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「え?ハリー・ポッター観たことないの?」って責めるのやめて

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昨日、金曜ロードSHOW!で『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』が放送されました。さらに来週も再来週も、なんと4週連続でハリー・ポッターが放送されるそうです。「なぜこの時期に?」と思ったら、新シリーズの『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』が公開されるからなんですね(11月23日の公開予定日までかなり間がありますが)。まあ、ファンの人にとっては毎週ハリー・ポッターが観られるわけで、非常にラッキーなんでしょう。

ところで皆さん、『ハリー・ポッター』シリーズって全部観てます?いや、もちろん観てない人もいるはずだし、普段映画を観ない人は、どんなに世間で話題になっても観ないでしょうから、普通なら「観てなくてもべつにいいじゃん」で済む話だと思うんですよね。

ただ、僕みたいに普段から映画についてあれこれ発言したり、「1年で365本映画観てます」的なブログを運営している人間にとっては、「有名な映画ぐらいは観ていて当然」というか、むしろ「観てない映画があったら恥ずかしい」みたいな気持ちがあるわけですよ。

そして、映画ファンに対する世間のイメージも「当然観てるよな?」っていう、完全に”観ていることが前提”のテンションで来るから辛い。うっかり「観てません」などと言おうものなら、「ウソでしょ?どうして観ないの?」「この世にそんな人がいたなんて…」「観ない理由を教えて!」「まさか監督に身内を殺されたのか?」など、犯罪者を責め立てるかのような凄まじい勢いで追及されるわけです。

こういう風潮は、『ハリー・ポッター』だけに限りません。『アナと雪の女王』とか『スター・ウォーズ』とか『タイタニック』とか、有名な映画であればあるほど、そして”映画ファン”を自称している人ほど、「え?あの名作を観たことないの?」と言われるのが怖くて仕方がないんですよ。映画ファンである自分を全否定されそうで…

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正直、これは非常にキツい。

しかし、そんな状況の中で敢えて白状しますとですね、

実は僕……、『ハリー・ポッター』シリーズを観てません(T_T)

正確に言うと、1作目の『賢者の石』は劇場で観たんですが、どうも今ひとつ乗り切れなくて、途中で寝てしまいまして。2作目の『秘密の部屋』はDVDを借りて観ていたら、これまた途中で脱落。3作目の『アズカバンの囚人』は、もはや観る気も無かったんですけど、たまたまテレビでやってた時にチラ観して、でも結局最後まで持たずにチャンネルを変えました。

で、4作目の『炎のゴブレット』の時、「このままじゃダメだ!逃げちゃダメだ!」と自らを奮い立たせ、再度劇場での観賞にチャレンジ。見事に最後まで完走しました(威張って言うことじゃないですがw)。しかしながら、次の『不死鳥の騎士団』と『謎のプリンス』では再び挫折。

別に「面白くない」ってわけじゃないんですよ。ただ、どうもあの世界観が苦手というか入り込めないというか…。そんなわけで、『ハリー・ポッター』シリーズに関しては、ちゃんと観たのは4作目のみで、しかも完結編となる『死の秘宝』に至っては、いまだに一度も観ていないという状況なのです、トホホ。

まあ、「映画好きでも観てない映画の一つや二つはあるよ!」って話なんですけど、僕としては、普段から”映画好き”を公言している都合上、例えば何らかのイベント(合コンとも言う)に参加した際などに「私、『ハリー・ポッター』シリーズが大好きなんですよ〜」的な会話を振られたりしたら非常に困るわけですよ。

「観てません」とも言い難いので、とりあえずエマ・ワトソンの話かなんかで適当にその場をごまかしたり、「ダニエル・ラドクリフが主演した『ウーマン・イン・ブラック』観た?」などと、無理やり他の映画の話題に切り替えたり。何とかして『ハリー・ポッター』から話を逸らそうと毎回苦労するわけです。

マイナーな映画ならともかく、日本で興行収入が100億超えてるような大ヒット作品を「観てません」などと言おうものなら、「え?なにこの人、映画ファンのくせにこんな有名な映画も観てないの?」みたいに思われるんじゃないかと不安で不安で。「ヒット作を観ていない」っていうのが、かなりのプレッシャーになってるわけです。

だから、「流行りの映画は一応全部チェックしておかなければ!」みたいな強迫観念に駆られたりして、あまり興味がない映画でもとりあえず観る!という何だかよく分からない状況になったりしていました、一時期は。特に学生時代は数を観まくりましたねー。有名な映画はもちろん、「他の人が知らない映画を自分がどれだけ知っているか」という変な優越感に喜びを見出したり。病気ですね、完全に(笑)。

最近はお陰様でそういうこともなくなり、新しい映画の話題を振られても「あーゴメン。それ観てないわ」とあっさり言えるようになりました。それがいいことなのかどうなのかは分かりませんが、この心境に至るまで、結構時間がかかったなあ(笑)。

まあ、普通の人には「何でそんなことにこだわるの?」という感じでしょうけど、映画オタクを自称する者にとっては「その映画観てない」と口にするのは、かなり勇気がいることなんですよね。というわけで、「趣味は映画観賞です」と言っている人が有名な映画を観ていなかったとしても、あまり責めずに温かい目で接してあげてください(^_^;)


押井守の映画はなぜ眠くなるのか?『ガルム・ウォーズ』解説

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■あらすじ『母なる蒼きガイアをまわる、戦いの星・アンヌン。かつて、この星を”ガルム”の8つの部族が支配していた。ブリガ、ウルム、バセ、セタ、ボルゾイ、ゼネン、クムタク、そしてコルンバである。部族はそれぞれの役割によって異なる姿と言語を持ち、彼らを作りし神に仕えていた。しかし、創造主ダナンはある日アンヌンを去り、あとに残された八部族は覇権を巡って争いを始める。やがて、長きにわたる戦いによってアンヌンの大気は汚れ、大地は荒れ果ててしまった。八部族のうち、今も残るのはブリガ、コルンバ、クムタクの三部族のみとなり、神の言葉を伝えたとされる”ドルイド”すら死に絶えた。ブリガが強大な武力をもって地上を制覇し、コルンバは圧倒的な機動力で空を支配。クムタクはその優れた情報技術をもってブリガに仕えることで、かろうじて生きながらえていた。陸のブリガと空のコルンバ、アンヌンの覇権を賭けて、二大部族による最後の決戦が始まろうとしていた。そんな中、コルンバのカラ(メラニー・サンピエール)、ブリガのスケリグ(ケヴィン・デュランド)、クムタクのウィド(ランス・ヘンリクセン)が運命的な出会いを果たし、ガルムの秘密をめぐる旅に出る。彼らを待ち受けるのは希望か、それとも絶望か?「攻殻機動隊」「機動警察パトレイバー」シリーズなどの鬼才・押井守が、構想15年にも及ぶ幻の企画を自らの手で実写化したSFアクション超大作!』 ※以下の記事には多少ネタバレが含まれています。映画を観ていない人はご注意ください。


どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。

現在、押井守監督の最新作『ガルム・ウォーズ GARMWARS The Last Druid』が劇場公開されています。この映画の成り立ちは意外と古く、最初に企画として立ち上がったのが1996年頃だそうで、『G.R.M.』または『ガルム戦記』などと呼ばれていました。

当初は壮大なビッグプロジェクトで、監督が押井守、脚本は伊藤和典、そして特技監督に樋口真嗣、衣装デザインに末弥純、メカデザインに竹内敦志、前田真宏、造形に竹谷隆之、音楽に川井憲次を迎え、さらに製作総指揮はジェームズ・キャメロンという、とんでもない豪華スタッフが集結していたのです。おまけに予算は60億円!

この時点ではすでにキャストも決まり、実際にアイルランドまでロケハンに行くなど、かなりの費用(約8億円)を注ぎ込んで準備が整えられ、2000年の劇場公開を目指して、パイロット版の映像まで制作されていました。ところがなんと!クランクイン直前になって突然企画がストップ。予算の見直しが行われ、大幅な脚本の変更を余儀なくされたのです。

そうこうしているうちにジェームズ・キャメロンが企画から離脱し、他のスタッフも次々と降板。この映画に関わった大勢の関係者が迷惑を被り、さすがの樋口真嗣監督も「押井さんのせいでエラい目に遭ったよ!」と『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』のメイキング映像で不満をぶちまけるほどでした。

こうして、超大作映画『ガルム戦記』の企画はボツになってしまったのですが、その映画が紆余曲折を経てついに完成!つまり『ガルム・ウォーズ』とは、「二度と実現することはない幻の企画」と呼ばれた映画の奇跡の復活戦であり、押井守監督にとって「20年ぶりのリベンジ」なのですよ。

ちなみに、『ガルム戦記』がボツになった直後に押井監督が「ふざけんな!何でもいいから映画を1本撮らせろ!」とブチ切れたところ、当時この企画を主導していたバンダイが「すまんかった」と6億円を出資。その結果、SF実写映画『アヴァロン』が作られたそうです(押井監督によると『アヴァロン』は、『ガルム戦記』の開発過程で生まれたノウハウを流用した”機能限定版”らしい)。

アヴァロン [Blu-ray]
バンダイビジュアル (2008-07-25)

CGと実写を融合させたSFアクション。音楽がマジでかっこいい!

というわけで、苦労の末にようやく公開された『ガルム・ウォーズ』なんですが、全くヒットしてません(苦笑)。世間で話題にならないどころか映画を観た人の評価も散々で、「難解なセリフや固有名詞が多すぎて何が何やらさっぱり分からない」、「話の展開が退屈で眠くなる」、「CGが古臭い」など、ボロカスに貶されている模様。

Yahoo!映画のユーザーレビューでも(今のところ)「2.67点」という低評価に留まっており、酷評だらけだった実写版『テラフォーマーズ』の「2.52点」よりは多少マシではあるものの、ほぼ変わらないぐらいの低い評価を下されています。

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まあ、今まで押井監督の実写映画を全て観てきた僕としては「うん、通常運転だな」という感じしかしないのですが(笑)、不思議なのは、押井監督ってもう何十年も前からこういう実写映画を撮り続けているのに、いまだに同じような批判を受けてるんですよね。にもかかわらず、相変わらず次々と新作を撮り続けているという。

しかも低予算で地味な映画なら、まだ分からなくもないんですが、今回の『ガルム・ウォーズ』はなんと製作費20億円!完全に超大作映画なんですよ。いったい、どうしてこんなに映画を撮らせてもらえるのか、非常に不思議なんですよねえ。普通に考えれば、「需要があるから」ってことになるんでしょうけど…。

というわけで本日は、なぜ押井守監督は難解な映画ばかり撮り続けているのか?なぜ押井監督の映画を観ると眠くなるのか?そして、なぜ押井監督は映画を撮り続けていられるのか?など、その理由を検証してみたいと思います。

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●押井守の映画は本当に難解?

まず、いきなり核心的な部分から入りますけど、「難解だ難解だ」と言われまくっている押井守作品、実はそれほど難解じゃないんですよ。例えば『ガルム・ウォーズ』の内容にしても、互いに戦いを繰り広げているクローン兵たちが偶然出会って、「俺たちは何のために戦ってるんだ?」「そもそも俺たちって何者なんだ?」「あの場所へ行くと秘密がわかるらしいぞ」「マジかよ?行ってみよう!」みたいな感じの映画なんです。

「コルンバのカラとかブリガのスケリグとか、固有名詞がたくさん出てきてややこしい!」という意見も多いようですが、それは要するに「ペジテのアスベルとかトルメキアのクシャナ」などと同じく、元々SFやファンタジーには聞き慣れないワードが数多く出てくるので、「そういうものだ」と慣れてもらうしかありません。

ちなみに、『ガルム・ウォーズ』の日本語吹き替え版をプロデュースした鈴木敏夫さんは試写を観た後、「これって『風の谷のナウシカ』でしょ?」と押井監督を問い詰めたそうです(笑)。確かに、クライマックスでは巨神兵も出て来るし、言い逃れできないよなあ(^_^;)


●難解に見える理由とは

では、どうして押井監督の映画は難解に見えるのでしょうか?それは、押井監督がワザと難解にしているからです(笑)。押井さん曰く、「分かりやすい映画を作るのは簡単だ。しかし、それでは観た人の心に残らない。観終わった瞬間に忘れてしまう。でも、映画の中に”わからない部分”があれば、それは人の心に引っ掛かる。人の心に残っている限り、その映画には価値があるんだ」とのこと。こうして、いつしか押井監督の作品は「難解だ」と言われるようになっていったのです。


●長台詞の作り方

そして、作品を難解に見せるために押井監督が多用しているテクニックが「登場人物に難解な長台詞を喋らせること」なんですね。押井守作品を観た人は分かると思いますが、とにかくキャラクターのセリフが多い!アニメでも実写でも、気付いたら必ず誰かが「良く意味が分からない難しいセリフ」を延々としゃべり続けてるんですよ。

これらの膨大なセリフを作り出すために、押井監督が日頃からやっていること。それは「本を読む時にマーカーで線を引きまくる」ってことだそうです。自分の気に入った言葉を見つけたら、とにかく印を付けて、後から紙に書き出すらしい。以下、押井監督のコメントより↓

資料の収集は映像的なものに限らない。言葉の収集も大切な作業だ。僕は自分の好きな種類の言葉、自分の心に届きやすい種類の言葉を常に収集している。聖書などはその最たるものだろう。


だから、文庫本だろうが新書だろうが、僕が本を読み終えた後はマーカーで真っ黄色になってしまう。マーカーラインが溜まってきたら、それらを全部書き出してファイルにする。映画を作るときには、それを全部プリントアウトして見直しながら構想を練る。そして、採り溜めてきた言葉をどれだけぶち込めたかが、僕の作品に対する満足度を推し量るひとつの基準になっている。


僕は、自分の作品に誰かの言葉を引用することに、なんのためらいもない。僕の作品のほぼ全ては、膨大な言葉の引用の組み合わせから成り立っていると言ってもいい。


自分が考えた貧相な言葉よりも、他人が生み出した素晴らしい言葉を引用した方が、作品の完成度は高まるし、適切な場面に適切な言葉を引用できれば、それはもう借りものではないと思うからだ。


それに、言葉は借りものでも、それを繋いでいく人間や世界観は自前だし、いわばその世界をきちんと飾り込みたくて、膨大に言葉を引用していると言った方がいい。 (『これが僕の回答である。』より)



●押井守の映画はなぜ眠くなるのか?

押井守監督の映画を観ていると、途中で必ず「眠くなる瞬間」が訪れますが、当然、これも意図的にやってます(笑)。いったい何のために?実は押井監督は若い頃から大変な映画好きで、「学生時代は年間に1000本以上の映画を観た」と豪語するほどの映画オタクだったという。

特にジャン=リュック・ゴダールやアンドレイ・タルコフスキーに感銘を受けた押井監督は、自分の映画にも彼らの要素を積極的に取り入れていきました。

その結果、「映画は気持ちのよいシーンばかりで構成されるのではなく、流れに逆らう部分が必要なのだ」という独自の信念が生まれ、ストーリーの進行とは直接関係ない、強烈に眠気を誘うようなシークエンス(ダレ場)が挿入されるようになったのです。これが有名な「ダレ場理論」ってやつですね(笑)。

ゴダール 映画史(全) (ちくま学芸文庫)
ジャン=リュック ゴダール
筑摩書房

「ゴダール以前と以降で確実に映画は変わった」と押井守が絶賛する映画界の巨匠

アンドレイ・タルコフスキー 傑作選 Blu-ray BOX(初回限定)
IVC,Ltd.(VC)(D) (2016-07-29)

「タルコフスキーから色んなものをパクって『パトレイバー』を作った」と押井守が暴露するぐらい影響を受けた映画監督


●ダレ場理論

「ダレ場理論」は押井監督が勝手に考えた理論なので、他の映画監督は誰も実践していません。しかし、押井監督はこの理論に絶大な自信を持っており、アニメだろうが実写だろうが、毎回容赦なくダレ場をぶち込んでくるのです。

『ガルム・ウォーズ』では、地上に降りたカラ(メラニー・サンピエール)がひたすら歩き回る場面とか、戦車に乗って動き回る場面とか、主に移動シーンでダレ場が入ることが多いですね。押井作品に慣れていない人は、ほぼ確実にこのダレ場で寝落ちしてしまうようなのでご注意ください(笑)。以下、「ダレ場理論」を解説する押井さんのコメントより↓

映画っていうのは、快感原則だけでは成立しない。映像の快感原則をどこかで裏切ったり、阻止したりすることで初めて映画になるんだよ。止まらないとダメなんだよ。お客さんをいい気持ちにさせてるだけだったら、映画にならない。どこかで引きずったり、立ち止まらせたり、あるいは押しのけたりっていうさ、抵抗感があって初めて映画は映画足り得るんだよ。


よくスタッフから「押井さんの映画はもっと短く編集すればかっこいいのに」って言われるんだけどさ。でも、それは僕に言わせると、短くしたら確かに気持ちいいと思うし、「かっこいい」ってことで衆議一決すると思うけど、それでは映画にならない。10年後に生き延びる映画足り得ない。それが僕の価値基準だから。 (『勝つために戦え!』より)

監督稼業めった斬り―勝つために戦え! (徳間文庫カレッジ)
押井 守
徳間書店 (2015-04-02)

ジェームズ・キャメロンや宮崎駿など、様々な映画監督たちの作品や生き方について押井守が独自の観点で語り尽くした必携の1冊


●理解できないのは観客が悪い?

このように、「難解な長台詞」や「ダレ場理論」を実践し続けた結果、押井監督の作品は「意味が分からない!」「面白くない!」と思われることが多いようですが、こうした批判に対して監督自身はどのように考えているのでしょうか?以下、押井監督の”映画”と”観客”の関係性に関するコメントより↓

映画というものは、その映画を観る人の知性と教養と人生経験の総和に見合った、興奮と感動と感銘しか与えられない仕組みになっている。そういう意味で、映画とは観客の想いを受け止める”壁”のようなものだと僕は思っている。


誰もがその”壁”にボールを当てて、その跳ね返り方によって、それぞれ違った興奮や感動や感銘を受け取る。手応えを感じれば、またその監督の作品を観に来るし、イマイチだなと思えばもう来ない。硬球を投げつける人もいれば、軟球を投げつける人もいる。鉄球を思い切り投げつけてきて、「俺を感動させられるものならさせてみろ!」というタイプの人だっている。


そうした色んなボールにどこまで耐えられる”壁”を作れるかが、つまりは監督の手腕といえる。ボールを投げるのはあくまでも観客の側であり、作り手はそれを弾き返しているに過ぎない。少なくとも僕の場合、映画というものは、作り手側のメッセージや思い入れを投げつけるものではなく、ピッチャーはあくまでも観客であるという意識が強い。 (『これが僕の回答である。』より)

これが僕の回答である。1995‐2004
押井 守
インフォバーン

押井監督が自身のアニメや映画の話題を中心に、多様なテーマについて語りまくった1冊


いかがでしょうか?要するに押井監督は「この壁、ボールを投げつけても上手く返って来ないじゃん!つまんないよ〜」と文句を言っている観客に対して、「それは壁が悪いんじゃなくて、お前の投げ方が悪いんだよ!もっとボールの投げ方を勉強したり、早いボールが投げられるように腕力を鍛えて出直して来い!」と言ってるんですね(笑)。

いかにも映画オタクらしい開き直りっぷりですが、押井監督のこの考え方にも「一理あるな」と思うんですよ。なぜなら、同じ作品を観ても感じ方は人それぞれ違うから。「全員の意見や評価が完全に一致する」なんてことはあり得ないからです。

例えば「同じ感動的なシーン」を観ても、号泣する人がいる一方、全く泣けない人もいるわけで。この違いは、観客が背負っている文化的バックグラウンドや個人の感受性や思想的ポジションなどが全く異なるからです。

押井監督はそれを「映画を観る人の知性と教養と人生経験の総和」と表現していますが、子供の頃には分からなかった映画を大人になって観返してみたら理解できた、ということは良くあるんじゃないでしょうか?もちろん、映画の中身が変化したわけじゃありません。「人生経験」を積んだことによって、自分自身の感性が変わったからです。

それと同じく、映画を観て「面白いか」「つまらないか」を決定づけるポイントは、常に”観客側”にあるんですよ。我々はつい、「映画の中に真実や正解がある」と思い込み、それが見つからなければ「意味がわからん!」「この映画つまんねー!」などと”映画側”に責任があると考えてしまいがちですが、実際はそうではありません。”正解”とは、「それぞれの観客が背負っているモノの中」に存在するのです。

僕が「映画だって教養や訓練が必要なんだ」って言ってるのは、そういうことなんだよね。「観て理解できないからその映画に問題があるんだ」と言う人たちがいるけれど、それはとんでもない話でさ。少しは我が身を振り返れよって話だよね。 (『スカイ・クロラ 絵コンテ集』より)

スカイ・クロラ-The Sky Crawlers-絵コンテ―ANIMESTYLE ARCHIVE
押井 守
飛鳥新社

巻末に、押井監督が”映画の本質”について語り尽くしたロングインタビューがあって、これが非常に面白い。押井さん荒ぶってますw


●なぜ押井守は映画を撮り続けていられるのか?

さて、色々と押井守監督について書いてきたわけなんですけど、最後に残った疑問、「なぜ押井守は映画を撮り続けていられるのか?」。これ、正直よくわからないんですよね(笑)。確かに押井監督には多くのファンがいるようですが、それだけで映画の収支を賄えるものなのかな?と。

どうやら押井さんの作品は日本よりも海外での評価の方が高くて、日本で全く売れなくても、海外では結構売れているらしい。『アヴァロン』の場合、日本の興行成績はボロボロでしたが、海外でビデオやDVDがバカ売れして大ヒット。製作費が6億円もかかったのに、なんと黒字になったそうです。

押井監督本人は、「今まで色んな映画を撮ってきたが、赤字を出したことは一度もない」と豪語しているので、そういう点では映画会社から信頼(?)されているのかもしれません。まあ、僕自身は押井監督の実写映画を観て「面白い」と感じたことはほとんど無いんですけど、それは押井さんに言わせると「知性と教養と人生経験が足りないからだ!」ってことなんでしょうねえ(笑)。


押井言論 2012-2015
押井 守
サイゾー (2016-02-03)

映画論、アニメ論、創作論、作品論、同業者への怒りと諦めが詰まった、“押井節"の集大成!

