ども』はジブリ作品に似ているというより、東映アニメーションや世界名作劇場のように、「昔から連綿と受け継がれてきた、日本のアニメの典型的な一つの形である」とのこと。そして、この馴染みやすい絵柄を使うことで、より多くの人に抵抗なく受け入れてもらえるのではないか?と考えたらしい。
こうした新海監督のアイデアは、実際にかなりの効果を上げたようで、今までは男性ファンが多かったのに、本作から10〜20代の女性の観客が大幅に増えたという。しかしその一方で、強い拒否反応を示すユーザーも数多く現れ、特に旧来のファンから「これは少なくとも自分が観たい新海作品ではない」「オリジナリティがない」などの厳しい意見も寄せられたそうだ。
これらの批判に対して新海監督は、「僕のオリジナリティと言われても、そんなの意識したこともなかったのに…」と非常に困惑したらしい。後に新海自身は『星を追う子ども』に関して、「お客さんとの関係性をより慎重に、より真剣に考える、その契機になった作品」と振り返っている。こうして再び迷走状態に陥っていくのであった。
●『言の葉の庭』(2013年)
『星を追う子ども』で、「分かりやすくて馴染みやすい、万人が楽しめる普遍的な娯楽映画を作りたい」と考え、実際に一定の成果は達成できたものの、新海誠は納得していなかった。新しい顧客は獲得できたが、古いファンからは否定されたからだ。
そこで次回作『言の葉の庭』を作る際には、「言い訳をしなくてすむ作品にしよう」と決意。「アニメ好きじゃない人に対して、アニメだからっていう言い訳をしなくてすむものにしたかったし、アニメ好きの人が観ても、いわゆる作家性の強い作品だから、みたいな言い訳を立てなくても、単純にドラマとして楽しめるものにしたかった」とのこと。
内容に関しては、「15歳の主人公と27歳のヒロイン」という時点でこれまでの新海作品とは一線を画しており、大人の観客が観ても楽しめる、成熟したラブストーリーとして非常に完成度は高い。長編ではなく、敢えて46分の中編にしたのも、「コンパクトにすることで”これならば絶対間違いない”と確信できるレベルまで質を高めるため」だったとか。
そして新海監督によると、「この映画は『彼女と彼女の猫』の語り直し」だという。2つの作品に共通して出て来る”大人の女性”というモチーフは、27歳の新海誠自身でもあるらしい。実は『彼女と彼女の猫』を作った時の新海も27歳で、この時期の自分をもう一度きちんと語りたかった、という気持ちがあったそうだ。
なお、本作はキャラの塗り分けが独特で、通常の「ノーマル色」と「影色」に加えて「反射色」という色が入っている。これはハイライトの一種で、「周囲の環境色が光に照らされ、キャラに映り込んでいる」という設定だ(なので、緑が多い場所に立つとキャラに緑色が反射する)。
一般的なアニメ作品ではあまり見られない表現だが、『言の葉の庭』のルックスを印象付ける特徴の一つとして機能している。また、背景美術のクオリティも相変わらず素晴らしく、特に「水」の表現におけるディテールの緻密さが熾烈を極め、その圧倒的な映像美は「本作で一つの頂点に達した」と言っても過言ではないだろう。
結果、『言の葉の庭』は大ヒットを記録し、新海作品史上最大の興行収入(当時)を叩き出した。新海監督も、「優れたアニメーターや背景美術、音楽等の力もあって、今でも強度がある作品だと思う」と満足しているらしい。こうして長年の迷走状態を脱出し、ようやく自分自身が納得できる作品が完成したのだった。
●『Z会CM(クロスロード)』(2014年)
前作の『言の葉の庭』を作って「はっきりとした手応えを感じた」と語る新海監督は、次回作までに何本かのコマーシャル映像(大成建設等)を手掛けている。その中の一つがZ会の企業CMだった。
「離島(田舎)で暮らす少女と東京で暮らす少年が、ふとしたきっかけで偶然出会う」という、まさに『君の名は。』の原型とでも言うべきショート・ストーリーで、さらにキャラクターデザインが『君の名は。』の田中将賀。これは完全に『君の名は。』のプロトタイプじゃないか!?