映画『天空の蜂』ネタバレ感想/評価/解説

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■あらすじ『1995年8月8日。完成した最新鋭超巨大ヘリ“ビッグB”を自衛隊へ引き渡すため、開発者のヘリコプター設計士・湯原(江口洋介)は妻子とともに式典に参加していた。すると突然、ビッグBが勝手に動き出し、息子の高彦を乗せたまま飛び去ってしまう。福井県の原子力発電所“新陽”の真上でホバリングを始めたビッグBは、“天空の蜂”と名乗るテロリスト(綾野剛)によって遠隔操作でハイジャックされてしまったのだ。犯人は政府に“日本全土の原発破棄”を要求し、従わなければ、大量の爆発物を搭載したビッグBを原子炉に墜落させると宣言。湯原は、同じ会社の同期で新陽を設計した三島(本木雅弘)と協力し、息子の救出とビッグBの墜落阻止に全力を挙げる。残された時間はヘリの燃料がなくなるまでのあと8時間。果たしてこの危機を乗り切ることは出来るのか…?人気作家・東野圭吾が1995年に発表した同名ベストセラーを、「20世紀少年」「SPEC」シリーズの堤幸彦監督が映画化したサスペンス・アクション超大作!』



本日、WOWOWシネマで『天空の蜂』が放送されます。劇場公開時は、あの辛口コメントで有名な映画批評家の前田有一先生が「95点」という驚きの高得点を付け、「エンタメ映画として抜群に面白く、感動も深い」「これで日本の映画史も変わる」などとベタ褒めしていたので、「あ〜、これは荒れるだろうな〜」と思っていたら案の定、世間の評価は賛否両論真っ二つでしたよ(苦笑)。

ちなみにYahoo!映画の得点は3.78点で、この手の映画にしては意外と高評価なんですけど、やはり「良かった」という意見と「全然ダメ」という意見が入り乱れてますね。良かった人の感想では「”原発問題”という社会的に重要なテーマを堂々と描いているところがいい」、「スケールの大きなアクションやドラマが見応えあり」、「原作には無い”3.11を意識したラストシーン”が良かった」など。

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逆に、良くなかった人の感想としては「話の展開に無理がありすぎて説得力に欠ける」、「設定にリアリティが無い」、「役者の演技が過剰で不自然」、「説明的なセリフだらけでうんざりした」、「スローを多用した演出が古臭い」、「ヘリのCGがショボすぎる」など、映画全体のクオリティに対する不満が多いように見受けられます。

で、僕の個人的な感想としてはですね、どっちの意見も分かるんですよ。良い意見も悪い意見も、指摘している部分は確かにその通りだと思います。そして、劇中で描かれている”原発問題”が昨今の日本人にとって極めてセンシティブなテーマだからこそ、余計に「もっとしっかり描いてくれよ」という気持ちになるのも理解できます。

ただ、本作はあくまでもエンターテインメントであって、娯楽性を重視して作劇されてるんですよね。もちろん、娯楽映画であってもリアリティを追及するのは当然なんですが、要は「どこまでそれを許せるか?」という”許容範囲の問題”なんじゃないかなと。

例えば、ハリウッドの超大作アクション映画でも、冷静に考えたら変なシーンはいっぱいあるわけですよ。「何でそこでそんな行動をとるの?」と突っ込みたくなるような場面もいっぱいあるんですが、向こうは大金をかけて派手な映像をガンガン出してくるから、「まあいいか」と思えてしまう。つまり「観賞料金の対価としてカッコいい映像を観た」と考えた場合、多少変なシーンがあったとしても許容できてしまうんです(中には許容できない映画もありますがw)。

今回の『天空の蜂』も、非常にエンターテインメント性の強い、言ってしまえば「ハリウッド的なサスペンス・アクション」を目指して作られてはいるものの、いかんせん邦画の予算規模ではどんなに頑張ってビジュアルを作り込んでも限度があり、内容に見合ったスケール感を確保できているとは言い難い。

特に肝心要の”ビッグB”の映像が、全くもって”重さ”や”巨大さ”を感じられない仕上がりになっていたのが残念でなりません。ビッグBのフル3DCGは1年がかりで作られたそうですが、なかなか本物のヘリの質感を再現できなくて苦労したらしい。やはり、こういうヘリの場合は巨大なミニチュアを作って撮影するというアナログな技法の方が、リアルな映像を撮るのに向いてるんじゃないか?と思いました(お金がかかるけど)。

なので、視覚的な満足感を得ることができない出来ない以上、「この程度のリアリティでは許容できない」という人の気持ちも十分に分かるんです。分かるんですが、個人的には「これぐらい許容してあげたいな〜」という感じなんですよね。別に堤幸彦監督に恩義があるとか、そういうことでは全くありません(笑)。

ただ、「堤幸彦監督にしては意外と真面目にサスペンス・アクションを作ろうとしてる」と思える部分が僕の中のハードルを若干押し下げているというか、「これぐらいなら、まあいいか」という気持ちにさせているのかも(今までの堤作品はふざけ気味の映画が多かったのでw)。

しかも本作は娯楽作品でありながら、かなりハードなメッセージ性を内包しているため、一見すると「反原発映画か?」と思ってしまいますが、原発の危機感を示しつつ、同時に原発の現場で働く側の主張もしっかり盛り込んであり、非常にバランスの取れた作劇になっています。その辺もグッドでした。

正直、パジェロで単独カーチェイスするシーンとか、湯原(江口洋介)が三島(本木雅弘)の頭に銃を突き付けてカメラがグルグル回り込むシーンは全くいらなかったと思いますが(笑)、それ以外は概ね満足できましたよ(というか、細かい部分を突っ込み出したらきりがないw)。

あと、批判の多かったラストシーン。息子の高彦君が大人になって自衛隊に入り、向井理がヘリコプターを操縦しているという「現代」へ繋がる場面ですが、まあ確かに「無くても良かったんじゃないの?」とは思いました。ただ、「3.11を体験してしまった我々としては入れるべきだと思ったし、自分自身も、このシーンがあることで前向きになれた」と堤監督が語っているように、今の時代にこの原作を映画化する以上、避けては通れなかったのだろうと思います。そういう点でも「誠実な映画だな」という印象を受けました。


『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』感想/評価

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■あらすじ『イーサン・ハント(トム・クルーズ)と彼の所属チーム“IMF”は、国際的な陰謀をめぐらす謎の組織“シンジケート”を追っていた。しかしその矢先、IMFはCIA長官によって解散を命じられ、メンバーはバラバラに。その後、単身でシンジケートの実体解明を進めていたイーサンは囚われの身となってしまう。その窮地を救ったのは、なんと敵側のスパイと思われた謎の美女イルサだった。やがて秘かにベンジーや他のメンバーを再集結したイーサンは、敵か味方か分からないイルサと共に、シンジケートを壊滅すべく史上最大の不可能ミッションに挑戦する!トム・クルーズ演じる伝説のスパイ:イーサン・ハントが、実現困難な任務に挑みまくる大人気アクション・シリーズの第5弾!』


※ネタバレしてるので観てない人はご注意ください。


本日、WOWOWシネマで『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』が放送されます。僕は公開時に劇場で観たんですけど、もう冒頭からいきなり度肝を抜かれました。予告編で流れている「トム・クルーズが飛行機の側面にへばり付く超絶スタント」があるじゃないですか?

あれってクライマックスのアクションかと思ったら、オープニングでいきなり出て来るんですよ。映画が始まって5分ぐらいでトム・クルーズが飛行機にしがみ付きながら「早くドアを開けてくれ〜!」と絶叫しているわけです。アバンタイトルでこんな大技をブチ込んでくるとは、まさに「出し惜しみ感」ゼロの出血大サービス!実に素晴らしい!

しかもこのシーン、決してシリアスな場面ではありません。一応、状況的には「凄腕エージェントが任務を遂行するために必死で頑張ってる」というシチュエーションではあるものの、演出的には単なるコメディ・パートであり、”観客を笑わせるためだけのシーン”なんですよ。にもかかわらず、トム・クルーズ本人がやっているという凄さ!

つまり、本物の飛行機と本物のハリウッド・スターを使った”史上最大級に大掛かりなコント”なんですね。いや〜、スケールがでかい!ベンジーがドアを開けようとすると焦って貨物のドアを開けてしまい、「違〜う!そっちじゃな〜い!」と突っ込むイーサンとか、ベタなギャグも満載です(笑)。

このシリーズって、初期の頃は内容も割とシリアスで、結構ハードなスパイアクション映画だったんだけど、続編を重ねる毎にギャグっぽい要素が増えていき、同時にアクションの難易度も急上昇していきました。

それはそれでいいんですが、自ら進んでデンジャラスなスタントに挑戦し、命懸けで観客を笑わせようとするその姿は、今までの「スマートでカッコいい路線」とは大きく方向性が異なり、もはやトム・クルーズと言うより”ハンサムなジャッキー・チェン”と化してますよ(笑)。

もちろん、今回もトムさま渾身のアクションが次々と炸裂します。狭い街中を猛スピードで爆走するカーアクションや、ノーヘルでバイクをぶっ飛ばすバイクチェイスなど、凄まじいスタントに驚愕させられること間違いなし!

しかも、どんなに激しいアクションをやっていても、必ず間に”細かいギャグ”を挟むことで、映画全体に常にユーモアを漂わせるという徹底ぶりに脱帽せざるを得ません。とにかく、笑いとアクションのクオリティがどんどん上がり続けてますね。

このシリーズも本作で5作目ですが、全く勢いの衰えを感じさせないどころか、「毎回毎回よくこんな面白いこと思い付くなあ」と感心するぐらいの面白さですよ。まあ、イーサン・ハントがどんどんバカっぽくなってるような気がしなくもないけど、それはたぶん気のせいです(笑)。

一方、注意すべき点は「スパイグッズの荒唐無稽さが常軌を逸している」ってことでしょうか(笑)。例えば、毎度お馴染み「やあハントくん。今回の君の任務は…」から始まるメッセージ。今まではサングラスをかけると再生されるとか、色んなバージョンがあったんですが、なんと本作ではアナログレコードになってるんですよ。

プレーヤーにかけるとミッションの内容が再生されるんですけど、音声だけじゃなくて映像も映るという謎のテクノロジーにびっくり(笑)。もう「技術的に可能かどうか?」の問題以前に、「そんな装備が本当に必要かどうか?」を検討すべきレベルではないかと(^_^;)

また、オペラ劇場でベンジーが使っていた「ノートパソコンになるパンフレット」に至っては、「凄い!」と思うより前にあまりにも現実離れしすぎて、ファンタジー映画を観ているような錯覚に陥りました(もはや『ドラえもん』の秘密道具に近いかもしれませんw)。

まあ、そういう面白スパイグッズも『ミッション:インポッシブル』の世界観なら許せてしまうというか、観ていて楽しいのでアリなんですけどね(個人的には、もっと面白い小道具を出して欲しいぐらいですw)。

そんな本作の要注目ポイントと言えば、謎の美女イルサ(レベッカ・ファーガソン)でしょう。敵に捕まって拷問を受けているイーサンを救い出した彼女は果たして何者なのか?謎の組織”シンジケート”との繋がりは?二転三転する意外なドラマ展開が見どころです。

そして、IMFのメンバーで目立っているのは、何と言ってもベンジー(サイモン・ペッグ)ですね。今までにも敵のコンピュータに侵入したり、秘密道具を活用したりと色んな活躍を見せていましたが、今回は今まで以上の活躍ぶりで、ベンジー・ファンも大満足(笑)。イーサンとのコンビ・プレイもバッチリ決まり、単なる組織のメンバーという枠組みを超えた”絆”も描かれ、非常にいいドラマになってますよ。

逆に残念だったのは、クライマックスの展開がやや尻すぼみ気味になっていること。いや、もちろん終盤にもアクションはあるんです。ただ、冒頭から大掛かりなアクションをバンバン見せているせいで、ラスボスをやっつけるくだりが相対的に小規模に見えてしまうのですよ。この辺は、最後にもう一発ド派手なアクションを見せて欲しかったなあと思いました。

とは言え、トム・クルーズ様の壮絶アクションは全編に渡って冴えまくり、キャラクターは魅力的でドラマも抜群に面白いので全く飽きさせません。最初から最後までハラハラドキドキが続く最良の娯楽映画として、万人にお勧めできるでしょう(^_^)


どうして日本の映画は貧乏なのか?という話

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どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。

先日、こういうツイートが話題になっていたので読んでみました。↓

邦画の平均的製作費は1本当たり3.5億円。マッドマックス3分作れない

ざっくり言うと、映画監督の園子温さんが「アメリカや中国の自主制作映画の平均予算は1億円以上。それに対して日本は、商業映画ですらその半額以下。ケタ違いに予算が少ない」とツイートしたことに端を発し、「何でこんなに日本映画は貧乏なの?」と様々な議論が展開された、という内容です。

この件に関して映画評論家の町山智浩さんは、「『マッドマックス 怒りのデスロード』の3分当たりの製作費は約4億円。邦画の平均的製作費は3.5億円。つまり『怒りのデスロード』のわずか3分にも足りない」と日本映画の低予算ぶりを嘆いていますが、「3.5億円」というのはあくまでも平均値であるため、実際はこれよりももっと安い予算で映画を作っている人たちもいるはずです。

もちろん、「製作費が多ければいいというものではない」「少ない予算でも良い映画は作れるはずだ」という考え方もあるでしょう。しかし、園子温さんのような現役の映画監督がこういうコメントをつぶやくこと自体が異例であり、今の日本映画界の厳しい状況を如実に表しているような気がしてなりません。では、そもそもどうして邦画はこんなにお金が少ないのでしょうか?


●日本映画の製作費事情

かつて邦画が活況を呈していた80年〜90年代頃は、『天と地と』(50億円)や『敦煌』(45億円)など、バブリーな超大作映画がいくつか作られていました。その結果「そこそこのヒット」はしたものの、「大儲け」と呼ぶには程遠い成績に終わってしまいます。いったいなぜか?

それは、「興行収入」の内訳に理由があるからです。仮に、50億円の費用を掛けて映画を作り、50億円の興行収入があったと仮定しましょう(かなりの大ヒット)。しかし、製作費と収益が同じだからといって、”プラスマイナスゼロ”とはなりません。

まず、50億円の興収の内、約半分が映画館の取り分となります。残りの25億円の内、約40%(作品に応じて変動あり)が宣伝費・プリント代として差し引かれ、残りは15億円。さらにここから、配給会社が手数料として約30%を徴収します(これもケースバイケース)。結局、映画の制作会社に残るお金は、10億5000万円にしかならないのですよ。

50億円の予算を投じて、儲けは(単純計算で)10億5000万円。これでは、たとえ大ヒットしたとしても、上映分だけでは完全な赤字で、テレビの放映権やDVDの売り上げなどの「2次使用料」を加えてもペイできるかどうか?という厳しい状況になってしまうわけです。


●予算の決め方

このような前提を踏まえ、映画の製作費は「作品に投下された資本と人的エネルギーなどの回収効率」から設定されることになります。例えば、全国で同時公開する作品なら、100万人の動員で興行収入の目安はおよそ14億〜15億円。

15億円と言えばそこそこのヒットですが、これに先ほどの計算式を当てはめてペイラインを逆算すると、だいたい3億円程度の予算なら赤字にはならないだろう、ということが分かります。このような判断から、日本映画の製作費は3億円前後のボリュームが最も多くなっているらしい。

「だったら興収の目標値をもっと上げればいいんじゃないの?」という意見もあるでしょう。しかし、日本で公開される映画の興収には”上限”があるため、あまり極端な数値には設定できないのですよ。例えば、去年公開された邦画作品の成績を見てみると、1位が『妖怪ウォッチ』、2位が『バケモノの子』、3位にようやく実写映画の『HERO』が入っています。

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(「日本映画製作者連盟」より)

『HERO』の興収は46.7億円でかなりの大ヒットですが、これでも掛けられる予算はせいぜい10億円ぐらい(実際の予算は分かりませんけど)。つまり、50億円を超えるようなメガヒットは滅多に出ないため、必然的に予算の上限が決まってしまう、というわけです。


●なぜ国内市場限定なのか?

一方、貧乏な邦画に対して、ハリウッド映画は100億円を超える巨額の予算を実現しているわけですが、それはもちろん海外の市場を見込んでいるからであって、実際、アメリカ国内では赤字でも、海外の収益でプラスになった作品は少なくありません。

ではなぜ、邦画も海外を目指さないのか?というと(言語の問題等もありますが)、そもそも日本のマーケットが大きすぎるからなんです。日本の映画興行収入は世界的に見ても極めて巨大で、かつてはアメリカに次いで世界第2位の市場規模を誇っていました(今は中国に抜かれている)。そのため、無理に日本映画を海外に販売しなくても、国内でヒットすればそれだけで十分にビジネスとして成り立ってしまうのですよ。

極端な話、日本人に馴染みのあるイケメン俳優や人気アイドルや有名タレントばかりをキャスティングし、日本の観客が喜びそうなシナリオを適当に書き上げ、2〜3億円程度の安い予算で作って公開すれば、それだけで結構な収益が見込めるし、上手くいけば大儲けできる可能性すらあるわけです。

そうなると、「海外で認められるような日本映画を作ろう」なんて誰も考えないし、逆にどんどん日本人向けに特化した、ある種”ガラパゴス的な映画”が量産されていったと。その結果、外国人の目から見て「最近の日本映画はつまらない」と批判されるようになってしまったのでしょう。

「邦画のレベルは本当に低い!」 英国配給会社代表が日本映画に苦言


●大きな予算を確保するには

ただ僕個人は、日本映画の全てがつまらないとは思っていないし、邦画が発展する可能性もまだ十分にあると考えています。例えば、最近公開された『アイアムアヒーロー』などは、企画の段階から海外市場を意識し、そのために(邦画としては)巨大な予算を確保して、外国の人も楽しめるような内容を目指して作られました。

その結果、ジャンル映画の祭典として知られるシッチェス・カタロニア国際映画祭で観客賞&最優秀特殊効果賞を受賞した他、世界各国の映画祭で様々な賞を獲得する快挙を成し遂げたのです。もし、従来通りの方法論で作られていたら、ここまでの成果は得られなかったでしょう。

『アイアムアヒーロー』世界三大ファンタスティック映画祭制覇!

つまり、日本映画も海外のマーケットを視野に入れた映画作りにシフトすれば、大きな予算を確保することも不可能ではないわけです(さすがにハリウッド映画には及びませんがw)。日本の市場が将来的にどんどん縮小していくことを考えると、海外の観客にも受け入れられる映画作りは、今後の重要な課題の一つと言えるのではないでしょうか(^_^)


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高畑勲監督、岡山空襲を語る

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本日6月29日は、僕の地元の岡山県岡山市が71年前にアメリカ軍の空襲を受けた日です。それに伴い、今月の初めに高畑勲監督が岡山を訪れました。『火垂るの墓』など、数々のアニメーション作品で知られる高畑監督は岡山の出身で、9歳の時に空襲を経験し、そのことが後の作品に影響を与えているという。

そんな高畑監督を招き、地元で「高畑勲監督、岡山空襲を語る〜アニメ『火垂るの墓』戦争と平和」という特別番組が放送されたので、本日は番組内で高畑勲監督が語った言葉を一部取り上げ、「戦争と平和」や自分の作品に関する高畑監督の考えなどを書いてみたいと思います。

高畑監督の実家は岡山市北区柳町という所にあり、番組では空襲があった日の「逃走経路」を高畑監督に辿ってもらう、という内容になっていました。当時、アメリカ軍は午前2時43分に岡山市街地への爆撃を開始したらしい。

街の南東方向から飛んできたB-29は、岡山中央郵便局付近を目標に、高度3000から4000メートルで焼夷弾を投下。岡山市の中心部から一斉に火の手が上がりましたが、高畑監督の家があった場所は空襲を受けた直後はまだ燃えていませんでした。

そして午前3時ごろ、家の2階で寝ていた高畑監督は、空襲に気付くとすぐに1歳年上のお姉さんと外へ飛び出したそうです。この後、2人はおよそ2時間にわたって炎の中を逃げまどうことになりました。以下、高畑監督の証言より。



「僕が玄関を出たら、大勢の人が走ってるわけ。それを見て”親に置いて行かれた”と思って一緒に走り始めるんだけど。表に飛び出した時、裸足だったんですよ。慌ててたんで、靴も履かずに飛び出して、しかもパジャマだけで逃げたんです。

地面は、いわゆるアスファルトを引いてたんだけど、火の熱でネチャネチャになってるんですよ。だから足の裏が熱くなるし、それからガラスの破片なんかがいっぱい刺さってね。もう大変だったんですけど。

逃げてる時には、足に何かが刺さってるなんて全然わからないんですよ。後になって、膿が出て来るからわかるんですよね。「あっ、こんなところにも刺さってる」って。もう必死ですからね。足が痛いなんてことより、焼け死なないですむかどうかの方が重要ですから。

僕と姉は「親とはぐれた」と思ったんだけど、その時、僕の母親と他の兄弟は火を避けて川の中に逃げてたらしくて。周りは全部燃えてるし、川の中なら多少安全だろうと。そこにも死体がいっぱい流れて来て大変だったみたいですけどね。

僕らはそんなことを知らないから、人が走って行く方向へ一緒に逃げてたんです。そうすると、トタンを引っ張るような”シャー”っていうような音がするんです。で、空を見上げたら火がいっぱい降ってくるんですよ。小さな点みたいな火なんだけど、それが大量に降ってくる。焼夷弾が燃えながら落ちてくるんですね。

それを皆見てて、「あっ、来た!」と思ったら隠れるんですよ、軒下に。昔の軒っていうのは全部瓦で出来ていて、側に必ず防火用水が置いてあるんですね、火を消すために。で、地面に落ちた焼夷弾は火を吹いて燃え上がるんです。

それは”焼夷爆弾”って言ってたんだけど、要するに単なる筒じゃなくて、ちゃんと爆弾の形をしていて、しかも破裂するんですよ(M47焼夷弾)。それがかなり近いところで爆発して、一緒に走っていた姉がバタッと倒れて、そのまま失神したんです。僕はもう怖くて、必死で名前を呼んで揺さぶり起したんだけど。後で分かるんですが、お尻に焼夷弾の鉄片が刺さってたんですね。

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そして大雲寺の交差点から、さらに旭川へ向かって行こうとするんだけど、途中で進退極まるんですよ。横も燃えてるし、前の家も全部燃えてるし。もう熱くて熱くて、防火用水の水をかぶりながら逃げてるんだけど、すぐに乾くんですよ。

そういう状態でどこに逃げていいのかも分からず茫然としてると、一人のおっさんが走り出したんですよ。「何とかしなきゃいけない」と思ってたから、そのおっさんについて走って、何とか川の橋の袂まで逃げたんです。

で、どうにか川の側まで辿り着いたんだけど、火から離れると今度は寒くなってきてね。その上、雨まで降ってきて。”黒い雨”っていうと皆さん原爆を思い出すかもしれないけど、どんな空襲でもみんな黒い雨が降ったんですよ。燃えたススなんかが上昇気流に乗って空に上がって、それがまた降ってくるわけだから。雨そのものが汚れてるんですね。

で、そういう雨に当たったもんだから余計に寒くなって、その辺にあった荷物を包むような藁を体に巻いて。そして京橋を上がったところで偶然、姉の友達の一家と出会うんですね。それで、その人たちが避難している場所に連れて行ってもらって。奇跡的に私たちは助かった、という感じなんですけどね。

その後、疲れてたんで少し寝たんですけど、起きたらその家族に男の子がいて、僕より少し年上だったんだけど、「焼け跡を見に行こう」って言うんですよ。僕は行きたくなかったんだけど、仕方なくついて行ったんですね。そしたらもう、死体だらけで。怖くて震えが止まらなかったですね。だって人がいっぱい死んでるんだもん。匂いも凄いし。

でもそんな状態なのに、”父恋し母恋し”みたいな、全然そういう感じはしなかった。それが不思議でしょうがない。だって焼け跡に行けば、会える可能性だってあるわけじゃない?でもその時は気が動転しちゃって、行きたくないのに行ってしまって、沈んだ気持ちのままトボトボ帰って来て。

で、次の日の朝、両親や他の兄弟たちと再会するんです。ところが、なんか気恥かしい感じがして、劇的な再会なんかじゃ全然なかったんですよ。「お母ちゃん!」と叫んで抱きつくとか、手を取り合うとかね。向こうも僕の名前を呼びながら駆け寄って来るとか、そういう劇的なシーンが当然あってもいいのに、それが無かったっていうことが、僕の中で長年”情けない”という思いにとらわれましたね。

だから『アルプスの少女ハイジ』をやる時はね、もっとこう、”子供はこうあって欲しい”みたいなね、気持ちをバーッと表に出すような子供であって欲しいと、そういうことを心がけてましたね。実際、オンジと呼ばれてるお爺さんと再会する時にはさ、バーッと駆け寄ってドーンと胸に飛び込んだりしてるよね(笑)。まあ、僕もそういうことが出来たら良かったんですけどね。

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『アルプスの少女ハイジ』第34話「なつかしの山へ」

『ハイジ』はだから、言ってみれば僕の理想像ですよね。まあ、僕に限らないと思うんだけど、あの作品は、『ハイジ』という作品そのものが”子供はこうあって欲しい”という理想を描いてるんですよ。

ただ、『ハイジ』は多くの人に愛されているし、僕自身も好きですけど、あれ以来ああいう作品は作ってないですね。作らないようにしてるんですよ。ああいう、心地良い方向に行かないように、自らブレーキをかけたいと。そういう気持ちがあるんでしょうね。

だって、ああいうことが出来ない子供はかわいそうじゃないですか。あんないい子にはなれないよって子供がいたら。もし、あの作品を親子で観てて、「ハイジって素晴らしいよね」ってなった時、子供が「でもあんな風には出来ないよ」って言った時に、親はどうします?「それでいいのよ」って言ってやんなきゃいけないでしょ?そういうのは、もう少しリアリティがあるものにした方がいいんじゃないかな、とね。

だから、その後に作ったものは、もちろん『火垂るの墓』にしてもそうだけど、もう少し現実的に、本当にいるんじゃないかと思えるような子供になるように心掛けましたけどね。

最近のテレビドラマなんか見てるとさ、すぐにみんな抱き合うじゃないですか?ああいうことは、昔は本当に無かったんですよ。今のテレビドラマはみんな嘘をついてるんです。今は皆を感動させようとしてるから、そうなってるけどね。まあ、分からなければ小津安二郎の映画でも観てください(笑)」


火垂るの墓 [Blu-ray]
ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン (2012-07-18)

『10 クローバーフィールド・レーン』ネタバレ映画感想/評価

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■あらすじ『恋人と口論になり、一人郊外へ車を走らせていたミシェル(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)は、急な事故に巻き込まれて意識を失う。目覚めると、なぜか薄暗い地下の一室。しかも足を手錠で繋がれ、身動きがとれなくなっていた。そこへ現れた巨漢の男ハワード(ジョン・グッドマン)。ここは彼が作った地下シェルターで、他に腕をケガした若い男エメット(ジョン・ギャラガー・Jr)もいた。彼女を閉じ込めている理由を、外で恐ろしいことが起きているからと説明するハワード。疑いを抱きつつも、ひとまず彼らと共同生活を送るミシェルだったが、やがて次々と恐ろしい真相が明らかに…!2008年の大ヒット・パニック映画「クローバーフィールド/HAKAISHA」をプロデュースしたJ・J・エイブラムスが、同じ世界観を継承する形で製作したSFミステリー・サスペンス!』


※この記事にはネタバレが含まれています。映画を観ていない人はご注意ください!