事実、新海自身もこの2分間のCMに長編作品の可能性を見出し、「まだ会ったことはないけれど、この先出会うべき運命にある二人というモチーフは、アニメーション映画としてもキャッチーだし、これまで自分がやってきたことの総決算的な内容にも成り得る」と考え、『君の名は。』の企画書を書いたという。
こうして、わずか120秒のCMをベースに、『君の名は。』の企画がスタートした。ただ、それだけでは長編映画にならないので、男女が夢の中で入れ替わるとか、1200年に一度地球に彗星が来訪するとか、色々なシチュエーションを詰め込んで、劇場用アニメーションとしてのスケールを補強していったのである。
●『君の名は。』(2016年)
『クロスロード』のCMをもとに作られることになった『君の名は。』には、錚々たるスタッフが集結した。キャラクターデザインを担当する田中将賀は、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』や『心が叫びたがってるんだ』などのヒット作を手掛けた人気アニメーターである。
新海監督との接点が生まれたのは、『言の葉の庭』と劇場版『あの花』の公開が重なった際、『あの花』の長井龍雪監督と対談する機会があり(雑誌『Cut』2013年7月号)、その後に開かれた食事会に田中将賀が同席したことがきっかけだという。
『クロスロード』を一緒に作ったことで、田中氏も新海監督も「次は長編を作りたい」という気持ちが芽生えていたらしい。だが、ちょうどその頃、田中氏は『心が叫びたがってるんだ』の仕事が重なっていたため、「しっかり作品に関われないのは申し訳ないので…」と断っていたそうだ。
しかし、新海監督から「どうしても田中さんのデザインでアニメを作りたいんです!」と熱望され、「そこまで仰っていただけるのであれば…」と引き受けることを決意。とはいえ、作画監督を誰にやってもらうか決まらないまま、キャラクターデザインだけ進めることに不安もあったという。
ところが、作画監督を探すうちに突然「安藤雅司」の名前が浮上したのだ。安藤雅司といえば、1990年にスタジオジブリに入社して以来、『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』などの作画監督として優れた手腕を発揮し、『東京ゴッドファーザーズ』、『パプリカ』、『ももへの手紙』、『思い出のマーニー』などでも作監を務めたベテランアニメーターである。
それを聞いた田中将賀はビックリ仰天!なんせ、安藤雅司の実力は同業のアニメーターでさえ驚愕するほどの超絶スキルであり、しかも売れっ子だから仕事が忙しすぎて引き受けてくれないだろうと諦めていたからだ。なので最初は「えええ!?本当に?断られるんじゃないの?」と半信半疑だったらしい。
だが、あれよあれよと言う間に話が決まり、本格的に参加してもらえそうだということが分かると大喜び!「まさか安藤さんに僕のキャラクターを描いていただける日が来るとは、思ってもいませんでした。僕にとって安藤さんは、それこそ雲の上にいるような存在ですから。本当に光栄です!」と大興奮していたという。
一方、安藤雅司はどうして『君の名は。』の仕事を引き受けたのか?本人によると、「田中さんのキャラクターはアニメーション的な華がある。それに対して僕がこれまで携わってきたのは、どちらかと言えば地味な感じで(笑)。だから、田中さんの魅力的なキャラクターを自分が動かしたら、どんなアニメーションになるんだろう?と興味が湧いたんです。あとは、『君の名は。』の企画を拝見して、単純に面白そうだと感じたことが大きかったですね」とのこと。
こうして二人の凄腕アニメーターが揃ったわけだが、凄いのはそれだけではない。なんと、この二人以外にも黄瀬和哉、沖浦啓之、松本憲生、橋本敬史、稲村武志、田中敦子、賀川愛、中村悟など、日本を代表するスーパーアニメーターが続々と集結!そのおかげで作画のクオリティが信じられないほどアップしているのだ。
例えば、沖浦啓之などは『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』や『イノセンス』の作画監督として圧倒的な画力を見せつけ、「業界で最も巧いアニメーター」と称されるほどの逸材なのだが、『君の名は。』ではクライマックスの「三葉が走って転んでしまうシーン」を担当している。
特に目立つシチエーションではないものの、この場面を観た新海監督が、「絵コンテ通りなのに、想定よりも何倍もエモーショナルなシーンになっていて、ちょっと単純にビビりました(笑)」と驚くぐらい、ドラマチックで印象的な映像に仕上がっているのだ。
他にも、黄瀬和哉は『機動警察パトレイバーThe Movie』や『エヴァンゲリオン新劇場版:序』などの作画監督を務め、松本憲生は『NARUTO』や『鉄腕バーディ』などで流れるようなアクションを披露し、橋本敬史は炎や煙などを得意とするエフェクト作監、田中敦子は『ルパン三世 カリオストロの城』で「ルパンが屋根を駆け下りて大ジャンプするシーン」を描いたベテラン原画マンだ。
このようなトップアニメーターばかりが参加したことで、『君の名は。』は今までの新海作品とは比べ物にならないほどの高いレベルへ到達できたのだと思う。なぜなら、過去の新海作品は作画が弱かったからだ。もともと新海監督は、『ほしのこえ』の頃まで作画も自分で担当していたが、アニメーターではないので絵は上手くない。
しかし、それでもアニメを作りたいと考えた新海誠は、「作画に頼らない演出方法」を編み出した。それが、作画以外のものをフル活用して作った『ほしのこえ』であり、「圧倒的に綺麗な背景描写」などの技法を駆使することで作画の弱さをカバーし、同時に以降の新海作品の方向性を決定付ける特徴にもなったわけだ。このため、背景に比べると作画に関してはあまりこだわりを見せず、基本的にはアニメーターや作画監督にまかせっぱなしのスタンスだったらしい。
だが、アニメーションにおけるアニメーターとは、実写映画における役者みたいなもので、役者の演技力でシーンの優劣が決まってしまうのと同じように、アニメーターの技量によって作画のレベルは大きく左右されてしまう(特にアニメマニアの間では「新海作品は作画がイマイチ」と思われていたらしい)。
ところが、今回優秀なアニメーターが大量に参加したことで、こうした弱点がほぼ解消された。それぞれのキャラクターが実に生き生きと、魅力的に画面内を動き回っているのだ。もちろん、シナリオが良く出来ていることもあるのだろうが、やはりトップアニメーターが描いた丁寧な芝居が効果を発揮していることは疑う余地がない。
そして今回、観客の感情をさらに揺さぶっているのがRADWIMPSの主題歌だ。もともと新海作品の特徴として、音楽を効果的に使うことが知られていたが、それは新海監督がゲーム会社で働いていたことと関係があるらしい。以下、音楽について語ったインタビューより↓
僕はゲーム会社の出身で、映像を作り始めたのもゲームのオープニング映像を作るためでした。なので、どちらかというとPV監督の立ち位置に近かったのかなと思うんです。つまり、始まりが音楽演出だったし、そこが自分の主戦場というか、得意分野であるという自覚は昔からあったんですね。ですから、よく「演出がPV的だ」と揶揄されることもあるんですが(笑)、それは意図的なものであって、そこにしか生じない快感も絶対にあるはずなんです。『秒速5センチメートル』のときも耳馴染みのある曲を使わせてもらえば、勝算が立つと思いましたし、音楽がかかる瞬間は作品の中でも見せ場だと、毎回大事にしています。 「キネマ旬報2016年夏の増刊号」より
この言葉通り、『君の名は。』ではRADWIMPSの主題歌が4曲もかかるという、通常の映画の楽曲とは少々異なる過剰な使い方になっていて、確かに「PV的だ」と言えなくもない(笑)。しかし、今回はシナリオに合わせて音楽を作ったり、音楽に合わせて絵コンテを描き直すなど、映像と音楽のマッチングを1年以上もかけて調整したという。だからこそ、ドラマと楽曲の相乗効果で観客のテンションが大いに盛り上がったのだろう。
なお、下北沢トリウッドの大槻貴宏氏は『君の名は。』を観て、「『前前前世』が流れてからのシークエンスは、RADWIMPSの軽快な音楽と、特徴である“実写より美しい風景画”を見せるシーンと、物語を見せていくシーンとのミックスがすごくうまくいっていたと思います。だから多くの方に響いたのでしょう」と分析している。まさにその通りだ。
というわけで、新海誠監督の過去作品を16年分振り返ってみたんだけど、「作品を発表する」 → 「観客から批判される」 → 「次回作で修正する」 → 「また批判される」というサイクルをずっと繰り返していたことが判明して驚きを隠せない。どんだけ真面目な人なんだ?と(笑)。
不思議なのは、インディーズの作家ならもっと自分のスタイルにこだわりを持ってもいいはずなのに、新海監督の場合は観客の反応をいちいち気にして、自分の作風を次々と変えていっていることだ。これは、個性を重視する映像作家としてはかなり珍しいんじゃないだろうか?
さらに今回、細田守監督『バケモノの子』など数々の大ヒット映画を手掛けたことで知られる敏腕プロデューサーの川村元気氏が制作に関わり、脚本の段階からかなり綿密な打ち合わせを重ねていたらしい。『君の名は。』のストーリーも当初は「無事に過去を変えることが出来て、それぞれのキャラクターが平穏な日常へ戻っていく」という場面で終わっていたとのこと。
しかし、その脚本を読んだ川村プロデューサーが、「この物語は本当にここで終わっていいのか?」と何度も問いかけてきたそうだ。一見すると作家に自分の考えを押し付けているようにも見えるが、川村氏は「”ああしろこうしろ”と指示するのではなく、あくまでも作家の本音を引き出すのがポイント。新海監督がやりたいことを最も効果的な形で実現する、それがプロデューサーとしての僕の仕事だと思ってますから」とコメントしている。
こうした川村プロデューサーの意見に対し、新海監督は「ラストの展開は僕としてはもっと現実的な結末に収めるつもりでいたんです。でも川村さんたちの意見を聞いているうちに、”もう少し先があるのかも…”というのがぼんやり見えてきて、一生懸命答えを探すうちにあのラストが見つかった。”ああ、やっぱり先があったんだ”と。そうやって辿り着いたのが、今回の物語なんです」と最初の構想から大きく変化したことを認めている。
アニメを作り始めてから16年、かなりの紆余曲折もあったようだが、こうした試行錯誤の連続でどんどん観客の数を増やしていき、ついに最新作の『君の名は。』で100億円を突破したのだから、やはり「凄い!」としかいいようがない。もしかしたら、常に観客の反応を意識し、自分の作品に毎回改良を加えてきた新海監督にとって、今回の大ヒットはある種の必然だったのかもしれないし、「一人でも多くのお客さんに楽しんでもらいたい」という気持ちが何よりも強かったのかもしれない。
いずれにしても、『君の名は。』はインディペンデントの個人制作アニメからメジャーに至る過渡期の作品として、今後も新海誠のフィルモグラフィーの中で特別な意味を持ち続けることは間違いないだろう。
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