J・J・エイブラムス監督製作の『10 クローバーフィールド・レーン』を観賞。本作は、8年前に同じくエイブラムス監督が作った『クローバーフィールド/HAKAISHA』と似たようなタイトルであるため、当初は「あの映画の続編か?」と思われていました。

しかし、エイブラムス監督自身が「続編ではないが血の繋がりはある」と微妙なコメントを発表したことで、「じゃあどういう関連があるんだよ?」とファンが困惑する事態に。いったい『10 クローバーフィールド・レーン』は『クローバーフィールド』と関係があるのかないのかか?

まず最初に、前作(?)の『クローバーフィールド/HAKAISHA』について説明すると、2007年7月に全米の劇場で流された予告編では、「ニューヨークが”巨大な何か”に襲われているらしい」という事ぐらいしか分からず、一体それが何なのか、どういうストーリーなのかは一切明かされていませんでした(当初はタイトルすら不明だった)。

しかし、予告編が公開されるやいなや、アメリカではこの謎の映画が多くのメディアで取りあげられ、ネットでも話題沸騰。それが、プロデューサーにテレビシリーズ『LOST』のJ・J・エイブラムスを迎えた『クローバーフィールド/HAKAISHA(原題:CLOVERFIELD)』だったのです。

その内容も非常に変わっていて、「大災害が起きた現場で偶然、一般市民がビデオカメラを回していて、そのカメラを軍が回収した」という設定になっているのです。したがって、普通の映画みたいにオープニングやタイトルなどは一切表示されず、BGMもありません。

さらに家庭用ビデオカメラ(という設定)なので画質は粗く、しかも素人カメラマン特有の終始ガタガタと揺れまくる画面は不安定で見辛い事この上なし(実際は業務用カメラで撮影されており、画面のブレもきちんと計算されたものですが)。

しかし、これらの不安定な映像がとてつもないリアリティを醸し出し、本当に事件の現場を”目撃”しているかのような凄まじい臨場感を生み出していたのです。すなわちこの映画は、全部作りものなのに”あたかも実際に起きた事件のように見せている”という、いわゆる”擬似ドキュメンタリー”なのですよ。

この手の作品は「モキュメンタリー」または「ファウンド・フッテージ」などと呼ばれ、意外と古くから存在していますが、有名なものはやはり1999年の『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』でしょう。「魔女を題材にしたドキュメンタリー映画」という設定で作られた『ブレア・ウィッチ』は、超低予算(約6万ドル)でありながらも、全米興行収入1億4000万ドル、全世界興行収入2億4050万ドルという大ヒットを飛ばして話題になりました。

これの”魔女”を”謎の巨大生物”に置き換え、数百倍(数千倍?)の予算を投じて製作されたものが『クローバーフィールド』なのです。何より『クローバーフィールド』の凄いところは、擬似ドキュメンタリーの手法を取りながら、いわゆる「怪獣映画」を撮ろうしている点でしょう。

舞台となる地はニューヨーク、ウォール街やグランド・ゼロ等が位置しているローワー・マンハッタン地区。ここである晩、パーティーが行われていました。すると突然、大音響と共に建物が大きく揺れ、室内は停電して真っ暗闇に。人々は何が起こっているのか確認する為に屋上へ上がると、正体不明の大きな唸り声とともに、巨大な何かが姿を現した!

…という具合に、『クローバーフィールド/HAKAISHA』には”パニック・アクション”あるいは”ディザスター・ムービー”的な展開も見受けられるますが、本質的には「モキュメンタリーの手法で撮られた怪獣映画」なのです。しかも、日本の「ゴジラ」に多大な影響を受けているらしい。

というのも、製作したJ.J.エイブラムス監督がゴジラの大ファンで、「この映画は日本へ来てゴジラのビニール人形を見ている時に思いついた企画だ」と証言しているのですよ。さらにエンディングで流れるテーマ曲が、ゴジラの音楽を手掛けた伊福部昭のメロディとそっくり!これぞリスペクト!

そんなわけですっかり前置きが長くなってしまいましたが(笑)、じゃあ『10 クローバーフィールド・レーン』はどうなんだ?っていうと、全然違う内容なんですね。まず、「ファウンド・フッテージ」じゃなくて普通のサスペンス映画だし、ほぼ地下シェルターの中のみで展開する「密室劇」なんですよ。

主人公の女性(ミシェル)が交通事故に遭い、気付いたら地下に閉じ込められていて、怪しい男が見張っている中、無事にそこから脱出できるか?という非常にシンプルな物語です。でも僕は『10 クローバーフィールド・レーン』を観る前に、「『クローバーフィールド』のスピンオフ的なストーリーなのではないか?」と思ってたんですよ。

なぜかと言うと、今回メアリー・エリザベス・ウィンステッドが演じている主人公ミシェルの姿が、『クローバーフィールド』でリジー・キャプランが演じていたマリーナという女性キャラと、何となく似てるんですよね(服装まで似てるのは偶然か?w)。

●ミシェル

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●マリーナ

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マリーナは主人公(エリザベス)の友人で、残念ながら物語の途中で死んでしまうんですが、もしかしたらミシェルはマリーナの姉か妹という設定なのでは?と。だとすれば、「続編ではないが血の繋がりはある」というエイブラムス監督の言い方も腑に落ちます。果たして僕の予想は当たっているのか否か?

…と思って観に行ったんですけど、う〜ん…結局当たっているのかどうか良く分かりませんでした(笑)。そもそも主人公のバックボーンがほとんど語られないため、どこでどんな暮らしをしていたのか、姉妹がいるのかいないのか、全然わからないんですよ(もしかしたら身内なのかもしれないけど)。

あと、「外の世界で大変なことが起きて地下シェルターに避難している」という設定から、「巨大怪獣が街を破壊したから地上に住めなくなった?」=「『クローバーフィールド』の後日談?」みたいなことを想像してたんですが、最後まで観るとどうも違うような…。たぶんコレ、続編でもスピンオフでもないですねえ。

「だったら何で同じようなタイトルになってるんだ?」との疑問が出て来るでしょうけど、元々この映画の脚本は違うタイトルのオリジナル・ストーリーだったものを、ダン・トラクテンバーグ監督のデビュー作として目立たせるために、J・J・エイブラムスが『クローバーフィールド』という題名で公開した、と言われているらしい。

なのでまあ、「直接的な関連はほぼ無い」と言っていいでしょう。ただし、『クローバーフィールド』に登場した「スラッシュオ!(Slusho!)」という架空の清涼飲料水と、同じ名前の飲み物が今回も出てるので、世界観は繋がっているのかもしれません。

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また、「若い女性が怪しい男に監禁されて脱出するまでの姿を描いた密室スリラー」として観れば、これはこれで十分に面白かったです。登場人物がたったの3人しかいないので話もシンプルだし、ジワジワと狂気が蔓延していく感じが地味に怖い。

特にハワード(ジョン・グッドマン)の”怪しい男ぶり”が強烈でしたねえ。「大気が汚染されて外には出られない」「火星人が攻めて来た」という怪しすぎる説明に、当然ミシェルは「頭がおかしいんじゃないの?」と疑うわけですが、ハワードの言葉を裏付けるような出来事が次々に起こり、「嘘なの?本当なの?どっち?」と疑心暗鬼になっていく。その様子が虚構と現実の境界を揺さぶり、物語をますます混沌とさせていきます。

それから、ストーリーの中で「気になる言葉」や「気になるアイテム」が出て来ると、それらが後半で役に立つという、非常に分かりやすい伏線を張ってあるのも親切で良かったです。冷却スプレーのくだりとか、「ああ、あれがここで出て来るのか」という伏線回収率が凄い(笑)。

賛否が分かれるとすれば、やはりラスト20分の展開でしょうねえ。それまでの雰囲気とは全く方向性が異なる”唐突な転調”に、「え?これってそういう映画だったの?」と驚く人が多数いた模様。「取って付けたようなクライマックスだった」という意見も、あながち間違いではないと思います。「ラストをどう判断するか?」で本作の評価は大きく変わってくるでしょう。

なお、個人的な感覚で言わせてもらえば、ああいうラストなら「予告編でその場面を見せちゃダメだろ」と思うんですよ。「ハワードの妄想だと思っていたら、実は本当に宇宙生物が攻めて来ていた!」という部分が本来サプライズであるはずなのに、事前にオチをバラしてどーすんだ?と。本作に関しては「ポスターや予告編を見るんじゃなかった〜」とつくづく後悔しましたねえ(-_-;)

いや、最初に公開した予告編なら問題なかったんですよ↓

これだったら、地下シェルターの様子しか映っていないし、主人公がどうやって脱出するのかハラハラドキドキ感も伝わるし、「外の世界はどうなっているんだ?」という興味も引っ張ることが出来るでしょう。まあ「画面が地味でインパクトが弱い」と判断したのかもしれません。でも、新しい予告編はほぼラストシーンまで見せちゃってるからねえ…

というわけで『10 クローバーフィールド・レーン』は、「密室サスペンス」で始まり、「ミステリー・ホラー」的な展開でビビらせ、最後は「SFアクション」で終わるという、ジャンルを超越したハイブリッドな映画としてなかなか楽しめましたよ。ただ、こういう映画の場合は、宣伝にもうちょっと気を遣ってもらいたいなあと思いました(^_^;)

『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』ブルーレイ発売決定!

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今年の4月29日に全国613スクリーンで公開され、土日2日間で動員32万2943人、興収4億4880万9900円を記録した人気シリーズ『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』が、早くもブルーレイ化されることになりました。自宅でアメコミヒーローたちの活躍を堪能できますよ(^_^)

これまで力を合わせ、数々の危機に立ち向かい、地球の平和を守ってきたアベンジャーズのメンバーですが、そんな彼らの関係が決裂する前代未聞の超絶バトルを、ドラマチックに描き出した本作はまさに驚きの連続です!

キャプテン・アメリカ、ウィンター・ソルジャー、スカーレット・ウィッチ、ホークアイ、ファルコン、アントマンが「チーム・キャプテン・アメリカ」、そして、アイアンマン、ウォーマシン、ブラック・ウィドウ、ヴィジョン、ブラックパンサー、スパイダーマンが「チーム・アイアンマン」として互いに壮絶な戦いを繰り広げる、そのアクションの凄まじいこと!

また、ロバート・ダウニーJr.、クリス・エヴァンス、スカーレット・ヨハンソン、ジェレミー・レナー、ポール・ベタニー、ドン・チードル、エリザベス・オルセン、トム・ホランドなど、豪華ハリウッド俳優が多数出演している点も見どころですよ。

なお、ブルーレイには映像特典として、製作の舞台裏、未公開シーン、NGシーン集を収録。そして監督らによるオーディオコメンタリーも収録されるらしい。また、オンラインのMovieNEXワールドでは、本編のデジタルコピーが利用できるほか、特別映像やダウンロード・コンテンツ、グッズのプレゼントなども予定されているそうです。



最近の若者が映画館へ行かない13の理由

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どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。

本日は参院選の投票日ですが、皆さんはもう投票に行かれましたか?今回から「18歳選挙権」が導入されるということで、テレビやネットでは頻繁に「最近の若者は選挙へ行かないらしい」「なぜ行かないのか云々」みたいな話題で盛り上がっているようですね。

そういう話とは全く関係なく、先日、会社の飲み会に参加して、普段あまり会話をする機会がない別部署の社員(20代男性)の隣に座ることになったんです。で、飲みながら色々話していると、たまたま映画好きということが判明しまして。当然「チャ〜ンス!」となるわけですよ、周りに映画好きがあまりいないから(笑)。

ところが、話しているうちに奇妙なことに気付きました。なんとその人は、1年に1回程度しか映画館に行ってないと言うのです。いやいや、おかしいでしょ?映画に興味が無い人ならともかく、自分で「映画好き」って言ってんのに年に1回って。普通の人でももうちょっと行ってるんじゃないの?と。

で、良く聞いてみたら、どうやら彼は「家で観る派」らしい。なるほど!映画好きの人たちの間にそんな派閥があったとは初耳ですが、まあいいでしょう。映画観賞のスタイルは人それぞれですから、家でゆっくり観るのも全然アリだと思います。しかし次の瞬間、彼の口から衝撃的な質問が…

「つーか、どうしてわざわざ映画館へ行くんですか?」

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えええええ!?映画を全く観ない人ならまだしも、映画好きがそんなこと聞く?しかも結構ヘビーな質問だぞソレ。今までにも似たような質問をされたことはありますが、まさか同じ映画好きからそんなことを聞かれるとは…。

確かに、最近のニュースでは「若者の映画館離れが深刻」みたいな感じで報じられたりしていますが、実際にはここ20年ぐらいの複合映画館(いわゆるシネコン)の一般化もあって、2000年代には入場者数が若干増加し、2010年にはピークを迎えるなど、むしろ「大健闘している」と言っても過言ではありません。

さらに、4DXやMX4Dなど、劇場の設備もどんどんハイテク化しているし、昨年は「爆音上映」と呼ばれる大音響をウリにした上映形態が話題となり、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』や『ガールズ&パンツァー』を観るために何度も劇場へ足を運ぶファンが続出しました。

なので、「若者の映画館離れ」なんてウソだろうと思っていたのですが、まさかこんな身近に該当者がいたとは(笑)。やはり噂は事実なのだろうか?そういうことが色々と気になったので、逆に「映画館へ行かない理由」を彼に聞いてみました。その答えがこちら↓


1:値段が高い

これは本当に良く言われますね〜。実際、日本の映画観賞料金は諸外国に比べてもトップレベルの高さです。その上、娯楽の種類が多様化している現在では、どう考えてもコストパフォーマンスに優れた遊びとは言い難い。「料金を下げろ」という声が出るのも当然でしょう。

ただ、「料金を下げたら客が増えるのか?」と言われれば、それもちょっと違うような気がするんですよね。「映画観賞」というのは嗜好性の強い娯楽ですから、例え値段が安くなっても、単純に「安いから観に行こう」とはならないと思うんですよ。

あくまでも「観たい映画があるから観に行く」のであって、元々映画に興味がなかった人たちが、安さに釣られて大して観たくもない映画のためにわざわざ映画館へ行くのかな?と。むしろ、全体の収益が下がって映画会社が苦しくなるだけでしょう。

なので、少しでも安く観るために、レイトショーとか劇場の会員限定サービス、あるいは毎月1日に1100円で観られるファーストデイや、毎週水曜日のレディースデイなど、各種割引を積極的に活用する、というのが最も現実的な対応策ではないでしょうか。


2:半年も待てばレンタルできる

これも大きな問題ですね。昔は劇場公開されてからソフトが発売されるまで最低1年以上は期間があったのですが、最近はどんどんサイクルが短くなっています。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』なんて、日本では3月25日に劇場公開が終了したのに、翌月の4月5日には早くも北米でブルーレイが発売されましたからね。

しかもレンタルなら新作でも400円程度で観られるし、「1800円払ってわざわざ映画館へ行く必要がない」となってしまう気持ちも分からなくはありません。ただし、『アナと雪の女王』みたいに大ヒットした映画の場合は、「世間で盛り上がっている話題に乗り遅れたくない!」という心理が働いて観に行ったそうです。

そういう意味では、「映画館で映画を観る」という行為は、「流行りのコンテンツをいち早くチェックできる」という点において、まだまだ有効な手段なのかなと。まあ、その前にヒット作がなければどうにもなりませんが(笑)。


3:時間合わせが面倒くさい

映画の上映時間は1日のスケジュールが決まっていて、観たい映画があったらその開始時刻に合わせて行動しなければなりません。たまたま街へ出ていて「あっ、この映画観たい!」となっても既に始まっている場合は、1〜2時間ぐらい待つ必要があります。「これが面倒くさい」とのこと。

昔の映画館は、映画の開始後でも平気でズカズカ入ってくるお客さんがいたものですが、最近のシネコンではそれが出来ない(途中入場を止められる)場合があるため、余計に面倒くさいという。でも、今はスマホで簡単に上映スケジュールが分かるんだから、事前に調べて行けばいいのでは?それすら面倒くさい?


4:すぐトイレに行きたくなる

これは地味に切実な問題ですねえ(笑)。恐らく、上映前に皆さんトイレを済ませてるんでしょうけど、最近の大作映画は2時間超えがザラにあるし、観賞の途中でコーラとか飲んだりしてると、あっという間に膀胱が危険水域に達してしまいます。

どうしようもない場合はトイレに行くしかないんですが、他の人の前を横切るのに気を遣うんですよね(そのため、通路側の座席ばかりを確保する人もいるらしい)。僕はあまりそういう経験はないんですけど、確かに心理的なプレッシャーみたいなものはあるかもしれません。


5:飲み物や食べ物が高い

これは僕も高いと思う(笑)。ただ、コーラやポップコーンの売り上げは、映画館の収益に直接関わってくる問題だから何とも…。昔はジュースとかパンを劇場に持ち込んで、映画を観ながら昼食を食べたりしてたんだけどねえ。

ちなみに、今までで一番びっくりしたのは、カップラーメンを食べてる人がいたこと。その当時の映画館には、ロビーにカップラーメンの自販機が置いてあって、次の上映が始まる間に食べている人が結構いたんです。でも、まさか上映中に食べるとは思いませんでした(笑)。


6:NetflixやHuluで映画が観放題

最近はこのような「定額制の動画配信サービス」で映画を観る人も増えているようですが、スマホやタブレットやパソコンで(もちろんテレビでも)、好きな時に好きなだけ映画を観ることが出来るというシステムは、映画ファンにとって非常に便利です。

つまり、「映画を観放題な環境が自宅に整っているなら、わざわざ映画館へ行く必要がないだろう」と、こういう理屈になるわけですね。

ただ、現在僕の家はケーブルTVに加入していて、複数の映画専門チャンネルで洋画も邦画も観放題なんですけど、好みの映画ばかりがずっと流れているわけじゃないし、そういう環境であっても、観たい新作映画があれば映画館へ行っているので、今のところ「定額制の動画配信サービスだけでOK」とはならないかなあ。

でも、もし将来的に劇場公開と同じタイミングでオンライン配信が始まったとしたら(料金も同じ1800円を払うと仮定して)、家でゆっくり観る方を選ぶ人が増えるかもしれません。特に、自宅に大型テレビやしっかりした音響設備を備えている場合は、そういう要望が多そう。


7:周りの客が気になる

例えば、隣に座っている観客がポップコーンをボリボリ食べていたり、後ろから座席をキックされたり、目の前に座っている観客の座高が異様に高くてスクリーンが全然見えなかったり、映画館にはストレスを蓄積させる要因が確かに多いです。

実際、「隣で熟睡しているおっさんのいびきがうるさすぎて画面に集中できなかった」という苦い経験もありましたから(ただし、僕の場合は仕事終わりのレイトショーで観るパターンが多いので、このような不満は意外と少ないんですが)。

基本的に「マナーの悪い客が多い時期」というのは、ゴールデンウィークや盆や正月、あとはクリスマスシーズンなど、「普段あまり映画館へ行かない人たちが集まる時期」と重なるため、なるべくそういう時期を避けるのがベターでしょう(とは言え、大勢で観に行く時などはそうもいかないので、ケースバイケースで対処するしかない)。


8:気付いたら左右のドリンクホルダーを占領されてた

出ました、映画館あるある(笑)。たぶん、皆さんも座席に座る時に「あれ?どっちのホルダーを使えばいいんだろう?」と迷った経験があるんじゃないでしょうか?実はこれ、明確なルールが無いんですよね。

例えば、一番右端の人は「右側」を使うし、左端の人は「左側」を使うでしょう。これは迷いがありません。ということはつまり、それ以外の席では「左右どちらを使ってもOK」ってことなんですよ(実際、映画館側も指示していないし、座席を作っているメーカーも、どちらのホルダーを使うかまでは想定していない)。

ただし、一般常識的なマナーとしては、「右側」を使用することが望ましいようです。これは、世間一般に右利きの人が多いため、必然的に右側に置く方が使いやすいだろう、との判断によるものだとか(右側にホルダーが無い場合は左側を使うしかありませんが)。

昔はTOHOシネマズの上映前映像で、「ホルダーは右側を使ってください」的な注意事項が流れていたようですが、最近はそういうのもなくなって、観客の自由意思に任されています。

でもそうなると、右側に座っている人が右に置き、左側に座っている人が左に置き、気付いたら自分の置く場所がなくなって、映画が終わるまでずっとドリンクを持ち続けなければならないという悲惨な状況に…。皆さん、映画館ではマナーを守りましょう(^_^;)


9:上映中にタバコが吸えない

う〜ん、タバコねえ…。僕はタバコを吸わないので良く分からないんですけど、そんなに頻繁に吸いたくなるものですかね?2時間ぐらい我慢しましょうよ。


10:上映中に会話ができない

「知り合いと観に行っていて、良く分からないシーンが出て来た時、”今の何?”とすぐに聞けない環境が嫌」なんだそうです。まあ、分からなくはないんですが、映画が終わった後にいくらでも話せるんだから、それぐらい我慢してください。


11:上映中にスマホが見られない

我慢しろ。


12:「映画泥棒」のCMを見るとドキドキする

……お前、絶対なんかやらかそうとしてるだろ?


13:一緒に行ってくれる彼女がいない

知らんがな!

…とまあ、こんな感じで最近の若者に「映画館へ行かない理由」を聞いてみたところ(途中で何だか良く分からない回答もありましたがw)、要約すると「家でゆっくり観る方が自由で気楽だし何より安いから」という、非常に真っ当な意見だったようです。

僕らのように昔から映画館へ通っている人間は、「2本立て・3本立ての興行形態」や、「一度入場すれば入れ替えなしで何度でも観賞できる」ということを経験しているため、「映画を映画館で観る」というスタイルにそれほど抵抗がありません。

でも、そういった経験がない今の若い人たちは、「そもそも映画館へ行くのはコスパが悪い」というネガティブな認識からスタートしているため、「だったら気楽で安価なメディアを選ぶ」という発想へ向かうのは自然な流れなのでしょう。

ただ最近、ニュースを見ていて驚いたことがありまして。映画を観ている観客がスクリーンに向かって大声で声援を送る「応援上映」なるものが話題になってるらしいんですよ。要は、映画館をライブ会場に見立てて、自分の好きなキャラクターを応援するっていう上映形態らしいんですが、今はこういうものが流行ってるんですねえ。すごい時代になったもんだ(笑)。

「上映中はお静かに!」というお馴染みのアナウンスとは真逆の状況なわけですが、4DXの導入で一気に映画館の「アトラクション化」が進んだように、応援上映で映画館の「ライブ会場化」が加速するのかもしれません(笑)。まあ賛否はあるでしょうけど、「映画館における新しい楽しみ方」が生まれ、それによって「映画館へ行く理由」が増えるのは、むしろいいことなんじゃないかな?と思いました(^_^)

『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』ネタバレ感想/評価

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■あらすじ『1996年に勃発したエイリアンの地球侵略から約20年。この死闘で勝利を得た人類はエイリアンの船の残骸から彼らの技術を解析し、それらを元に大幅な文明の進歩を遂げた。その後、月をはじめとする太陽系の各惑星に前線基地を設営し、さらに次世代兵器の開発と量産を推し進めていった。そんな中、アフリカ大陸に落ちていたエイリアンの艦が突然起動。科学者のデイヴィッド(ジェフ・ゴールドブラム)たちが調査したところ、この船から宇宙に向けてある信号が発信されていたことを突き止める。それと同時期に、エリア51に監禁されていたエイリアンの生き残りたちが騒ぎ始め、エイリアン軍の本隊が地球に接近している事実が明らかとなった。世界滅亡のカウントダウンが迫り来るなか、人類はいかなる反撃に打って出るのか?ディザスター・ムービーの巨匠:ローランド・エメリッヒ監督が、過去最大の圧倒的スケールで贈るSFスペクタクル超大作!』


※以下の記事はネタバレしています。まだ映画を観てない人はご注意ください。


どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。昨日から三連休という人も多いと思われますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?僕は早速、ローランド・エメリッヒ監督の最新作『インデペンデンス・デイ: リサージェンス』を観て来ましたよ。

世界中で大ヒットを記録したSFパニック超大作の20年ぶりの続編ということで、公開規模はなんと全国963スクリーン、初日の2日間で動員38万1521人、興収5億7022万5600円を稼ぎ、初登場第1位を獲得したそうです。20年経っても凄い人気ですね〜。

さて、この映画を語る前にまず確認しておかねばならない「重要事項」がありまして…。それは「前作をどのように評価しているか?」ということです。もし、前作を観て「全然面白くない!」と感じた人は、恐らく本作も全く楽しめない可能性が高いので、潔くスルーした方がいいでしょう(笑)。

というのも、前作から20年経っているにもかかわらず、内容はあまり変わってないからです。相変わらず、「宇宙からでっかい宇宙船が攻めて来て地球が大ピンチだー!」「何とかしろー!」「宇宙人の弱点を見つけたー!」「よっしゃー!俺がやるー!後のことは頼んだぞー!」「ドッカーン!」という感じの映画なんですよ(笑)。正直、全く何も変わってません(^_^;)

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強いて変化したところを挙げるなら、「宇宙船のサイズがでかくなった」とか、それぐらいですね。とにかく、ストーリーはもれなく酷いです(笑)。前作も突っ込みどころ満載だったんですが(というよりエメリッヒ監督の映画はだいたいそんな感じですが)、今回は酷さにブーストがかかっているというか、最後まで観たら確実にIQが下がりそうな映画でしたねえ(^_^;)

だがしかし!

そういう評価はあくまでも「前作が全然面白くなかった」と感じた人だけであり、「いや、前作面白かったよ!」という人は、また違った評価になるんじゃないでしょうか?何を隠そう、僕は前作を結構楽しんだんですよね。いや、ストーリーは確かに酷いんですよ。そこは間違いありません(笑)。

ただ、前作の何が良かったかというと、「複数の家族の物語を同時並行的に描き、それぞれのドラマを綺麗に昇華させている」という点が素晴らしかったんです。全世界的規模の大災害が起きている中で、「戦闘機パイロットの家族」、「大統領の家族」、「技術者の家族」、「酔っ払い親父の家族」など、色んなドラマを実に丁寧に見せていました。

だからこそ、映画を観ている観客はそれぞれのキャラクターに感情移入でき、その結果、「大統領の演説シーン」や「酔っ払い親父の特攻シーン」など、「SF映画史に残る名場面」と呼んでも過言ではないほどの感動シーンが生まれたのです。

もちろん「ご都合主義だ!」と批判されるようなシーンも少なくありませんが(というより、ほぼ全編そんなシーンばっかりですがw)、これだけ大勢の登場人物にきちんと見せ場を作り、全部のキャラに感情移入させ、最後は一つに収斂させるという離れ業をやってのけた群像ドラマって、なかなか無いんじゃないかと。

そういう意味で、前作『インデペンデンス・デイ』は非常に良く出来たディザスター・ムービーだと思ったわけです。では、その続編となる『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』はどうだったのか?と言うと…。

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まず、前作の主人公だったスティーブン・ヒラー大尉(ウィル・スミス)がいきなり死んでて衝撃を受けました。それもテスト飛行中の事故で死亡したって…。噂によると、ウィル・スミスが高額のギャラを要求したせいで監督が怒ったとか、スケジュールが合わなくて出演できなかったとか、色々言われているようですが、ウィル・スミス本人は「出たかったのにとても残念だ」とコメントしています。

その代わり、今回はスティーブン・ヒラーの息子のディラン・ヒラー(ジェシー・アッシャー)が新登場。前作では小さな子供だった彼が、父の後を継いで立派なパイロットになり、人類の存亡をかけてエイリアン軍団と戦います。なかなか”燃える展開”と言えるでしょう。それはいいんですが、どうもイマイチ存在感が薄いような…。

というのもディランの場合、父親がすでに死んでいて、母親も物語の途中で死亡し、一人も家族がいなくなってしまうのです。にもかかわらず、彼のことを優しく愛してくれるようなキャラクターが出て来ないのですよ。これは、いくらなんでも可哀想すぎるのでは…?

例えば、ディランのライバル的な役割のジェイク・モリソン(リアム・ヘムズワース)の場合は、ホイットモア元大統領(ビル・プルマン)の娘・パトリシア・ホイットモア(マイカ・モンロー)という恋人がいるし、デイヴィッド・レヴィンソン(ジェフ・ゴールドブラム)にもDr.キャサリン(シャルロット・ゲンズブール)というパートナーがいます。

さらにジェイクの友人のチャーリーでさえ、中国人枠のレイン・ラオ中尉(アンジェラベイビー)にアプローチをかけまくって、最後は何となくいい感じになっていました。それなのに、ディランだけ一人ぼっちって…。こんなに寂しそうな主人公、初めて観ましたよ(-_-;)

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また、ディラン以外の新キャラたちも、活躍シーンが多い割には印象に残るような場面が少なくてガッカリしました。というより、この映画で目立っているのは、ブラキッシュ・オーキン博士(ブレント・スパイナー)やデイヴィッドのお父さんのジュリアス・レヴィンソン(ジャド・ハーシュ)など、主に前作で活躍したキャラクターたちなんですよね。

新登場のキャラに関してはあまり魅力的に見えないというか、物語序盤から登場している会計監査係のメガネ男なんて、大して役にも立たないくせに出番だけが妙に多いという謎の構成にイライラしましたよ。あいつの登場シーンを全部カットして、主人公たちのバックボーンをもっと丁寧に描いて欲しかったなあ。

そんな中でも、旧キャラと新キャラのリンクが割と上手くいっていたのは、ホイットモア元大統領とパトリシアのエピソードでしょうね。「我が娘のことを想いながら敵の母船に新型戦闘機で突っ込む」という展開は、前作の「飲んだくれ親父(ラッセル・ケイス)が家族のことを想いながらF/A-18戦闘機で突っ込む」という展開とほぼ同じでワクワクしました。

ただ、本来なら感動的なシーンになるはずだったのに、残念ながら本作では、この特攻が決定打にならないんですよねえ。「やっつけたか?」と思ったら、実はクイーン・エイリアンが生きていて、デイヴィッドたちが乗っているバスに襲いかかるという、「まだ終わってませんよ」的な展開にションボリ。

どうせ特攻するなら、「クイーン・エイリアンが出て来た後」の方が良かったんじゃないですかね?娘のパトリシアが地面に不時着すると、突然クイーン・エイリアンが現れて襲いかかって来た!と。このままではやられてしまう!その時、全弾を撃ち尽くした元大統領が、娘を救うために戦闘機ごとクイーン・エイリアンに突っ込む!パトリシアは助かり、地球の危機も回避された!と。

こういう展開なら、命懸けの特攻も無駄にならずに済むし、「父と娘のドラマ」もしっかり描けたんじゃないでしょうか?今回残念だったのは、各キャラクターの活躍がバラバラで、感動的な場面を形成するためのリンクが有効に機能していない、という点なのです。もう少しその辺に気を遣ってもらえたらなあ…。

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もちろん映像的には、前作から20年も経ってるわけですから、技術の進歩に伴って凄まじいビジュアルが炸裂していました。でも、ストーリーは相変わらずグダグダで、突っ込みどころは前作よりも多くなり、しかも「前作のような感動的な名場面が見当たらない」となれば、「単なる大味なSF超大作」と判断せざるを得ません。

別に、エメリッヒ監督の映画に何かを期待してたわけじゃないんですが、「前作みたいな群像ドラマが今回も観られるかな〜?」と、そこだけは多少楽しみにしてたんですけどね。まあ、そこが気にならない人にとっては可もなく不可もなく、「いつも通りのエメリッヒ映画」です(笑)。最新VFXの限りを尽くしたド派手な戦闘シーンや巨大宇宙船を、ぜひ劇場の大画面でお楽しみ下さい(^_^)

ちなみに、終わり方が続編を匂わせるようなラストになってて、その辺も気になりました(「恒星間航行が可能になるぞ!」とか何とか)。元々、この映画は前後編2部作で製作される予定だったらしいのですが、色々な事情で「とりあえず前編だけ作ろう」となったみたいですね。

なので恐らく、次回作では地球人側が巨大な宇宙戦艦を作って、ワープ航法か何かで敵の惑星に殴り込みをかける「宇宙戦争映画」になるのではないかと。宇宙から飛んで来た”白い巨大な玉”の中にはエイリアンに対抗できる未知のテクノロジーがいっぱい詰まっているみたいなので、きっと波動エンジンの作り方も載っているのでしょう。いや〜、楽しみだな〜(ウソ)


※ローランド・エメリッヒ監督の映画を観たことがない人は、以下の作品のどれかを観れば、だいたい傾向が分かると思います(^_^)

GODZILLA[60周年記念版] [Blu-ray]
東宝 (2014-07-16)

ゴジラファンの間では評判の悪い通称”エメゴジ”。ただ「ゴジラと思わなければ意外とイケる」という本末転倒な意見もあり。

デイ・アフター・トゥモロー [Blu-ray]
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (2012-09-05)

「世界中の気温が下がって人類が大ピンチだー!」という映画。エメリッヒ作品の中では意外と評価が高い。

2012 [Blu-ray]
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント (2010-10-27)

「大地震や巨大津波で地球が大ピンチだー!」という映画。相変わらず突っ込みどころしか無いストーリーだが、娯楽作品としてはまあまあ良く出来ている。

ホワイトハウス・ダウン [Blu-ray]
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント (2014-06-04)

「ホワイトハウスが占拠されて大統領が大ピンチだー!」という映画。エメリッヒ監督が『ダイ・ハード』を撮るとこうなる。

ネタバレ!細田守監督『バケモノの子』がモヤモヤする16の理由

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■あらすじ『この世には、人間の世界とは別にもう一つ、バケモノの世界があるという。ある日、バケモノ・熊徹(役所広司)に出会った少年・蓮(宮崎あおい)は強さを求め、バケモノの世界へ行くことを決意した。蓮は熊徹の弟子になり、”九太”という新しい名前を授けられる。最初はいがみ合っているものの、やがて修業を通じて互いに成長していく2人。しかし、九太(染谷将太)が17歳になったある日、偶然にも元いた世界へ戻ってしまう。そこで出会った少女・楓(広瀬すず)の導きによって、彼は進むべき未来を模索し始めるのだった…。大泉洋、リリー・フランキー、津川雅彦など、豪華キャストが集結!「おおかみこどもの雨と雪」の細田守監督が贈る、愛と感動の冒険ファンタジー!』


※この記事にはネタバレが含まれています。まだ映画を観ていない人はご注意ください。


本日、金曜ロードSHOW!にて細田守監督最新作『バケモノの子』が放送されます。2015年の夏に劇場公開され、日本中で大ヒットした作品が、早くも地上波で放送されるということで、楽しみにしている人も大勢いるんじゃないでしょうか。

だがしかし!

本作が公開された当時、その内容に関して世間の評価は賛否両論真っ二つに分かれました。”賛の評価”としては、「幅広い層に向けた王道のファンタジーが良かった」「ダイナミックなアクションがカッコいい」「父と子(師弟関係)のドラマが感動的」など。

一方、”否の評価”としては、「前半は良かったが後半はグダグダ」「ストーリーが支離滅裂で意味不明すぎる」「ヒロインに共感できない」などの意見が目立っていたようです。う〜ん、これほどの人気作品でも、観た人の感想は大きく異なるものなんですねえ。

ちなみに、公開当時は僕も劇場へ観に行ったんですが……どちらかと言えば”否の評価”の方に同意できるかな〜、って感じでした。いや、もちろん良い部分もたくさんあって、「全部がダメ」ということではありません。ただ、話の展開に不自然な場面が見受けられたり、モヤモヤする部分が多くて上手く世界に入り込めなかったんですよ。

そんなわけで、本日のレビューは「かなり批判的な目線」になってしまいました。もし、この映画を好きな人が読んだら気分を害するかもしれません。そうなったら非常に申し訳ないので、『バケモノの子』のファンの人は以下の文章を読まずに、このままそっとブラウザを閉じることをお勧めします。何卒ご了承くださいませm(_ _)m

さて、僕が本作を観て感じたことなんですけど、他の人の意見にもあるように、前半は良かったんですよ。主人公の蓮が家を飛び出し、渋谷の街を彷徨っている時、熊鉄たちに出会って”渋天街”へ迷い込み、9歳から17歳までひたすら修業に励む。そんな異世界での8年間がとても面白くて、「楽しい映画だなあ」と思いながら観ていました。

ところが、青年になった九太が再び人間界へ戻ってくる後半になってから、急激に面白さが失速するんです。いったいどうしてなのでしょうか?その理由を検証してみました。


●人間界へ戻った九太の行動に違和感

まず、この物語の主人公は幼い頃に異世界へ迷い込み、そのまま8年間そこで暮らすことになります。そして17歳になったある日、偶然にも人間界へ戻ってきます。普通なら、8年ぶりの故郷がどんな風になっているのか気になってあちこち見て回るとか、あるいは「ここに自分の居場所は無い」と判断して元の異世界に戻るとか。

そういう心境になると思うのですが、なぜかいきなり図書館へ行って本を読み始めるのです。いやいや、おかしくない?仮に「渋天街には本がないから、久しぶりに本を読みたくなった」としても、その前に本を読みたそうにしている様子など、全く描かれてないんですよ。にもかかわらず、故郷に戻っていきなり図書館って、展開が唐突すぎるでしょ?

せめて「主人公が無類の本好き」みたいな設定にしておくとか、何かのきっかけで本を読みたくなったとか、図書館へ行くための動機をきちんと示してくれないと、キャラクターの行動に必然性が無さすぎて、観ている方も納得できません。ここはちょっと違和感がありましたねえ。


●図書館へ行った理由

実はこのシーン、小説版を読むと九太が図書館へ行った理由が詳しく書かれているのです。それによると、「久しぶりに人間界へ戻った九太は、街中に溢れるおびただしい数の文字を見て吐き気に襲われた。文字を強制的に浴びるのはもうたくさんだ。どうせなら自分の見知った文字がいい。そうすれば、子供の頃の感覚も少しは取り戻せるかもしれない」と考え、図書館へ行って本を探していた、ということらしい。

でも映画では、こういう経緯が全く描かれていないし、そもそも理屈として明らかにおかしいんですよね。大量の文字を見て吐き気に襲われた人が、「よし、図書館へ行って本を読もう!」って心境になりますか?むしろ「本なんて読みたくない!」ってなるんじゃないの?作り手側は、主人公をどうしても図書館へ行かせたかったようですが、その手順が強引過ぎて、キャラクターの思考や行動がムチャクチャになってるよ!


●『白鯨』を選んだのは偶然だった

そして九太は、図書館でハーマン・メルヴィルの『白鯨』を手に取ります。なぜこの本を選んだのかというと、子供の頃に読んでいた思い出の本だから……じゃないんですよ!実は、彼が昔読んでいた本は児童版で、『白クジラ』という別のタイトルだったんですね。

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そのため、九太は表紙の漢字が読めず、側にいた女の子に「これ、なんて読む?」と尋ねているのです。そして「くじら」と教えてもらって初めて「ああ、くじらか」と分かる。つまり、『白鯨』というタイトルの本を探して手に取ったんじゃなくて、たまたま手に取った本が『白鯨』だったのですよ。

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だったら、まず児童書のコーナーへ行って、「思い出の本を探す」という流れにした方が、心理的にもドラマ的にも自然だったんじゃないかなあ(なぜ世界文学全集を選ぶ?)。これじゃ、「主人公とヒロイン(楓)が出会う」というきっかけを作るための、単なるご都合主義にしか見えません。

ちなみにこの『白鯨』という小説は、楓(かえで)の説明によれば「主人公が自分の片足を奪った憎い鯨に復讐する物語だけど、主人公は鯨と戦っているようで、実は自分自身と戦っている。つまり鯨とは自分を映す鏡ではないか?」とのことで、クライマックスのバトルシーンを暗示させています(鯨に変身した一郎彦=自身の心の闇)。

なので、非常に重要なアイテムではあるんですが、終盤の戦闘シーンでたまたま路上に落とした『白鯨』を一郎彦が拾い上げ、「クジラ…」とつぶやいたら巨大な鯨が出現するという、あまりにも脈絡のない展開に首を傾げざるを得ませんでした(もし違う本だったら違うものが巨大化したの?)。

●一郎彦はなぜ「鯨」を読むことができたのか?

その「『白鯨』を一郎彦が拾い上げるシーン」にもモヤモヤがありまして…。バケモノの世界では、「思想」は尊ぶが「文字」は軽んじ斥ける習慣がある、みたいな設定になっています。過去の賢人も「生きておる智慧が、文字などという死物で書き留められるわけがない」と教えているため、ほとんどのバケモノは読み書きができません。

しかも一郎彦は、赤ん坊の頃に拾われてずっとバケモノの世界で暮らしていたのです。にもかかわらず、9歳の頃まで人間界に住んでいた九太でさえ読めなかった「鯨」という文字を、どうして読むことができたのか?と映画を観た多くの観客から疑問が噴出した模様。

実は、この答えも小説版に書いてあるんですよ。渋天街にも一応”学校”があり、最低限の読み書きを学ぶことが出来ると。さらに、一郎彦のような優等生はもっと特別な学習を受けさせてもらえるため、人間界の少年とほぼ変わらないぐらいの知識を持っているらしい。

だから一郎彦は、九太たちが落とした本を拾ってすぐ「鯨」という文字を読むことが出来た、というわけです。ただ、映画の中ではそこまで詳しく描写していないので、このシーンを観た観客は「なんでだよ?」「おかしいじゃないか!」と疑問に感じてしまったのでしょう。


●ヒロインを助ける主人公がありがち

九太と楓が図書館で出会った後は、「不良に絡まれているヒロインを主人公が助ける」という、今時、少女漫画でもこんなベタな展開はないだろうと思うような、よくある定番シチュエーションが飛び出します。

まあ、それはいいんですが、「図書館にあんなヤツいる?」とか「そもそもあいつら何のために図書館へ来てたんだ?」とか、不良集団の存在自体に現実味がなさすぎてガッカリ。

これって要するに「主人公とヒロインを親密にさせるきっかけ」を作りたいだけで、彼らを”単なるコマ”としか見なしていないんですね。だから、「ヒロインが不良に絡まれる」というテンプレート通りの展開にしかならないし、目新しさも工夫も感じられないのですよ。


●記号的なキャラ

こういう違和感は他にもあって、例えば冒頭に登場する九太の親族の人たちは、ひたすら「嫌な人間」として描かれ、物語が終わってからも彼らがどうなったのか全く情報が出て来ません。しかも意図的に顔を隠され、個性のないロボットのような存在と化しています。

これも、いわゆる「子供の気持ちを理解しようとしない身勝手な大人たち」という定型表現であり、この映画に登場する”悪意ある集団”が極めて記号的に描かれていることが分かります。でも、それって結局「ストーリーを進行させるための単なるコマ」としてキャラクターを扱っているだけだから、映画全体がもの凄く作為的に見えてしまうんですよ。

「ああ、嫌味な親戚が現れたから、このあと主人公が反抗して家を飛び出すんだな」とか、「ああ、悪そうな連中が出て来たから、このあとヒロインが絡まれて主人公が助けるんだな」みたいな感じで、ドラマの段取りが全部見えちゃうんです。

「所詮アニメーションなんて作為のカタマリだろ」と言われれば、確かにその通りではあるんですけど、それを感じさせないように出来るだけ自然な流れで見せることが監督の手腕なのに、思い切り作為を感じさせてどーすんだ、と。この辺はもう少し工夫して欲しかったですねえ。


●多々良や百秋坊は仕事をしてるの?

「キャラクターに対する違和感」という点では、多々良や百秋坊も気になりました。熊徹と暮らすことになった九太がよっぽど気になるのか、彼の側から決して離れようとせず、常に熊徹の家にやって来て見守っているのです。

それどころか、宗師さまの指示で全国各地の賢者に会いに行くことになった時も、「俺たちも一緒に付いて行ってやるよ」みたいな感じで、わざわざ諸国巡礼の旅に同行しているのですよ。お前ら、仕事はしてないのか?と(笑)。まあ、その辺はあまり真剣に考えても仕方がないのかもしれませんが。

実は、熊徹・多々良・百秋坊の三人の関係性は、トム・セレックやスティーブ・グッテンバーグが主演した1987年のコメディ映画『スリーメン&ベイビー』の影響を受けているのだそうです。細田監督によると「最初から想定していたわけではなく、作っているうちにだんだん『スリーメン&ベイビー』みたいになってきた」とのこと。

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ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント (2004-06-18)

『スリーメン&ベイビー』の内容は、「ニューヨークで優雅に独身生活を満喫していた3人の男たちが、ある日、捨てられていた赤ん坊を見つけたことで悪戦苦闘するはめになる」という、子育てコメディです。『バケモノの子』では、熊徹・多々良・百秋坊の三人が九太を育てる保護者みたいな役割になっていて、「確かに似てるかも」と感じました。

ちなみに、多々良や百秋坊は昭和の邦画界で活躍した俳優を元に作られたキャラクターで、『七人の侍』に出演した多々良純と千秋実がモデルだそうです(熊徹のモデルは三船敏郎)。

なお、細田守監督は黒澤明の映画が大好きで、『バケモノの子』の打ち合わせをする際は、スタッフと一緒に『七人の侍』や『用心棒』や『羅生門』など、過去の黒澤作品を観て参考にしたらしい。

その他、「師匠のもとで弟子が修業する」という部分は、ジャッキー・チェンの『スネーキーモンキー蛇拳』から影響を受けているとか、カンフー映画のオマージュもいくつか見受けられました。特に「熊徹の足運びをマネして九太が動きをマスターしていく場面」は、完全に『スネーキーモンキー蛇拳』をリスペクトしているそうです。

細田監督曰く、「あれを入れないと、『蛇拳』を観てこの映画を作ったということが伝わらないので、実は無理やり入れました(笑)」とのこと。そんなに『蛇拳』にこだわってたのか(^_^;)

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●熊徹が贔屓(ひいき)されている

これは映画全般に言えることなんですが、どうもウサギの宗師さまが熊徹を特別扱いしすぎているような…。例えば、次期宗師の資格は「強さ・品格・素行とも一流」という条件なのに、熊徹はどう見ても”強さ”以外の条件に当てはまっていません。にもかかわらず、候補者が熊徹と猪王山の二人だけっていうのは、その時点でもう猪王山で決まりじゃないの?と(笑)。

「品格や素行を直した上で、熊徹の名前が候補に上がる」というのならまだ分かるんですよ。でも、今の状態では候補者になることすら出来ないはずです(条件を満たしてないんだから)。これでは、「あのウサギ野郎が裏からこっそり手を回して熊徹を候補者に加えさせたのでは…」と疑わざるを得ません。

それから後半、宗師の座をかけて猪王山と戦う場面(この時点でもまだ熊徹の素行は悪いまま)。猪王山の猛攻撃を受け、熊徹は意識を失って倒れます。そして審判がカウントを取り始めるんですが、「八つ」まで数えた直後に九太が現れ、そこでカウントが止まるんですよ。

さらに「なにやってんだバカ野郎!さっさと立て!」という怒鳴り声を聞いて熊徹が目を覚まし、「うるせえ!勝手に出て行ったくせによくもノコノコ顔を出せるな!」と言い争いが始まる。その間、試合は中断され、審判も周りの観客も文句を言わずに見てるだけ。これってズルくないですか?

その後、試合が再開されると、今度は猪王山が熊徹のパンチを食らって倒れます。すると、審判は全く滞りなくカウントを数え終わり、あっさりと猪王山が負けてしまうのですよ。ええええ?なんで猪王山の時には誰も助けようとしないの?熊徹ばっかり贔屓すんなよ!

まあ、ルールでは「十拍の間、失神していた者は負け」となっているので、熊徹が自力で10カウント以内に意識を取り戻していたなら負けではないのですが…。しかし、そうだとしても猪王山が気の毒でなりません。そりゃあ一郎彦が怒るはずだよ(笑)。なお、このシーンの疑問点については、下記のブログで詳しく検証されていたので参考までに↓

検証!?「バケモノの子」における「疑惑の9カウント」問題(ネタバレ)


●ヒロインがウザい

今回、意外に多かったのがヒロインに対する批判だそうです。なかなか珍しいんじゃないですかね、ここまで嫌われてるヒロインって(笑)。まあ、個人的には別に嫌いじゃなかったんですけど、ある特定のシーンで「なんだこいつ?」と思ってしまいました。

それは暴走した一郎彦が巨大なクジラと化して九太を攻撃する場面。そこへいきなり楓が飛び出して、以下のキメ台詞を言い放つんです。

「あなたは何がしたいの?憎い相手をズタズタに引き裂きたい?踏みにじって、力で押さえつけて、満足する?あなたはそんな姿をしているけど、報復に取りつかれた人間の闇そのものよ!誰だってみんな等しく闇を持ってる。蓮くんだって抱えてる。私だって!…私だって、抱えたまま今も一生懸命もがいてる。だから、簡単に闇に飲み込まれたあなたなんかに、蓮くんが負けるわけない。私たちが負けるわけないんだから!」

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一瞬、もの凄くカッコいいセリフみたいに聞こえますが、良く考えたら楓は一郎彦のことをほとんど何も知らないはずだし、そもそもこの日まで会ったこともないわけですよ。それなのに、さも自分は何でも知ってるわよ的な目線で説教を垂れるという勘違いぶりにモヤモヤ。せっかくのキメ台詞も全く心に響きません。それ故に、多くの観客から反感を買ってしまったのでしょう。

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実はこのシーンの前に、九太がお父さんと再会して「一緒に暮らそうか、どうしようか」と悩む場面があるんですね。その時、お父さんが「少しずつやり直そう。今までの辛いことは全部忘れて…」と語りかけるんですが、この言葉に九太が激怒。

「なんで辛いって決め付けるんだよ?父さんは俺の何を知ってるんだ?何も知らないくせに、知ったようなことを言うなよ!」と猛反発します。これと同じく、赤の他人の楓に一方的な決め付けで説教を食らった一郎彦も、「お前に俺の何が分かるんだよ!」と言い返したい心境だったんじゃないかなあ(笑)。


●父親はなぜ失踪したのか?

そのお父さんなんですけど、なぜ幼い九太と母親を置いて家を出て行ってしまったのでしょうか?映画の冒頭で、親戚の人たちがマンションにやって来た時、九太は「父さんはなんで来ないの?」と尋ねています。その後、「お前らも、父さんも、全部大嫌いだ!」と叫んで部屋を飛び出しました。どうやら、自分たちを置いて出て行ったお父さんを憎んでいる様子。

なので、もしかして「ギャンブル好きのダメ親父が多額の借金を作った挙句、若い女と浮気して行方不明に…」みたいな、割と良くあるパターンなのか?と思いきや、人間界へ戻った九太が捜し当てた実の父は、優しくて真面目そうな雰囲気で、どう考えても妻と子供を残して失踪するような人には見えません。

ではいったい、どうして九太のお父さんは突然いなくなってしまったのか?劇中では詳しく描かれていませんが、恐らく九太の両親は「駆け落ち」みたいな形で結婚したのでしょう。母親の方は良家のお嬢さんで、結婚を反対されていたけれど、身内の反対を押し切って一緒に暮らし始めたようです(三人が写っている写真はその頃のもの)。

しかし、彼らの暮らしていたアパートが親戚たちに見つかって、無理やり父親から引き離されてしまいました。その後、母親は仕方なく九太と二人で暮らし始めたものの、間もなく交通事故で他界して…という流れだったようです(九太と母親が住んでいたマンションは親戚が用意したものらしい)。

まあ、その後無事に再会して、最終的に九太も人間界に戻って、親子仲良く暮らしましたとさ、メデタシメデタシ…で終わってるんだけど、お父さんの存在感が薄いんですよね(苦笑)。もうちょっと、互いの気持ちをぶつけ合うような場面があっても良かったのになと。

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●大事故でも犠牲者なし

熊徹が付喪神に転生して大太刀に姿を変えたり、九太の胸の剣になったり、色々あって一郎彦の鯨をなんとか撃退し、渋谷の騒動は無事に収まりました。しかし、大型トレーラーが車列に突っ込み、大爆発を起こして辺り一面火の海となる大惨事が勃発したため、さぞや大勢の犠牲者が出たのでは…と思いきや、なんとまさかの死傷者ゼロ。

どうしてこうなったかと言うと、もしケガ人や死者が出たりしたら、一郎彦がその罪を背負わなければならない。でも彼は”闇”に心を支配されていたから、その時の記憶がないんです。そんな状態で罪を背負わせるのは可哀相だし、物語がハッピーエンドで終われません。

そこで、わざわざ「爆発事故が起こったが、奇跡的に重傷者は出ていない」と事故のニュース映像を流し、映画を観ているお客さんに「大丈夫です!彼は誰も傷つけていませんよ!」とアピールして安心させようとしてるんですよ。まあ、細田監督の配慮なんでしょうけど、こんな大事故で死傷者ゼロって、いくらなんでも無理がありすぎるだろ(苦笑)↓

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●セリフでなんでも説明しすぎ

あと、映画全般において気になったのは、「状況や心情をセリフで説明しすぎている」という点ですね。例えば、主人公が初めて異世界に迷い込んだシーン。バケモノだらけの街を見て驚いた九太は、来た路地へ引き返そうと後ろを振り返るが、なぜか壁で塞がれていて戻れない。

そこで「あれ?今来たはずの道がない!」と言葉を発してるんですけど、来た道がなくなっているのは映像を見れば誰でも分かるし、壁をペタペタ触る動きでも表現しているのだから、わざわざセリフで説明する必要はないわけです。

終盤の闘技場のシーンでも、多々良と百秋坊が「見ろよ、あいつの顔、笑ってやがる」「九太と一緒に稽古している時の顔だ」「まさか!試合中だってのに」などと細かく熊徹の心情を解説していますが、本来は映画を観ている観客がそれぞれの考えで判断するような事柄を、全部言葉で説明してるんですよ。

こういう”過剰な説明セリフ”を多用しているのは、もしかしたら「映画を出来るだけ分かりやすく見せたい」という細田監督の親切心なのかもしれません。しかし「多くの観客に分かりやすく見せること」は、「キャラクターの気持ちや作品の主張を口に出して語らせること」とイコールではないのです。

むしろ、観客に考えさせる余地を与えない、”思考の権利を奪う無粋な行為”とすら言えるでしょう。細田監督は「ここまで何もかも言葉で説明しなければ、最近の観客は内容を理解できない」とでも思っているのでしょうか?もしそうだとすれば、観客の理解力を信用しなさすぎですよ。

そこで「いったいどうしてこんなことになってしまったのだろう?」と気になって調べてみたら、衝撃の事実が発覚!なんと、「セリフで何もかも説明する」という今回の演出は、細田監督の判断で意図的にやっていたらしいのです。以下、製作に関わった川村元気プロデューサーのコメントより↓

大事なことをちゃんとセリフで言おうというのも今回のテーマの一つとしてあって、セリフも音楽も盛り盛りで、というのは黒澤イズムですよね。活劇を大作でやろうとした時に、細田監督の中でどうしても黒澤映画が教科書になってきたんだと思います。 (「SWITCH 2015年7月号」より)


川村プロデューサーのコメントによると、今回「大事なことをちゃんとセリフで言おう」と細田監督が掲げたテーマは、黒澤映画の影響を受けたから、ということらしいのですが、黒澤作品ってそんなに説明セリフが多かったっけ?う〜ん、釈然としないなあ。なお、この件に関しては下記のサイトで詳しく考察していたので参考までに↓

最初から最後まで登場人物が自分の心情と行動をすべてをセリフで説明する史上最悪の副音声映画『バケモノの子』


●脚本が悪い?

さて、最初に述べたように『バケモノの子』は世間の評価が賛否両論真っ二つに分かれた映画なんですけど、”否の評価”として多かった意見の中に「脚本がダメ」というものがありまして。実は、今回の映画は細田監督の初脚本作品なんですね。

『時をかける少女』、『サマーウォーズ』、『おおかみこどもの雨と雪』など、今までの作品では脚本家の奥寺佐渡子さんがシナリオを書いていたのですが(『おおかみこども』は共同脚本)、本作では細田監督が初めて自分一人で脚本を書いているのですよ。

その最大の理由として「自分だからこそ表現できる思いを、作品に盛り込みたいという気持ちが強まったから」と述べています。しかし、結果的に「ストーリーの構成がおかしい」「話の流れが不自然すぎる」などの批判が相次ぎ、「細田守には脚本を書く才能がない」とまで言われてしまいました。

さらに「主人公が不思議な世界へ迷い込み、本名とは違う”別の名前”をつけられ、そこで様々な経験をする」というストーリーは、完全に『千と千尋の神隠し』と一緒なんですよ。もちろん、偶然似てしまっただけなんですが、似ているが故に『千と千尋』と比較され、その差を指摘されてしまうわけで。

千と千尋の神隠し [Blu-ray]
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 (2014-07-16)

確かに、細田監督が考えた「少年が異世界に迷い込んでバケモノと一緒に修業する」という設定自体は悪くないと思います。ただ、細田監督が書いた脚本では、その設定の面白さを十分に活かし切れているとは言い難いのではないか?と。なので、やはり脚本は奥寺佐渡子さんに書いてもらって、監督がそれを上手く料理する、という制作スタイルの方が本領を発揮できるんじゃないかと思いました。


●異世界が近すぎる

例えばこの手のファンタジー映画の場合、「異世界をどれだけ魅力的に描けるか?」という部分が重要なポイントになるのですが、『千と千尋』に比べると『バケモノの子』の”渋天街”は魅力に乏しく、後半になってからは特にそれが顕著になります。

つまり、「人間界とは異なる非常に特別な場所」だと思っていた渋天街が、実はいつでも自由に行き来できると判明し、「特別でも何でもない場所」になり下がってしまうのですよ。主人公が勉強のために両方の世界を行ったり来たりしている場面を見て、「近所のコンビニへ行く程度の感覚なのか?」とガッカリしました。

やはり”異世界モノ”といえば、「滅多なことでは行けない」あるいは「行ったら二度と戻れない」みたいな制約があって初めて「特別な場所」という価値が生まれるのではないかと。それなのに、「いつでも簡単に行けるし、自由に戻れる」となったら、その価値が激減してしまうわけですよ。

ラストの主人公の”選択”も、最終的に人間界を選びましたが、それは「いつでも戻って来ることが可能」という前提のもとに下した選択であるため、”強い決意”や”覚悟”みたいなものが微塵も感じられず、カタルシスも得られません。故に、映画を観終わっても全然スッキリしないのです。そこが残念でしたねえ。


●なぜ楓が渋天街に入って来れたのか?

そのラストシーンでもビックリするような出来事が勃発(笑)。「渋天街を救った九太を讃える宴」が開催されている中、突然、楓が現れたのです。「どうしてここに…?」と驚く九太。実はこれ、多々良が「楓ちゃんは俺と一緒に九太を応援した仲だから、九太を祝う場所には絶対にいなきゃいけないだろう」と考え、わざわざ呼び寄せていたのですよ。

しかし、バケモノの世界へやって来た楓が何をしたかと言えば、落とした『白鯨』の本を届けることと、高認(高等学校卒業程度認定試験)の出願書類を渡すこと。それ、今必要かなあ?しかも高認の出願書類を渡すということは、今後、九太が渋天街で生きていくのか、それとも人間界で生きていくのかを決めさせる、という意味なのです。

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「どうするか、蓮くんが選ぶんだよ!」と満面の笑みを浮かべながら九太に選択を迫る楓ちゃんが怖い!その笑顔に気圧されたように「……(試験を)受ける」と答えてしまう九太。その瞬間、「やったあ!そうだと思ってたんだ!一緒に頑張ろう!」と楓は大喜びしていますが、ここは渋天街で周りはバケモノばっかりなんですよ?

そういう状況の中で、主人公がバケモノの世界じゃなくて人間界を選び、それをヒロインが大喜びしてるっていうのは、ちょっと空気を読めなさ過ぎというか…。いや、バケモノたちも九太が人間界へ戻るのは問題ないと考えているのかもしれませんが、子供の頃から8年間もここで暮らしてきたんだから、もう少し名残惜しそうにするとか、”愛着”みたいなものは感じないのかな?と。

あまりにもあっさり決断を下したため、このシーンを観ると「九太にとってバケモノの世界は、その程度のものだったのか…」と少し寂しくなりました。というか、ここに楓がやって来ること自体が激しく間違ってるような気がして仕方がないんだけど。むしろ「来なくていいよ!」って感じでしたねえ(^_^;)


●チコって何?

最後の疑問は、物語の序盤から登場している謎の生物「チコ」。初めてチコを見つけた九太は「ネズミ?」と言っていますが、どう見てもネズミではありません(笑)。そもそもネズミの寿命は1〜2年しかないのに、九太が17歳になった時にも元気で生きてますからね。

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では、このチコの正体は何か?というと、たぶん映画を観た人も薄々気付いてると思いますが、九太のお母さんなんですね。映画の中では、九太が悩んでいる時に母の声でアドバイスを与えたり、闇堕ちしそうになっているところを助けたり、「もしかしてお母さん?」と思わせる場面がいくつか出て来ます。

ただ、最後まで映画を観ても、ハッキリとそれを分からせる描写は出て来ないんですよね。だから、「チコの正体は何だろう?」とモヤモヤするんですけど、小説版ではかなりハッキリ書いてありました。

九太が人間界へ帰った後、エピローグを語るシーンで「九太のことは、楓ちゃんがしっかりついていてくれるし、亡くなった九太のお母さんだって、きっと遠くで見守っていることだろう。”キュッ!(チコの鳴き声)”いや、案外、すぐそばで見守っているのかもしれないな…」と多々良が説明しています。なので「チコ=お母さん」で間違いないでしょう(^_^)

バケモノの子 (角川文庫)
細田 守
KADOKAWA/角川書店 (2015-06-20)

というわけで、『バケモノの子』を観て個人的に感じた疑問や違和感を書き出してみたんですけど、”面白い映画”ではあるんですよね。ただ、モヤモヤする場面が多いというだけで。私見ですが、観た後に心にモヤモヤしたものが残る映画っていうのは、”観る価値がある映画”だと思います。

例えストーリーにおかしな部分があったとしても、観賞後に皆で色々なことを話し合ったり、一生懸命考えることによって、いつまでも観客の心に残るものだし、心に残っている限り、その映画は観た人にとって”価値がある”ということなのです。

細田監督は新作を作るたびに賛否両方の評価に晒され、前作の『おおかみこどもの雨と雪』でも「田舎暮らしの描写にリアリティがない」などの厳しい意見が出ていました。しかし、新しいものに挑戦するということは、そういうことだと思います。次回作でも、ぜひ新しい表現を見せて欲しいですね(^_^)



ついに『ガルパン』がハリウッドで実写映画化決定!inこち亀

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どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。

あの大人気アニメ『ガールズ&パンツァー』が、とうとうハリウッドで実写映画化されることになりました。と言っても『こち亀』の中の話なんですけどね(笑)。実は、作者の秋本治さんが大のガルパン好き(というか戦車好き)のため、過去にも何度か漫画に『ガルパン』ネタが登場していたのです。↓

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で、今週の『こち亀』を読んだら、再び戦車のエピソードが登場。『ガルパン』という名前こそ出て来ませんが、「亀有の高校生が戦車に乗って地元を舞台に激しいバトルを繰り広げる」という両さんが考えたオリジナル・アニメの設定は、間違いなく『ガルパン』が元ネタでしょう。

そんな両さん発案のマニアックな深夜アニメが、なぜか全米で大ヒット!その勢いで実写映画化が決まり、ハリウッドの大手映画会社が数億ドルの予算を投じてオール日本ロケを実施する破天荒な企画が通ってしまった、というお話です。しかもCGは一切使わず、全て本物の戦車で撮影するとのことで麗子さんもビックリ。

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これだけでもすごい映画になりそうですが、いよいよ撮影が開始されると、米軍の全面協力を受けたのか、200輌を超える大量の戦車が日本へ運ばれてきました。地元民は「さすがハリウッドスケールだ!」と感心していますが、戦争でも始まるんじゃないかと思うほどの勢いですねえ(笑)。

しかも、いざ撮影がスタートすると、「ヘタだな、あいつら」と戦車の操縦に文句をつけ出す両さん。どうやらアニメの動きと違うことが不満らしく、「わしが見本を見せてやる!」と自ら戦車に乗り込み、アニメと全く同じ動き(戦車でドリフト等)を披露して撮影スタッフの度肝を抜きまくり。

さらに「日本の高速道路を戦車が爆走する」という、どう考えても実写では撮影不可能なシーンも、実際に現場へ戦車を運び込み、Lシステムや監視カメラがない場所を選び、人が少ない早朝を狙ってこっそり撮るという、無許可のゲリラ撮影を実行!

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おかげで迫力満点の戦車シーンが撮れたものの、さすがのハリウッドスタッフたちも、「これが実写とは誰も信じないだろうな」「絶対CGだと思うぞ」と驚きを隠せません。

次に浅草へやって来た両さんは、地元の商工会の人たちに、「映画のロケをやりたいんだけど、撮ってもいいよな?」と内容も説明せずに撮影を強行。しかし、「まあ浅草を舞台にした人情ドラマなら…」と油断していた地元民の目の前に、いきなり戦車が出現してみんな大慌て!

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戦車の砲撃で雷門が爆破され、暴走した車両が商店街へ突っ込み、「店が壊れたぞ!」と店主が怒鳴り込んで来るなど、浅草中がパニック状態に陥ってしまいました。しかし両さんは少しも慌てず、「大丈夫、ボツにしないから。世界中で放映してやるよ」と余裕の表情です。当然のごとく、店主は「そんなのどうでもいいよ!」と大激怒(笑)。

こうして、大騒動の末にようやく映画は完成し、全米で公開されました。そしたらなんと、CGを一切使わずに撮影された”本物の戦車同士の激しいアクション”が絶賛され、「マッドマックスを超えた!」と言われるほど大ヒットしたのです。

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その結果、舞台となった浅草にも外国人が押し寄せ、「ここが主人公の戦車が突っ込んだ商店か!」みたいな感じで大勢の観光客が殺到。この辺は、『ガルパン』の大ヒットで茨城県の大洗町が新名所になった展開を完全にパロってますね(『ガルパン』で戦車が突っ込んだのは「肴屋本店」という旅館ですがw)。

というわけで、『ガルパン』好きな秋元治先生が「もしも『ガルパン』を実写映画化したら」というネタで漫画を描いたらどうなるか?みたいなエピソードでしたが、実際に両さんのような人をコーディネーターに雇って、20世紀フォックスあたりで実写化したら面白そう。監督はやっぱりマイケル・ベイかなあ(^_^)


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こち亀で爆音上映ネタが取り上げられる


庵野秀明監督『シン・ゴジラ』ネタバレ映画感想/評価

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■あらすじ『ある日突然、東京湾横断道路アクアトンネルが崩落する重大事故が発生。ただちに総理執務室にて緊急会議が開かれ、内閣総理大臣補佐官・赤坂秀樹(竹野内豊)ら閣僚たちによって地震や海底火山などの原因が議論される。そんな中、内閣官房副長官・矢口蘭堂(長谷川博己)は巨大生物の可能性を指摘するものの、「現実味がない」と即座に却下されてしまった。しかしその直後、正体不明の巨大な生物が海上に姿を現わし、政府関係者を愕然とさせる。のちに“ゴジラ”と呼称されるその巨大不明生物は日本に上陸し、凄まじい破壊力で街を蹂躙していった。政府は緊急対策本部を設置するが、有効な解決策を見出せないまま状況は悪化していく。一方、米国国務省が大統領特使のカヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)を派遣。世界各国も事態の推移と日本政府の対応に強い関心を示す中、ついにある要求が日本に突き付けられた。果たして人類はこの脅威から日本を守ることは出来るのか?「エヴァンゲリオン」シリーズの庵野秀明が脚本と総監督、「進撃の巨人」の樋口真嗣が監督と特技監督を務め、世界的怪獣キャラクター“ゴジラ”を12年ぶりに復活させた特撮怪獣アクション超大作!』



先月7月29日に劇場公開された庵野秀明監督の最新作『シン・ゴジラ』が、土日の2日間で観客動員41万2,302人、興行収入6億2,461万700円を記録したそうです。これは2014年夏に公開されたギャレス・エドワーズ監督のハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』を上回る好成績だとか。

また、初日を合わせた3日間の成績は動員56万4,332人、興収8億4,567万5,500円を突破し、興行成績ランキングで初登場1位を獲得するなど、スタート直後から驚異的な大ヒットを飛ばしているらしい。いや〜、すごいですねえ。

さらに観た人の反応も上々で、「面白い!」「過去最高のゴジラ映画だ!」などと絶賛の声が上がっており、漫画家の島本和彦先生に至っては「庵野…オレの負けだ…」と勝手に敗北宣言まで出してしまう有様(庵野監督と島本先生は大阪芸術大学時代の同級生なのです)。

というわけで、僕も『シン・ゴジラ』を観て「うわあああ!これは凄い映画だあああ!」と衝撃を受けた一人なんですけど、はっきり言ってこの映画、ネタバレなしで観た方が絶対に面白いので、まだ観てない人はすぐに劇場へ行った方がいいと思いますよ(^_^)

※以下、『シン・ゴジラ』を観た僕の印象を箇条書きで列挙してみます。

※ネタバレしてるので未見の人は気を付けて!


●庵野秀明と樋口真嗣

まず正直に白状すると、初めて庵野さんと樋口さんが新しいゴジラを監督するという話を聞いた時、「うわ…」と思ったんですよ。いや、本当に申し訳ないんだけど、「大丈夫かな?」って感じだったんですよね。

今、テレビ等で庵野さんを紹介する場合、「あの『エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督がゴジラを…」みたいな説明になってるじゃないですか。でも、アニメの実績はともかく、実写映画の実力はどうなんだろう?っていう。

過去に庵野監督が手がけた実写映画は『ラブ&ポップ』、『式日』、『キューティーハニー』などですが、「面白い!」「傑作だ!」という評価はほとんど聞いたことがないし、僕自身も実写版の『キューティーハニー』を劇場で観て、「うッ…これはキツイ…」と感じたほどですから。

そして樋口さんの方は、ファンから猛烈に批判された実写版『進撃の巨人』の監督でしょ?まあ確かに特撮方面では、『平成ガメラ』三部作で見事な映像効果を生み出したことは有名です。でも、僕の中では、あくまでも「実写版『キューティーハニー』の庵野秀明と、実写版『進撃の巨人』の樋口真嗣」なわけで…。

だから正直、この二人の名前を聞いた時は嫌な予感しかしませんでした。「アニメの要素をたっぷり盛り込んだオタク臭いゴジラになってるんじゃないかな〜?」と。しかし、実際に『シン・ゴジラ』を観てビックリ!めちゃくちゃ面白いじゃん!

ゴジラ初登場シーンを見た瞬間、当初感じていた不安は完全に吹き飛び、その後はひたすらスクリーンに釘付け状態!今はもう「庵野さん、樋口さん、ごめんなさい!僕が間違ってました!」と心の底から謝罪したい心境です。むしろ期待していなかった分、余計に感激しましたよ。


●プロフェッショナルたちの物語

では、「いったいなぜそんなに面白かったのか?」と言うと、理由の一つはこの映画全体が”専門家の視点”で統一されているからでしょう。

基本的に怪獣映画といえば、突如日本に怪獣が現れ、一般市民が被害を被り、家族と死別したり、恋人と離れ離れになったりする姿を描きつつ、博士が出てきて対策を考え、自衛隊(またはそれに類する架空の組織)の活躍によって怪獣の殲滅に成功し、日本に平和が訪れる…みたいな展開がセオリーじゃないですか?

ところがなんと、『シン・ゴジラ』ではメインの登場人物が政治家・自衛隊・ゴジラ対策チーム等の”専門家”のみで、一般市民がほとんど出て来ません(逃げまどうシーンだけ)。そして、「危機的状況に陥っている家族や恋人を必死で救い出す」等の、いわゆる”人間ドラマ”が一切描かれていないのですよ。ええええ!?

つまり本作では、そういう感動的なドラマを全てカットし、ひたすら「状況の積み重ね」だけでストーリーを進めているのです。長谷川博己と石原さとみのような美男美女をキャスティングしたら、普通は(映画会社の要望で)少しぐらい恋愛要素を入れたりするものですが、そういった要素すら排除しているのですから、実にストイックな怪獣映画と言わざるを得ません。

そして、大勢の専門家たちが各々のスキルを存分に発揮し、「ゴジラ退治」というインポッシブルにも程があるミッションに全力で挑む、その姿のなんたるカッコ良さ!そう、この映画は「一致団結して困難に立ち向かう人々」を描いたプロフェッショナルたちの物語であり、まさに”怪獣映画版プロジェクトX”なのですよ!

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●会議シーンが面白い

怪獣が現れると対策会議が開かれ、「どうやって倒すか?」を話し合う、いわゆる”会議シーン”。怪獣映画にはお約束ですが、普通は単に”段取り”として見せるだけで、長く描くことはまずありません。ところが『シン・ゴジラ』の会議シーンは異常に長い!もはや「会議シーンこそが映画のメインだ」と言わんばかりの長さです。

しかも驚くことに、この会議シーンがめちゃくちゃ面白いのですよ!刻々と状況が変化する中、大勢の政治家たちがゴジラの対策を巡ってもの凄い早口で会話を繰り広げし、それを絶妙なカメラアングルと目まぐるしいカット割りでテンポ良く見せていく、まさに庵野演出の真骨頂!

この辺のテイストは、恐らく庵野監督が敬愛している岡本喜八監督の影響でしょう。なにしろ初監督作品の『トップをねらえ!』も、岡本監督の『激動の昭和史 沖縄決戦』に対するオマージュで溢れ返っていたぐらいですから。

例えば、『沖縄決戦』の「米艦艇が多すぎて海の色が見えない!」「船が七分に海が三分だ!」というセリフを、「敵の数が多すぎて宇宙が黒く見えない!」「敵が七分に黒が三分だ!」と言い換えるなど、『トップをねらえ!』の後半部分が”ほぼ『沖縄決戦』”と化しているのは有名な話です。

岡本作品の魅力とは、まさにこういった会話シーンや会議シーンの面白さであり、短いカットを積み重ね、登場人物の名前や肩書をいちいちテロップで表示し、膨大なセリフの応酬で場面を進行していく独特の映像表現が多くの映画ファンを魅了したのです(以下の記事も合わせてどうぞ↓)。

庵野秀明監督と岡本喜八監督の貴重な対談

つまり、『シン・ゴジラ』の会議シーンにおける素早いカット割りや独特のリズム感、そして固有名詞の過剰なテロップ表示などは、ほぼ全て岡本喜八監督作品からインスパイアされたものと思われ、特に『日本のいちばん長い日』の影響が顕著に表れていました(岡本作品と見比べてみるのも一興かと)。

ちなみに『シン・ゴジラ』では、ゴジラの正体の重要なカギを握る研究者・牧悟郎役として、なんと岡本喜八監督が登場!と言っても、写真のみなんですけどね(庵野さんのリスペクトが凄いw)。


●ドラマが無いとダメなのか?

『シン・ゴジラ』に対する意見はもちろん絶賛ばかりじゃなくて、批判的な感想も出ています。そのうちのいくつかを見てみると、「ドラマが無いからつまらない」「会議シーンばかりで退屈」など、主に怪獣シーン以外のパートが批判されているらしい。確かにこの映画では、恋愛や家族愛など、感動的に盛り上がるような場面はほぼ出て来ません。

もし従来の定石に従うなら、「長谷川博己と石原さとみのラブシーン」や「竹野内豊が涙を流しながら家族の身を案じるシーン」や「斎藤工が命懸けで一般市民を救出するシーン」や「人気アイドルの無意味なゲスト出演シーン」などを入れ、エンディングにEXILEの主題歌を流せば、もっと幅広い層にウケる映画になっていたでしょう。

だがしかし!そんな映画は今までに腐るほどあったわけですよ。特に怪獣映画の場合は、メインの怪獣シーン以外のパートを埋めるために、やたらと家族愛だの何だの余計なドラマを入れたがる傾向が強く(日本だけじゃなくてギャレゴジも同様)、そんなシーンを見る度に「ああ、またいつもの愁嘆場が始まったか…」とウンザリしていました。

『シン・ゴジラ』は、そういうエモーショナルな場面を敢えて入れなかったのです。これを「盛り上がりに欠ける」と見るかどうかは人それぞれでしょう。ただ、今までの怪獣映画には無い、新たな地平を切り開いた功績は素直に評価すべきじゃないかなあと。結局のところ、会議シーンだけでも魅力的に見せることは可能だし、ドラマが無くても十分に映画として成立するわけで。

去年、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が公開された時も「ストーリーがほとんど無い」「行って帰って来るだけの映画だ」と批判する人がいましたが、「それのどこが悪いのか?」と言いたいですね。まさにシンプル・イズ・ベストでしょ。


●ゴジラがすごい

ゴジラ映画における最大の注目ポイント、それは「ゴジラをどれだけ恐ろしく、強そうに描けているか」という点ではないかと(観客はそういうゴジラを観に来ているわけだから)。ところが本作では、初登場シーンからいきなり予想を裏切る衝撃的なヴィジュアルをぶち込んできたのです。

普通、ゴジラが登場する時って「お〜、ゴジラ出た〜!」みたいに盛り上がるじゃないですか?でも、この映画でゴジラが初めて画面に現れた瞬間、「……え?なにコレ?」ってなりましたからね。いや、マジで声が出てしまいました(笑)。たぶん、他の人も同じ反応だったんじゃないかなあ(^_^;)

目玉が大きく、深海魚みたいな造形の不気味な怪獣が、巨体をくねらせながら東京の街を這いずり回る映像を見て、「あれ?ゴジラ単体の話だと思ってたんだけど…」「まさかこいつとゴジラが戦うの?」「つーか、こいつ何?」と数秒間、思考が混乱しましたよ(笑)。

60年以上にも渡って活躍してきた人気怪獣ゴジラは、その知名度の高さ故にイメージが固定されていて、今さら普通に登場シーンを見せたところでインパクトは弱い。そこで「ゴジラとはこうである」という観客の思い込みを逆手に取って、全く予想外のものをいきなり見せつける、このアイデアが実に秀逸でしたねえ。

つまり、形態の変化を見せることで、「ゴジラとはこうである」という固定概念を一旦リセットし、「強くて恐ろしいゴジラ」という認識を再構築してみせたわけです。いや〜、凄い!この発想には脱帽せざるを得ません!本当に画期的な見せ方だと思いました。

庵野監督は初代ゴジラ(1954年)の大ファンで、「怪獣映画は一作目の『ゴジラ』がベストだ。怪獣映画としての完成度や素晴らしさは、最初の『ゴジラ』にすべて集約されている」と語っています。もしかして、62年前の観客が初めてゴジラを見た時に味わった驚きと衝撃を、現代の観客にも体験してもらいたかったんじゃないかなあ。

●放射熱線がプロトンビーム

ゴジラが口から放射熱線を吐くシーンは、間違いなくゴジラ映画における見せ場の一つでしょう。歴代ゴジラも派手に熱線を吐きまくっていましたが、本作のゴジラもエグいです(笑)。熱線というか、文字通り”光の線”になってますよ。

今までのゴジラの放射熱線を音で表すと「ゴオオオォォォ!」って感じですが、今回は「バシュウウウゥゥゥッ!」みたいな(伝わり難いw)、空気を切り裂く鋭さがあるというか、要するに巨神兵のプロトンビームですな(笑)。

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庵野監督と樋口監督は本作の前に『巨神兵東京へ現わる』を撮っているので、「当然そういうテイストは入れて来るだろう」とは思っていましたが、予想以上にプロトンビームだったのでびっくりしましたよ(笑)。

もしくは『天空の城ラピュタ』のロボット兵とか。『ラピュタ』の中盤でムスカたちにさらわれたシータを、パズーとドーラたちが助け出すシーンがあるじゃないですか?そこで急にロボット兵が暴れ回り、顔からビームを発射するという。

そのビームの威力が凄くて、一瞬で城の中がメチャクチャになるし、目標を外れたビームが遥か遠くの街の建物を破壊する様子が、シン・ゴジラの放射熱線と似てるんですよね(まあどちらも宮崎駿作品だから、プロトンビームの表現と似てても当り前かw)。

さらに、口だけじゃなくて背中や尻尾からも大量のビームを放出するという、『伝説巨神イデオン』の全方位攻撃(いわゆるカミューラ・ランバン・アタック)みたいなド派手な放射熱線を繰り出しながら、街を蹂躙しまくるゴジラに驚愕!進化しすぎだろ(^_^;)

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●自衛隊の描写がリアル

本作に登場する自衛隊は非常にリアルです。なんせ庵野さん自身が徹底的にこだわって脚本を書き、少しでも現実と違う個所があれば、その都度自衛隊側に確認を取って何度も書き直した結果、予定より4カ月も脚本の完成が遅れてスケジュールに支障が出たほどですから(笑)。

すなわち、『シン・ゴジラ』で描かれている自衛隊の行動は完全に正しく、それどころか、庵野さんの脚本を読んだ防衛省はシナリオの緻密さに驚き、「これほどまでにリアルに作られた映画で迂闊なことを話したら、それが防衛省の公式な手順だと誤解されかねない」と慎重な対応を余儀なくされたとか。

さらに、陸・海・空それぞれの自衛隊に入念なヒアリングを行い、演習場にもカメラを持ち込み、陸上自衛隊の10式戦車や99式自走榴弾砲、AH-1コブラやAH-64Dアパッチ・ロングボウなど、本物の装備を撮影しているのだからミリオタにはたまりません。

戦闘ヘリが20ミリ・ガトリング砲や30ミリ・チェーンガンでゴジラを攻撃するものの、その程度では全く進行を食い止めることが出来ず、ヘルファイア空対地ミサイルや多連装ロケットシステムM270MLRSなど、自衛隊の制式装備がバンバン出て来る展開に痺れまくり!

これらの映像は、実際に演習場へ行って撮影したものと、CGで作って合成したものが混在しているようです(戦車はほぼCGらしい)。また、庵野監督が飛行中の戦闘機の内部映像を欲しがったため、自衛隊の広報担当者にカメラを渡して「これで撮って来てくれ」とお願いしたという。リアリティを追及するためとはいえ、そこまでやりますか(^_^;)

なお、カヨコ(石原さとみ)が米軍機に乗り込むシーンは、空自の協力で入間基地で撮影されたのですが、「石原さとみが来た」という情報が自衛隊内に広まると、「なぜうちには来ないのだ!」と他の基地の司令から苦情が続出したそうです(笑)。


●CGのクオリティが高い

今回、ゴジラがフルCGで作られると聞いて、最初はギャレゴジみたいな姿をイメージしてたんですよ。生物的でリアルな動きのゴジラになるのかな〜と。でも予告編を見たら着ぐるみ感丸出しのゴジラだったので、「なんだよ、昔の特撮映画のゴジラと変わらないじゃん」と少しガッカリしたんです。

そしたらコレって、庵野さんの指示でワザと着ぐるみ的なテイストや動きを再現していたんですね。驚いたのはスタッフも同様で、今回ゴジラのCGを作るためにわざわざバンクーバーから『アメイジング・スパイダーマン』のCGアニメーターを呼び寄せて「筋肉シミュレーション」をやっていたら、庵野さんから「そんなもの必要ない」と言われてビックリしたそうです。

しかも「初代ゴジラは全身がゴムで出来ているので、その質感を再現して欲しい」と要望されたスタッフは、CGのパラメーターを全部ゴムに合わせたり、昔のゴジラ映画を観て「背びれの動きが微妙に違う」など細かい部分まで入念にチェックし、それらをCGで完璧に再現したとのこと。凄いこだわりだ!

また、本作にはヘリコプターや戦車など、自衛隊の装備が大量に出て来ますが、これらの映像はほぼ全てCGだそうです(海上自衛隊の護衛艦だけは本物)。最近は3Dスキャナーの精度が上がっているため、演習場に機材を持ち込み、実物の戦車を360度スキャンして、そのデータを元にCGを作成していったという。

その他、ゴジラが街を壊すシーンでは、高層ビルなど画面に映る建物を全てCGで作っているのですから凄すぎる!もちろん、ミニチュアを使って撮影している場面もあるんですけど、日本映画としては尋常でない分量のCGが使われ、しかもそれらが違和感なく画面に馴染んで自然に見えるという点に驚きました。

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『シン・ゴジラ』のVFXメイキング特集でCGの制作過程をとても詳しく解説しています。

●豪華な出演者

矢口を献身的に支える内閣官房副長官秘書官・志村祐介を好演した高良健吾をはじめ、対ゴジラの要となる「巨大不明生物特設災害対策本部」のメンバーに市川実日子(環境省自然環境局野生生物課長補佐・尾頭ヒロミ)、津田寛治(厚労省医政局研究開発振興課長・森文哉)、塚本晋也(国立城北大学大学院生物圏科学研究科准教授・間邦夫)、高橋一生(文科省研究振興局基礎研究振興課長・安田龍彦)など、個性的な役者が大集結した本作。

また政府内関係者も、大杉漣(内閣総理大臣・大河内清次)、柄本明(内閣官房長官・東竜太)、國村隼(統合幕僚長・財前正夫)、平泉成(農林水産大臣・里見祐介)、松尾諭(保守第一党政調副会長・泉修一)、渡辺哲(内閣危機管理監・郡山肇)、余貴美子(防衛大臣・花森麗子)など、ベテラン俳優が勢ぞろいしています。

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その他、ゴジラ侵攻の中で住民に避難を呼びかける消防隊員役で小出恵介、第2戦車中隊長役でミュージシャンのKREVAが出演。ゴジラに立ち向かう第1戦車中隊長の池田役に斎藤工、タバ作戦戦闘団長・西郷役にピエール瀧、さらに古田新太(警察庁長官官房長・沢口)、光石研(東京都知事・小塚)、松尾スズキ(フリージャーナリスト・早船)。

鶴見辰吾(統合幕僚副長)、手塚とおる(文部科学大臣)、嶋田久作(臨時外務大臣)、神尾佑(新政務担当総理秘書官)、三浦貴大(新人記者)、モロ師岡(警察庁刑事局長)、片桐はいり(官邸職員のおばちゃん)、元AKB48の前田敦子(トンネルから避難する人)など、意外な場所で有名人が登場しているのも嬉しいですね。

当初は「総出演者数は史上最大の328人!」と聞いて、「いや、そんなにいらないだろ…」と思ったのですが、観終わってみると「意味があったんだな」と感じました。つまり、「圧倒的な情報量で全てを埋め尽くす」ということではないかと。

通常の映画ではあり得ないほどのセリフの多さや、本編の大部分を占める会議シーン、自衛隊描写のリアリティや、ゴジラの複雑な造形など、ありとあらゆるディテールを増大させ、映画の密度を限界まで高める。そういう意図があったのではないかと。

実際、2時間の尺の中に目いっぱい詰め込まれた膨大な情報を咀嚼するのに脳の処理能力が追い付かず、内容をじっくり把握するためには2回〜3回繰り返して観なければならないな…と思った次第ですから。やはり『シン・ゴジラ』はとんでもない映画ですよ(^_^;)

あと、ゴジラの生態について見解を述べる識者たちに、なんと映画監督の犬童一心、原一男、緒方明が出演してるんですけど、普段は役者に厳しく演技指導をしている人たちも役を演じる方は苦手だったらしく、撮影ではNGを連発し、現場は不穏な空気に包まれたという。しかし、業界の大御所なので誰も文句を言えなかったそうです(笑)。


●アニメ版『シン・ゴジラ』が作られていた

今回の『シン・ゴジラ』は、2015年の9月にクランクインして2016年の7月に劇場公開という非常にタイトなスケジュールで製作されました。その皺寄せはCG合成などのポストプロダクションを直撃し、「時間が無さすぎる!」と現場から悲鳴が上がったそうです。そこで活用されたのが「プリヴィズ」でした。

「プリヴィズ(プレヴィズ)」とは「Pre-Visualization(プレビジュアライゼーション)」の略称で、実際に撮影を行う前に、CGアニメーションを使って、「そのシーンがどんなイメージになるのか」を検証する手法のことです。最近のハリウッド映画では『アベンジャーズ』や『ジュラシック・ワールド』など、特にアクションシーンが多い大作映画ではほぼ必ず採用されているとか。

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上の画像は『ゼロ・グラビティ』のプリヴィズなんですけど、要するにカメラアングルやカメラの動き、キャラクターの配置やアクションなど、「簡易的なCGアニメを作って映画の完成予想図を確認してみよう」というわけです(これがあることで合成等の作業がやりやすくなる)。

ただ、普通は検証用の映像なんですが、『シン・ゴジラ』の場合は「とにかくスケジュールが無いから、先に全部のシーンをアニメで作って、それに合わせて役者の動きを当てはめていこう」としたらしい。つまり実写版『シン・ゴジラ』よりも前に、アニメ版『シン・ゴジラ』が作られていたのですよ。

しかも、あらかじめ本職の声優に全てのセリフを読んでもらい、音声が入った状態のアニメをきっちり作ったとのこと。まあ、アニメ畑出身の庵野さんにとっては、そっちの方がやりやすかったのかもしれませんね。

なお、庵野さんが書いた脚本を読んだスタッフはあまりのセリフの多さに、「これじゃ尺が3時間を超えますよ!」とシーンの削除を要求。しかし庵野さんは、「絶対に2時間以内に収める。全員早口で喋るから大丈夫だ!」と断言して声優に早口でセリフを読ませたら、本当に2時間で収まってスタッフを仰天させたそうです。


●庵野監督の指示が細かすぎてスタッフ困惑

今でこそ『エヴァンゲリオン』で有名な庵野さんですが、昔は『風の谷のナウシカ』や『超時空要塞マクロス』などに参加し、”カリスマアニメーター”として高く評価されていました。特に、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』における”ロケット打ち上げシーン”の凄まじさたるや、数百枚もの氷の破片を1枚1枚手描きするという、気が遠くなるような緻密な作画をやり遂げてアニメ業界に衝撃を与えたのです。

そんな庵野さんは、『シン・ゴジラ』でも細かい指示を出してスタッフを驚かせていたらしい。主演の長谷川博己さんは「カメラマンに対して、上に2cmとか右に3cmというように、アングルの決め方がとても繊細なんですよ」と語っており、画面のレイアウトにこだわっていたことが良く分かります。

しかも繊細な指示は撮影が進むにつれてどんどん細かくなっていき、スタッフは困惑。特に、CG制作を担当したVFXスタジオの「白組」は、あまりにも細かすぎる要求に何度もビックリさせられたそうです。以下、白組プロデューサーの井上浩正氏のインタビューより。

一番苦労したのはレイアウトですね。もうプリヴィズとぴったり合わせなければならないんですが、たとえば煙の立ち上がり方とか、むちゃくちゃ細かい。画面を差し棒で指しながら「ここのモクモクをちょっと足してください」とか、「画面全体を1ピクセル上に上げてくれ」とか(笑)。


あと、庵野さんは映像をコマで見るんです。爆発とかも「ちょっとコマ送りにしてください」と。ひとコマずつ見ていきながら「3コマ目を無くしてください」とか。僕らCGやってる人間は物理シミュレーションをしながら作っていきますが、庵野さんにとって映像は1秒24コマの静止画の連続なんですよ。


だから1枚1枚の絵が最終的にどういった印象を与えるのかを熟知している。僕らの作ったCGも1秒24コマの絵として見て、「このコマはいらない。このコマもいらない」ってまさにアニメーターの感覚なんですね。それはもう、すごく勉強になりました。 (「特撮秘宝VOL.4」より)

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洋泉社 (2016-07-27)

『シン・ゴジラ』に関するディープな情報が満載でオススメ!

なお、庵野さんの細かすぎる画像チェックは公開日ギリギリまで続けられ、あまりの作業量に白組スタッフは「これ本当に終わるのかな?」と不安を感じていたらしい(笑)。


●核兵器の元ネタはウルトラマン?

自衛隊の総攻撃でも退治できないゴジラに対し、映画終盤ではとうとう核兵器の使用が検討される事態になりました。この辺のシーンに関し、政治的な意図や、庵野監督の思想について言及している批評を見かけますが、さすがに深読みしすぎでしょう(笑)。なぜなら、本作は庵野監督が学生時代に作った自主制作映画『帰ってきたウルトラマン』を元ネタにしているからです。

『帰ってきたウルトラマン』とは、庵野さんが大阪芸術大学在学中に仲間たち(DAICON FILMのメンバー)と作ったアマチュア特撮映画で、当時、素人とは思えぬ特撮技術の素晴らしさが話題になりました(建物や戦闘機などは全て紙で作られてるんだけど、ビックリするほど出来がいい)。

この庵野版『帰ってきたウルトラマン』のストーリーは、「ある日突然、日本に巨大怪獣が現れ、地球防衛組織に所属するMATが攻撃を加えるものの、怪獣はビクともしない。ついに参謀本部が核兵器の使用を命じるが、”日本に核を落とすなんて絶対にダメだ!”と反対する主人公がウルトラマンに変身し、核兵器の投下を阻止して怪獣を倒す」という内容なのです(ウルトラマン役は素顔丸出しの庵野さんw)。

今回の『シン・ゴジラ』は、まさにこのストーリーを現代風にブラッシュアップしたものなので、一部の「憲法改正を正当化するためのプロパガンダ映画だ」みたいな意見は的外れじゃないですかねえ(「エヴァンゲリオンが出ない『エヴァンゲリオン』だ」という感想もありましたが、元を辿れば「ウルトラマンが出ない『ウルトラマン』」だったわけですなw)。

※大好きなウルトラマンを演じることが出来て、嬉しさのあまり満面の笑みを浮かべる若かりし日の庵野秀明総監督↓

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●ヤシオリ作戦とヤマタノオロチ

映画のクライマックスにて、コンクリートポンプ車など特殊建機を使ってゴジラの口から血液凝固剤を流し込み、活動を停止させるという「ヤシオリ作戦」が実行されました。この作戦名の由来は、日本神話に登場するヤマタノオロチを酔わせるために用いられた「八塩折之酒(やしおりのさけ)」が元ネタと言われています。

そして、大量のポンプ車が”原発”の象徴であるゴジラの活動を必死で止めようとしている映像は、否が応でも3.11のあの場面を想起させ、本作が間違いなく大震災の影響下にあることを実感せずにはいられません。まあ、リアルなシミュレーション映画として見た場合、確かに突っ込みどころではあるんですよ(ゴジラがうつ伏せで倒れたらどうするんだ?とか)。

しかし、あの日あの時、実際に現場で命懸けの作業に取り組んでいた人たちがいたことを考えると、「日本が生きるかどうかの瀬戸際なんだ!俺たちに出来ることは全部やってやる!」という想いを映画の中で再現しているような気がして、思わず目頭が熱くなりました。

ちなみに、庵野さんが『帰ってきたウルトラマン』を撮った後、DAICON FILMは『八岐之大蛇の逆襲(やまたのおろちのぎゃくしゅう)』という自主制作映画を作っています。監督は赤井孝美さんで、特技監督は樋口真嗣さん、そして庵野秀明さんはレポーター役で出演。

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この『八岐之大蛇の逆襲』はもちろんヤシオリ作戦を連想させるんですけど、その他にも八岐之大蛇の造形がゴジラ第二形態に似ていたり(特に目の感じ)、ミニチュアの建物や戦車が破壊される様子がそっくりだったり、『シン・ゴジラ』との共通項目が散見していて面白いですよ(まあ、樋口さんが特撮を担当しているので似ていても不思議じゃないか)。

●まとめ

本作で描かれているゴジラの脅威は(すでに色んな人が語っているように)、間違いなく3.11を経験した日本の現状を反映したものでしょう。天変地異クラスの巨大災害が起こった場合、我々はどのように対処すべきなのか?そして、災害が発生したことで国際社会から「ある決断」を迫られた時、日本人としてどのように行動すべきなのか?

それら重要な局面を、絵空事とは思えぬリアルな筆致で描き切った庵野総監督の力量たるや「素晴らしい!」としか言いようがなく、もはやアニメの監督であることすら忘れさせるほどでした。昔、映画館で実写版『キューティーハニー』を観た時の脱力感に比べたら、「本当に同じ人が撮った映画なのか?」と疑惑の念が湧くほどのクオリティですよ(笑)。

それから今回、映画の公開前にテレビで『シン・ゴジラ』の特番をやってたんですね。クランクインを直前に控え、大勢のスタッフの前で「何よりも”面白い日本映画”を目指してやっていきたいと思います!」と力強く宣言する庵野さんの姿がとてもカッコ良く見えたんです。でも、まさか本当に”面白い日本映画”を作ってくれるとは!まさに有言実行!

噂によると、本作は近年お馴染みの「製作委員会方式」を採用せず、東宝が単独で資金を調達したらしい。だからこそ、スポンサーからの要望に振り回されることなく、庵野さんの作家性を存分に発揮させることが出来たのでしょう。いや〜、良かった!お見事です!

というわけで、『シン・ゴジラ』を観た僕の感想を簡単にまとめるとこんな感じになりました。まあ「エヴァの音楽使いすぎじゃね?」とか、「石原さとみがアニメのキャラにしか見えない」とか、「”無人在来線爆弾”の語感がすごいw」とか、色々気になる部分はあったものの、概ね「面白い」と言える作品に仕上がっていて大満足。

正直、映画秘宝で絶賛している記事を読んだ時は「ホンマかいな?」と半信半疑だったんですけど、樋口真嗣監督と仲が悪いことで有名な前田有一氏が「サイコーだッ!」とベタ褒めしていたので、「ああ、これは間違いないな」と(笑)。2時間の映画としてはあり得ないぐらいの情報量が詰め込まれているため、観終わった後はとても疲れますが、まさに今の時代に相応しい傑作怪獣映画だと思います(^_^)


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『シン・ゴジラ』の庵野秀明が語る「実写映画とアニメ」について

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どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。

現在、大ヒット上映中の『シン・ゴジラ』の庵野秀明総監督は、元々『新世紀エヴァンゲリオン』等のアニメーション監督ですが、1998年に『ラブ&ポップ』を撮って以降、『式日』や『キューティーハニー』など、定期的に実写映画を制作するようになりました。

そして最新作の『シン・ゴジラ』は、『キューティーハニー』以来、12年ぶりの実写映画になるわけです。ではいったい、なぜ庵野秀明は実写映画を撮ることになったのか?今回、2004年にガイナックスで収録されたインタビューを久しぶりに読んだら色々と興味深い発言があったので、以下にその一部を抜粋してみます。



・実写とアニメの制作システムの違いみたいなものは感じましたか?

庵野:どこの会社も作り方はだいたい一緒だと思うんですよ。ただ、僕の場合だと実写とアニメでは業界からの見方が違ってますから。僕が「アニメ(エヴァ)をやる」と言ったらすぐに10億円以上のお金が集まると思います。けど、「実写をやる」と言ったらそこまでは出ないんですよ。実写だと「庵野さんは実績がないから作れない」と。そこが大きく違います。実写だとまだまだ予算がもらえないですね。


・でも、アニメではなく実写をやるという、それは何故ですか?

庵野:今は実写を作るのが面白いんですよ。あと、アニメは”頭の中”にあるイメージを絵にして作るものですけど、実写は”頭の外”の、現実空間にある素材を使って作るものなんですね。もちろん、アニメじゃないと作れない、内界を現実にしていく虚構の映像も面白いとは思うんですけど、今は外界の影響で変化する実写映像の方が面白いですね。


・絵コンテは監督自身が描いてるんですよね?”頭の中”を再現するプロセスは、アニメも実写も共有する部分があると思うのですが。

庵野:実写の場合も時間が無い時や合成がらみのシーンはコンテを描きますけど、現場ではできるだけコンテなしでやるようにしてるんです。実写は役者の動きやカメラの動きも含めて、現場で試しながら「せーの!」で作っていけますから。『式日』や『ガメラ1999』みたく、台本がなくても映像化が可能なんです。もちろん、頭の中には多少のイメージがありますが、必ずしもそれに沿うことはないですね。

だがしかし、アニメは初めに絵コンテありきです。最初に設計図がないと、システム上、現実的には何も進まないんですよ。しかも、基本的には設計図通りにいってしまうので、コンテができた時にだいたいの完成形が見えてしまう。途中でコンテと変わることもありますが、編集時に別アングルはありません。スタッフやキャストの力で思いもしなかったシーンになることもありますけど、実写ほどの振り幅はないんです。

それに対して、実写は外的要素が内容を大きく左右してしまうので、自分の絵は最初からイメージしたものにならない。それどころか、編集時にまるで別なものになったりもします。アニメとは違う形のその先が見えないところで、右往左往しながら作っていけるのが面白いですね。


・そもそも、実写を撮りたいという気持ちは、いつ頃、どのようにして芽生えたのでしょうか?

庵野:学生の頃は両方やってたんですよ。実写というよりは特撮なんですけど、8ミリフィルムでアニメと両方やっていて。ただ、当時はアニメ産業の方が大きく勢いがあったので、大学を放校された後はその流れのままアニメの世界に入って、実写はそれっきりでした。

けど、『The End of Evangelion』(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』)を作っている時に、「もうこれは実写でなければダメだ」という結論に行き着いて、アニメだけじゃなくて特撮の現場もやっている樋口(真嗣)に相談したんです。その時に樋口から実写のスタッフを紹介してもらって、甘木プロデューサーと知り合ったのが良かったですね。シンちゃん(樋口真嗣)のおかげです。僕が実写をやれる環境をそこに用意してもらえましたから。

まあ、全ての始まりは『エヴァ』の実写(映画『まごころを君に』の中の実写パート)をやったことですね。実写を続けている理由も、『エヴァ』の時にぜんぜんうまくいかなかったことが大きいと思うんですよ。結局、撮ったものをみんな捨てちゃいましたから。その時の復讐をまだやってるんだと思います。


・「実写でなければダメだ」と仰いましたが、『エヴァ』という完結したアニメ世界の中で、なぜあのような実写映像パートを挿入しなければならなかったのでしょうか?

庵野:あそこに欲しい映像が、セルのアニメーションでは表現できないものに行っちゃってたんですよ。もっと現実に近い感じのものが欲しい、じゃあ一番現実に近いフィルムは実写だと。もともと実写で入れようとしてたのは声優さんのドラマだったんですけど、撮影している時に「これは違う」と。結果として、風景と映画館の観客の映像を使うことになりました。

当時、色々な人たちが過剰にフィクションにのめり込んでいるのが嫌だったんです。他者が作った脳内世界に自身の存在を依存し過ぎているのが、見ていて怖い感じがしました。とにかく少しでも外界を認めて、自分の尺度で相対的な視野を持って欲しかった。

そこで、見ている人が自分の現実を意識する方法として、鏡を差し出すのもありだろうと。観客の映像は鏡のイメージでした。ビデオにする時は真っ黒の画面にしようと思ってました。画面が黒いと、ブラウン管に観ている自分の顔が映りますからね。


・『エヴァ』の後に撮った2作の実写映画『ラブ&ポップ』と『式日』は、人物造形や時代感がリアルなものだったと思うんですが、これはアニメ表現に対する反動からだったのでしょうか?

庵野:とにかく、アニメっぽいものを作りたくなかったんです。その手段としての実写映画だったし。でも実際に『ラブ&ポップ』を撮ってみたら、その逆になったんですよね。目の前に生身の人間がいるのに、無機質っぽく撮ろうとしている。結局、自分は被写体やその空間にないものを、ないものねだりで入れたがるんだと思うんです。アニメをやっている時は、セルで描いたキャラクターに生っぽさや、絵という虚構世界に現実っぽさを出したがっていましたから。

・以前、庵野監督が「日本映画はハリウッドに勝てない。ただし、日本のアニメは世界一だ」と仰っていたのが印象的だったのですが、”アニメ”という日本が持っている映像表現のアドバンテージを、実写映画の中に入れ込むことで、ハリウッドと闘えるものになるんじゃないかと思うのですが。

庵野:大事なのはお客さんにとっての、観た映画そのものの価値みたいなものだと思うんです。お客さんから見れば100億円かかっているハリウッドの映画も、5000万円で作っている日本の映画も、映画館で払うお金は同じ1800円なんですよ。そうである以上、5000万円で作る映画の面白さを、100億円の映画の面白さと一緒にしなきゃいけない。

でも、その「面白さ」という部分をハリウッドの大作と同じやり方で求めても、絶対に勝てないですから。だったら別のベクトルで「面白さ」を一緒にしなきゃならないだろうと。「面白さ」は制作費と必ずしも比例しませんから。ハリウッドメジャーの大作と同じ方法論ではとても勝てない。ワイヤーワークひとつにしても、ものすごい手間と時間と金がかかる割には、前に見たような絵にしかならないんですよ。

要は驚きが得られないんですね。あったとしても「日本でも同じことが出来るんだ」と思われるくらいのものです。日本でその方法論で得られる同等の映像を作るなら、アニメの方がはるかに可能性が高くていいです。今の日本映画の現状では、実現可能な独自の映像を見出していくしかないでしょうね。


・ハリウッド映画に対する競争心はお持ちなんですか?

庵野:そういうのは、あまりないです。面白さは1800円分にはしなければならないというだけです。他と争ってもしょうがないんです。映画である以上、お金を払うお客さんには楽しんで欲しい。そして、商業映画である以上、出資者には元をとって欲しい。その上で興行である以上、出来るだけ当たって欲しい。それだけです。そうしないと次の映画が撮れないですから。

映像としては、フィルムは完成しちゃえばそれでいいんですよ。完成することが目標というか目的みたいなものなので、完成してしまったら興味がなくなるし、たぶん観直すこともないと思います。ただ、その作品を見捨てるとかではなく、次に気持ちが移ってしまうだけなんですけどね。

(文藝別冊「庵野秀明 アニメと実写の映像革命」より)

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【ネタバレ解説】『シン・ゴジラ』のラストの尻尾の意味は?

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世間ではリオ・オリンピックの話題で盛り上がっている中、映画館では『シン・ゴジラ』が大ヒットを記録中です。7月29日の公開から先週末8月14日までの3週間で、なんと観客動員数230万人、興業収入33億8200万円を突破するという凄まじさ!東宝では当初、最終目標を40億円程度と見込んでいたようですが、この勢いなら50億円超えは確実でしょう。

そんな『シン・ゴジラ』、すでに色んな人が内容を考察してるんですが、中でも議論の的になっているのがラストシーン。「ヤシオリ作戦」によって凍結され、活動を停止したゴジラの尻尾にカメラが近づいていくと、その先端には何やら生物らしきものの姿が…。

「アレはいったい何なんだ?」と公開直後から話題になったこのシーンに関して、多くの観客の間で検証が行われ、現在、様々な説がネット上に乱立しているそうです。というわけで本日は、その中で代表的な説をいくつか取り上げてみましたよ。


●ゴジラ増殖説

まずは、「尻尾から生まれようとしているのはゴジラではないか?」という説です。劇中では巨災対の調査分析結果から、ゴジラの「無生殖による個体増殖の可能性」が指摘され、さらに「個体が群体化し、小型化・有翼化して世界中で繁殖するかもしれない」と言及していました。

つまり、あのまま放置しておくと、尻尾の先から小さなゴジラが大量に生まれて世界中に拡散し、地球が大変なことになる、という意味ではないのか?と。今は取りあえず活動が停止しているけれど、「いつゴジラが復活するか分からないぞ!」と警告しているわけですね。

まあ、台詞で伏線も張ってあるし、娯楽映画の終わり方としては十分あり得る展開でしょう。ただ、もしこの説が正しいなら、1998年に公開されたローランド・エメリッヒ監督の『GODZILLA』(通称エメゴジ)と同じオチになってしまうんですよねえ。

エメゴジの場合は「米軍の攻撃によってゴジラは倒されるものの、その直前に卵を産んでいて、ラストは”中で何かが蠢いている卵”のアップで終わる」みたいな感じですが、シチュエーション的にはほぼ一緒なんですよ。

しかし皆さんご存じの通り、エメリッヒ版の『GODZILLA』は公開直後から批判が相次ぎ、日本だけでなく世界中のファンから酷評を受けました。しかも『ゴジラ FINAL WARS』では、X星人(北村一輝)から「やっぱりマグロ食ってるようなヤツはダメだな」とまで言われてしまう有様。そんなエメゴジと同じオチっていうのは、何だか気持ち的に釈然としないんですよねえ。


●牧悟郎が食われた説

東京湾羽田沖で発見された無人のプレジャーボート。そこで牧悟郎という教授が残した”手掛かり”が見つかります。「私は好きにした。君たちも好きにしろ」という意味深な手紙からも、ゴジラの出現と牧教授の失踪に何らかの関連があると考えて間違いないでしょう。

劇中の説明によると「牧悟郎は城南大学で統合生物学を研究していたものの、放射能関連の事故で妻を失い、それに対して日本政府が何の対応もしなかったため、失意のままアメリカへ渡り、米国エネルギー省(DOE)の依頼で放射性物質を食べる未知の生物について研究していた」とのこと。

この時、牧教授が分析していた未知の生物は「GODZILLA」というコードネームで呼ばれており、恐らくゴジラの幼体でしょう。そして彼はこの「GODZILLA」を密かに持ち出し、東京湾に遺棄したのではないか?さらに、「揃えた靴を残して姿を消す」という描写は”自殺”を暗示させ、もし海に身を投げたのなら、そのままゴジラに食われたのではないか?

つまり、尻尾の中に見える人型のようなものは、ゴジラが体内に取り込んだ人間(牧悟郎)を表してるんじゃないかと。これが「牧悟郎がゴジラに食われた説」です。そして、人間を摂取したことでゴジラの幼体に変化が起こり、短時間で急激に進化したと考えられるのではないでしょうか。

また、この説を支持している人の多くは、同時に『機動警察パトレイバー』にも言及しています。『パトレイバー』の中に「廃棄物13号」というエピソードがあって、「米軍が極秘に研究していた生物兵器が東京湾で巨大化して大暴れする」という物語が『シン・ゴジラ』に似ていると指摘(ちなみに、このエピソードは劇場アニメ化もされています)。

「廃棄物13号」では、西脇順一という博士が「ニシワキ・セル」と呼ばれる新種細胞を培養して特殊な生物を作り出すものの、研究半ばでガンで死亡。その後、栗栖敏郎博士が研究を引き継ぎ、米軍と結託して生物兵器の開発に利用します。

「廃棄物シリーズ」と名付けられた実験は成功を収めるが、実験体13号を積んだ飛行機が東京湾に墜落。西脇博士の娘の西脇冴子は、亡き父の研究成果を成就させるために海へ飛び込み、急激な成長を遂げて巨大化した13号は、ついに海から陸へ上がろうとする…というストーリーでした。

このエピソードは原作者のゆうきまさみさんが怪獣映画好きなこともあって、東京湾に怪獣が現れる様子や、政府や警察機関の対応などが非常にリアルに描かれています。こういう部分も「『シン・ゴジラ』と『パトレイバー』は似ている」と言われる理由なのかもしれません。

なお、『シン・ゴジラ』では自衛隊に防衛出動の命令が下されますが、『パトレイバー』では災害出動が要請されていました。なるほど、これなら元防衛相の石破茂さんも納得ですね(笑)。

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●牧悟郎=ゴジラ説

「いや、ゴジラに食われたんじゃなくて、牧悟郎自身がゴジラになったんだよ」という説もあるようです。この説を唱えている人は根拠として、「なぜゴジラは日本を襲うのか?」という根本的な疑問を考察していました。つまり、「ゴジラが日本を襲うのは、死んだ奥さんの復讐を果たすために牧教授自身がゴジラになって東京を目指しているからだ」と。

さらに今回、ゴジラは第二形態・第三形態・第四形態と徐々に進化していく様子を見せていますが、なぜか第一形態だけが映っていません。そこでこの説では、「恐らく第一形態は牧悟郎そのものだったのではないか?」と主張しています(ちなみに牧悟郎役は岡本喜八監督なので、巨大な岡本監督が泳いでいるということに…怖ッ!)。

また、牧教授がボートに残した地図には、ゴジラの出現予想位置が書いてありました。それは牧悟郎がゴジラの行動を予想したものだと思われますが、どうして事前に予想できたのか謎なんですよね。でも「俺はゴジラになってこのルートを辿って日本へ上陸する」という牧教授の宣言だったから、と解釈すれば辻褄が合うそうです。

そして劇中では、これら牧悟郎の手掛かりを元にゴジラを倒す作戦が生み出されますが、なぜわざわざそんな手掛かりを残していったのかと言うと、「俺はゴジラになって日本を破壊する。君たちも日本を守りたければ守るがいい」というメッセージだったのでは?と。だからこそ、最期の言葉が「私は好きにした。君たちも好きにしろ」という文面だったのではないでしょうか。


●巨神兵説

庵野監督が『風の谷のナウシカ』で巨神兵の作画を担当していたことは有名ですが、それに関連して「尻尾の中に見える人型のような物体は巨神兵なのでは?」と考えている人もいるようです。確かに、口から超強力なビームを放つところは一緒、さらに宮崎駿さんの原作漫画では背中に翼を生やして空を飛んでいますから、「有翼化して世界へ飛散する」という設定とも合致します。

つまり、「あのまま尻尾から巨神兵が生まれれば、ゴジラに代わって巨神兵が東京をメチャクチャに破壊する『巨神兵東京に現わる』に繋がるのではないだろうか?」と考えたわけですね。個人的には「ゴジラと巨神兵を繋げるかなあ」と思うんですけど、説としては面白いかも。

●使徒説

使徒とは、もちろん『新世紀エヴァンゲリオン』に出て来たあの使徒です。そして、下半身から人間の足のようなものをいっぱい生やしている「第2使徒リリス」が、尻尾から人型を生やそうとしているゴジラに重なるという意見があるらしい。

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ということは、凍結されたゴジラはこの後、ターミナルドグマに幽閉されて、セカンドインパクトが起きないように政府によって監視されるのでしょうか?そして汎用人型決戦兵器が製造されて、続編の『シン・ゴジラ2』ではカヨコ・アン・パタースンが巨大ロボを操縦する……う〜ん、観たいような観たくないような(笑)。

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というわけで、『シン・ゴジラ』の尻尾について色々な説を取り上げてみましたが、いかがだったでしょうか?なお今回取り上げた説以外にも多くの意見があって、皆さん結構真剣に考察してるというか、つくづく『シン・ゴジラ』は様々なことを考えさせる映画だなあと実感しましたよ(^_^)


24時間テレビがエラいことに!恐怖の手塚アニメ伝説!

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先日、23日に俳優の高畑裕太が女性への強姦致傷容疑で逮捕された件を受け、各テレビ局は対応に追われているようですが、中でも最も迷惑を被ったのが日本テレビでしょう。なんせ、本日27日に放送される24時間テレビでは高畑裕太容疑者がパーソナリティを務め、さらにスペシャルドラマ『盲目のヨシノリ先生 〜光を失って心が見えた〜』にも出演する予定だったのですから。

しかし今回の事件でパーソナリティはクビになり、スペシャルドラマで高畑裕太容疑者が演じる予定だった榊京太役は、人気グループNEWSの小山慶一郎さんが急遽代役を務めることになりました。とは言え、「今から再撮影してオンエアに間に合うのか?」と不安の声が上がっているようです。

ちなみに、公式ツイッターを見てみると、13日に撮影が完了し、14日から編集作業を始め、21日に完成披露試写会が開かれていました。まさかこの2日後にあんな事件が起きてしまうとは…(-_-;)

というわけで、今まさに24時間テレビのスタッフは不眠不休の突貫作業を強いられていると思うんですけど、過去にも「スタッフを死にそうな目に合わせたアニメ」が24時間テレビで放送されていた、という事実をご存じでしょうか?

それが、1978年8月27日の第1回『24時間テレビ 愛は地球を救う』で放送された手塚治虫原作のアニメ『100万年地球の旅 バンダーブック』です。当時、「世界初の2時間TVアニメだ!」と手塚先生はノリノリで仕事を引き受けたそうですが、現場で働くスタッフにとっては悪夢の始まりでした。

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まず、「2時間のTVアニメ」という時点で尋常じゃありません(厳密に言うと『バンダーブック』の尺数は1時間34分ですが)。2時間とか1時間半のアニメとなれば、それはもはや「映画」と同じスケールです。当然、映画と同程度の製作費とスケジュールが必要になるわけですけど、じゃあ劇場アニメの制作期間ってどれぐらいなのか?

内容や規模によって変わってくると思いますが、スタジオジブリの場合は1本作るのに約2年。その他のアニメ会社でも、通常は1年〜1年半ぐらいかかるそうです。短いものでも最低8カ月は必要と言われていて、『ルパン三世 カリオストロの城』が約半年という超短期間で制作された時、「日本の劇場アニメ史上最短記録をマークした」と作画監督の大塚康生さん自身が驚いたほどでした。

しかし、手塚先生の『バンダーブック』はそんな生易しいレベルではありません。なんと、放送日の2カ月前になっても絵コンテや原画がほとんど完成しておらず、制作担当デスクが「もうダメだ!」と逃げ出すほどの凄まじい状況だったのですよ。

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いったい、どうしてこうなってしまったのか?詳しい事情は『ブラック・ジャック創作秘話 〜手塚治虫の仕事場から〜 』という本に描かれてるんですけど、要するに手塚治虫が中心となって作られるはずのアニメなのに、漫画の仕事が忙しすぎて絵コンテの完成が遅れまくったから、ということらしい。

そして、やっと絵コンテが上がって作画が開始されても、手塚先生が原画にリテイクを出しまくり、ただでさえ限界ギリギリだったスケジュールがどんどん無くなり、もはや絶望的なレベルへと悪化していったそうです(放映日まで1カ月を切っているのに、まだ容赦なくリテイクを繰り返す手塚治虫に驚愕!)。

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結局、手塚治虫のこだわりによって作業はオンエア直前まで続けられ、最後の3日間はスタッフ全員スタジオに泊まり込んで完徹状態だったとか。当時、アシスタントをしていた漫画家の石坂啓は、疲労困憊のスタッフたちがビルの廊下に次々と倒れ込んでいく様子を見て、「浜辺に打ち上げられたマグロのようだった」と証言しています。

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こうしたスタッフの頑張りによって、『バンダーブック』はどうにかオンエアに間に合い、24時間テレビのコンテンツの中でも最高の視聴率(28%)を記録したそうです。この成功によって24時間テレビで手塚アニメを放映することが恒例となり、『海底超特急マリンエクスプレス』、『フウムーン』、『ブレーメン4』など、毎年2時間アニメが制作されました。

しかし、無茶なスケジュールは一向に改善されず、むしろ年々酷くなっていったらしい。最終的には、すでにテレビの放映が始まっているにもかかわらず、「前半部分をオンエアしている間に後半部分のフィルムを大急ぎで現像していた」という恐ろしい逸話が残っているほど、現場はメチャクチャな状況になっていたそうです。ヒエエエ〜!

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というわけで、今年の24時間テレビも色々大変なことになっているようですが、どうかスタッフのみなさん頑張ってください(^_^;)

『シン・ゴジラ』の庵野秀明が日本映画界に与えた影響とは

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どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。

『シン・ゴジラ』が公開されて1ヶ月以上が経過しましたが、その勢いは全く衰えることなく、現在もランキング2位をキープ(なんと前回の3位から再浮上してる!)、累計興収60億1,723万9,800円、累計動員412万9,595人を突破したそうです。スゲー!

これにより、小栗旬主演『信長協奏曲(のぶながコンツェルト)』の興収(約46億円)を抜いて2016年公開の邦画実写作品中(現時点では)、ナンバーワンの作品になったとのこと。

さらに10月11日からは北米440館の劇場で公開されることも決定しており(吹き替えではなく英語字幕になるらしい。読むのが大変そうw)、『シン・ゴジラ』の快進撃は今後もまだまだ続きそうですね。

そんな『シン・ゴジラ』に関し、先日、以下の記事が話題になっていたので読んでみました。


樋口真嗣監督がエヴァンゲリオンの盟友・庵野秀明総監督を語る「破壊しながら前に進む。彼こそがゴジラだった…」


記事の内容をかいつまんで説明すると、「『シン・ゴジラ』を制作する際、庵野秀明総監督の思い描いたイメージを可能な限り忠実に再現するため、映画会社からの”もっと人間ドラマを増やせ!”という要望を突っぱね、現場スタッフからの”こんなの出来ません!”という苦情もねじ伏せ、妥協することなく徹底的に初志を貫いた。だからこそ、あれだけのクオリティを実現できたのだ」という話です。

これはですね、やろうとしてもなかなか出来ることじゃないですよ。例えば、脚本一つとっても映画会社やプロデューサーは、常に「ヒットするためにはどうするべきか?」という視点から注文を付けてくるからです。

「女性客にアピールするには”恋愛要素”が不可欠だ」というセオリーに基づき、強引にラブシーンを加える、なんてのは当たり前。また、「感動的な人間ドラマも入れておいた方がヒットしやすい」との判断で、特に必要のない”親子ドラマ”が追加されることも珍しくありません。

事実、樋口真嗣監督の前作『進撃の巨人』では、町山智浩氏が書いた脚本には恋愛要素なんて無かったのに、現場の判断で急遽ラブシーンが追加され、試写を観た町山氏が「あれ?俺の書いた脚本と全然違うぞ!」とビックリする、という残念な事案も発生していました。


町山智浩は実写版『進撃の巨人』をどのように評価しているのか?


映画は、作品の規模が大きくなればなるほど非常に多くの人間が関わる巨大プロジェクトになってしまうが故に、誰か一人の意見だけが優先されることはまずありません。スポンサーが「ああしろ」と言えばそれに従わざるを得ない場面も出てくるわけで、監督のイメージ通りに仕上がる保証は無いのです。

しかし、庵野秀明総監督はとにかく「滅多なことでは自分の意思を曲げない性格」らしく、『シン・ゴジラ』の制作中にも「セリフが多すぎるからカットしろ!」との要求に対して、「問題ない。全員早口で喋るから」と反論し、実際にもの凄い早口でセリフを喋らせ、2時間以内に収めてしまったのですよ。

普通の映画監督なら「カットしろ」と言われたら「どこをカットしようか?」と悩むものですが、庵野さんには最初から「カットする」という発想が無かったみたいですね。『シン・ゴジラ』の脚本も自分で執筆し、しかも撮影が始まる直前まで「もっとクオリティを上げたい」と書き直し続け、何度も何度も推敲を繰り返していたそうです。凄いこだわりだなあ。

ただ、これだけ自分のこだわりを貫き通すには、当然それなりの”覚悟”が必要です。「映画会社の偉い人やスタッフたちと喧嘩してでも、俺は自分のやりたいことをやり切るんだ!」という断固たる覚悟が。そうなると、人間関係に軋轢が生じることは避けられず、庵野さんは常にスタッフの誰かと対立していたそうです。

その”仲介役”を担当していたのが、樋口真嗣監督でした。以下、樋口監督のコメントより↓

僕が対立する前に、庵野総監督とスタッフの誰かが対立している。僕は、その間に入ってなだめすかす役目でした。(中略)彼は大半のスタッフを敵に回したけれど、それくらいじゃないと、この作品のレベルに達することはできない。


庵野監督がどんなにこだわりを持って映画作りに取り組んでいても、やはり一人ではどうにもならなかったはず。でも、周囲から飛んでくる反対意見を樋口真嗣監督が体を張って(?)防いでくれたおかげで、庵野さんは自分の作家性を存分に発揮することができたのでしょう。そう考えると、樋口監督の果たした功績は非常に大きいと言わざるを得ません。

さて、ではどんな感じでスタッフは庵野総監督と対立していたのか?映画が大ヒットしている現在では、さすがに文句を言う人はいないようですが(笑)、「庵野さんとの仕事はこんなに大変だった!」という証言があったので読んでみました。


「シン・ゴジラ」最大の課題は、総監督「庵野秀明」のこだわり--制作裏話を聞いた


これは『シン・ゴジラ』で編集・VFXスーパーバイザーを手がけた佐藤敦紀氏と、VFXプロデューサーを務めた大屋哲男氏が制作の裏側を語った貴重なコメントで、佐藤さんの目から見た庵野さんはこんな感じらしい↓

やはり庵野氏が監督をするというのは、いろいろな意味で相当な覚悟を決めなければいけません。非常にこだわりが強い監督ですし、作品の質の向上のためならあらゆる努力を惜しまない人です。例えば本来であれば、ダビング中に尺をいじるのは御法度もいいところなんですが、庵野監督にはそれも通用しません。


通常、ダビング作業時には尺が確定しています。だから、ここで急にシーンの長さが変わると最初からダビングをやり直さなくてはならなくなるため、担当者は「やめてくれ!」と真っ青になるわけです(笑)。でも庵野さんは、そんなことお構いなしにガンガン変更を加えていったようで、スタッフの苦労が偲ばれますねえ(苦笑)。

また、編集作業はデータの守秘義務などの理由で東宝スタジオを使用するのが決まりだったようですが、庵野監督の要望でアニメスタジオ・株式会社カラーの編集室に移されたそうです。この前例のない出来事に佐藤さんも、「東宝もよく許したなと思います(笑)」と驚いていました。

特に、庵野監督の編集に対する執着心は常軌を逸しており、『シン・ゴジラ』の場合も「24分の1秒の1コマをカットするか?しないか?」、「画面のレイアウトを1ピクセル分下げるか?上げるか?」みたいなレベルで、異常に細かい指示を連発していたらしい(しかも公開日ギリギリまで作業が続けられたというのだから凄まじすぎる!)。

それに付き合わされるスタッフは当然、「ちょっともう勘弁して…!」という感じだったと思うんですけど、そこで「スタッフも気の毒だし、この辺で終わっておくか…」と妥協していたら、あれ程の完成度は望めなかったでしょう。まさに”こだわり”の成せる技!

というわけで、庵野監督のこだわりに振り回されたスタッフの苦労話をいくつか取り上げてみたんですが、今回、庵野監督が日本映画界に与えた影響っていうのは、かなり大きいと思うんですよね。恋愛要素や人間ドラマが無くても客は入るということを証明し、ハリウッドで採用されている「プリヴィズ」という手法を初めて本格的に取り入れ、編集作業も自社でやる等、これまでの旧態依然とした邦画の制作スタイルに大変革をもたらしました。

『シン・ゴジラ』が大ヒットしたことによって、今後の日本映画がどのように変わっていくのか?それはまだ分かりませんが、「一人の天才クリエイターの作家性を完璧にサポートする制作環境」が整えば、さらに凄い作品が生まれるかもしれない…そういう期待を十分に抱かせる出来事ではありますね(^_^)


シン・ゴジラ音楽集
鷺巣詩郎
キングレコード (2016-07-30)

映画監督の押井守が『シン・ゴジラ』と庵野秀明を痛烈に批判!?

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どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。

いや〜、相変わらず『シン・ゴジラ』の勢いは凄いですねえ。ふと気づけば新海誠監督の『君の名は。』がもっと凄い勢いで迫って来てますけど(笑)、累計興収60億円を突破し、公開後1ヶ月以上が経過しているのに、いまだに劇場が満席に近く、全国で「発声可能上映」を実施するなど、ファンの関心が一向に衰える気配を見せてないのが凄すぎる。

そんな『シン・ゴジラ』ですが、現在、書店で発売中のテレビ情報誌「TVブロス」(9月10日号)にて、『攻殻機動隊』等でお馴染みの映画監督の押井守さんが、大ヒット公開中の本作を観て感想を語ったとのことで、そのロング・インタビューが掲載されていました。

しかも、知人でもある庵野秀明監督について、「庵野はこういう人間だ!」「あいつは○○○の○○なんだよ!」と独自の視点で鋭く分析・評価するなど、非常に面白い発言が載っていたので、思わず購入してしまいましたよ(笑)。

果たして、押井守監督は『シン・ゴジラ』をどのように評価しているのでしょうか?そして庵野秀明総監督のことをどう思っているのでしょうか?以下、ざっくり記事の内容をご紹介します。


●押井守、『シン・ゴジラ』を語る

さて、押井守監督といえば、自他共に認める映画オタクで、日頃から映画に関する蘊蓄を語りまくっていることでも有名です。そんな押井監督が『シン・ゴジラ』について語るとなれば、さぞかし厳しい意見を述べているのだろう……と思いきや、意外と高評価でビックリ!

珍しくちゃんと出来た映画だった、という点では褒めてるよ。最近の日本映画の中では、まるで奇跡のようにちゃんと出来た映画だとは思ったから。 (「TVブロス」のインタビューより)


こんな感じで、「とにかく脚本が良く書けている」とベタ褒め!「あれだけ大勢の登場人物がいるのに、無駄なキャラは一人もいない。これは本当に素晴らしいことだ」などと大絶賛しています。

キャスティングについても、「今、日本映画に出ているおっさん役者のメインどころはほとんど出てるんじゃない?僕に言わせれば、本当に豪華な顔合わせ。こんなことが出来ている日本映画なんて他にはないよ」と褒める褒める(笑)。

さらに良かった点として、「ゴジラの方に全く感情移入してないところ」を上げていました。なぜなら「怪獣側に感情移入するドラマを作ったことが、日本の怪獣映画をダメにした最大の理由なんだから!」と過去の怪獣映画を全否定(笑)。

それに対して『シン・ゴジラ』は、「初めて日本にゴジラが現れ、それに国家がどう対応するのか?」という物語になっています。なので押井監督は、「庵野が作った『シン・ゴジラ』は初代『ゴジラ』(1954年)の正当なリメイク。だからいいんだよ」と全肯定していました。

他にも、「びっくりするぐらい真っ当に作られている映画だ。僕に言わせれば、『ゴジラ』をリメイクするなら、もうこれしかないだろうと言うぐらいだよ」など、称賛コメントが止まりません。う〜ん、これはちょっと意外でしたねえ。まさか押井守監督がこんなに他人の映画を、それも「同業者であり知り合いでもある庵野秀明」の作品をここまで褒めちぎるとは…。

だがしかし!

それは押井守の罠でした(笑)。最初から貶すのではなく、一旦持ち上げておいて、その後に高いところから一気に落とすという、相手により大きなダメージを与えるための巧妙な罠(笑)。というわけで、ここから批判がスタート!

押井監督に言わせると、「『シン・ゴジラ』は仕上げが全然ダメ」なんだそうです。特に酷いのが”音響”で、「一番の見せ場で流れる音楽が全部、伊福部昭なのは有り得ない。その音源はモノラルしかないから、途端に音域が狭まって、スクリーンの前からしか音が聴こえて来なくなる」と鋭く指摘。

また、今回の『シン・ゴジラ』で庵野さんは総監督・脚本・編集以外にも、音響設計・コンセプトデザイン・画像設計・画コンテ・タイトルロゴデザイン・プリヴィズ企画・撮影・録音・予告編演出・宣伝監修・ポスター/チラシデザインなど、もの凄く多岐にわたって活躍しています。

しかし、そんな庵野さんの活躍ぶりに対して、押井守は「監督というものは監督としてだけクレジットされるのが理想で、他はその道のプロにまかせればいいんだよ」「色んなところに監督の名前がクレジットされるのは、映画としては大変よろしくない」と痛烈に批判!

さらに、実写だけでなく”アニメ監督”としての庵野さんにまで苦言を呈するなど、押井さんの容赦ないダメ出しは止まりません。「『エヴァ』をやってる時だって、日本の特Aクラスのアニメーターが素晴らしい原画を描いてるのに、その画を庵野が自分で修正しちゃうんだよ」と『エヴァンゲリオン』制作時の裏事情まで暴露する有様(笑)。

宮さん(宮崎駿)が紙を乗っけると(修正すると)確実にクオリティがアップするけど、庵野は反対。どんどん下がっていく。だって、アニメーターのレベル、どちらが高いかって、特Aに決まってるんだから。


というわけで、前半は褒めて後半は酷評だらけの「押井守『シン・ゴジラ』レビュー」だったわけですが、最終的に押井さんは庵野さんのことを「コピーの天才」と評しています。「『シン・ゴジラ』は、レイアウトからテーマに至るまで全てが何らかのコピー。初代『ゴジラ』と同じレイアウトが山ほど出て来るし、岡本喜八の『日本のいちばん長い日』とか、数え出したらきりがない」「彼はコピーの天才なんだよ」とのこと。

一応、言っておくけど、否定的な意味じゃなくて、客観的にそうだと言ってるだけだからね。その反射する能力は天下一品である、ということ。コピーの天才であるだけで、本当にたいしたもんだと思うよ。


結局、庵野さんのことを褒めているのか貶しているのか良く分かりませんけど(笑)、少なくとも押井監督の目から見て『シン・ゴジラ』は「非常にいい映画」だったようですね(^_^)


押井言論 2012-2015
押井 守
サイゾー (2016-02-03)

岩井俊二監督『花とアリス殺人事件』ネタバレ感想/作画解説

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どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。

本日、池袋の新文芸坐にてオールナイト上映イベント「新文芸坐×アニメスタイル セレクションVol.86 アニメはいいぞ」が開催されます。上映作品は『同級生』、『百日紅〜Miss HOKUSAI〜』、『花とアリス殺人事件』、『ガールズ&パンツァー 劇場版』の4本立てとなっており、なかなか個性的なラインナップで楽しそうですねえ(^_^)

というわけで、本日はこの中の1作『花とアリス殺人事件』を取り上げてみたいと思います。本作は、岩井俊二監督が2004年に撮った実写映画『花とアリス』の前日譚となる内容で、前作で高校生だった荒井花(花)と有栖川徹子(アリス)の「中学生時代」を描いたドラマなのです。

では、なぜ前日譚が実写ではなくアニメーションになったのか?と言うと、岩井俊二監督は当初、「二人の小学生時代(出会った頃)」を描こうとしていたんですね。でも当時、花役の鈴木杏が28歳、アリス役の蒼井優が30歳だったため、「さすがに小学生の役は無理があるだろう」と考え、アニメーションとして作ることになりました。

ところが、アニメのスタッフから、「小学生だと生徒の服装が全部バラバラになって大変なので、出来れば設定を変えて欲しい」と言われた監督は、「じゃあ中学生にしようか」とあっさり変更。しかしその後、「あれ?もしかして中学生なら実写でもいけたんじゃないの?」とアニメで良かったのかどうか、ちょっと悩んだそうです。いやいや、中学生でも実写は厳しいでしょ(笑)。キャストを変えるなら別だけど(^_^;)

なお、キャストを変更しなかったおかげで、アリス役の蒼井優と花役の鈴木杏がそのまま続投することになり、その他、アリスの母親役に相田翔子、父親役に平泉成、花の母親役にキムラ緑子、バレエ教室の先生に木村多江など、前作のキャラが同じ役者で(声優として)再登場している点も嬉しいところ。

まあ、そんな感じで岩井俊二監督が初めて長編アニメを手掛けることになったわけですが、実はもっと以前から監督の中では「アニメーションを作ってみたい」という思いがあったそうです。それはラルフ・バクシ監督の『アメリカン・ポップ』という映画を観たのがきっかけだったとか。

『アメリカン・ポップ』は1981年に公開された長編アニメーションで、「ロトスコープ」という特殊な技法が使われていました。ロトスコープとは、人物の動きを実写で撮影し、それを手描きでトレースしてアニメを作る手法のことで、岩井監督はこの映画を観て衝撃を受け、「自分もやってみたい!」と思ったそうです。

こうして『花とアリス殺人事件』はロトスコープで作られることになったのですが、ロトスコープでアニメを作るには、まず実写映像を撮らなければなりません。そこで岩井監督は最初に絵コンテを描き、それに従って実写映像を撮影。撮った映像を編集して音声もダビングし、一つの映画として仕上げました。

つまり、アニメを作る前に「ガイド用」としての実写映画を、1本丸ごと完成させたんですね。凄い手間がかかってる!しかも、実写映像に出演した役者はあくまでも「ガイド用」の役者で、鈴木杏や蒼井優ではないのですよ(別の役者が演じたアリスの動きに、鈴木杏や蒼井優が声を当てている)。

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さらに、本作の特徴はそれだけではありません。なんとこの映画、3DCGでもキャラクターが作られていたのです。全てをロトスコープで描いたカットがある一方、逆に3DCGだけで作られたカットもあり、一つの映画の中でロトスコープと3DCGが混在しているのですよ。

いや〜、これにはビックリしました!ロトスコープだけで作られたアニメは今までにもたくさんあったし、フル3DCGアニメも珍しくないでしょう。でも、本作のように両方の手法で作られたアニメ(しかも2種類のキャラが同一画面上で共存しているパターン)は、ちょっと前例が無いと思います。

完成した映像を見ると、手描きのラフなロトスコープとアニメ調の3DCGが複雑に入り乱れ、どこがロトでどこがCGなのか、一見しただけでは区別がつきません。二つの異なる技術が一つの映画の中で、ここまで見事に融合していることにとても驚きました。

もちろん、じっくり見れば質感の違いから「これはロトかな?CGかな?」と気付く場面もあるのですが、アニメーションの表現技法において、こうしたユニークな映像スタイルを提示して見せたこと自体が画期的であり、非常に素晴らしいと思います(主人公はCGで他は手描き↓)。

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また、制作方法も大変ユニークで、ロトスコープを手描きしたスタッフはプロのアニメーターではなく、何とツイッターで募集した100人ほどの一般人だそうです。ええええ!?と言っても全くの素人じゃなくて、一応イラストを描いているとか、絵の得意な人を集めたようですが…う〜ん、それでも難しいんじゃないの?

岩井監督曰く、「普通のアニメは”無いもの”を描かなくちゃいけないけど、ロトスコープは”すでにある映像”をなぞればいいので、速く簡単に描けると思ったんです。実際、作業のスピードは全然速いんですが、服を修正したりとか、何かに人物が隠れている部分も描かなくてはいけないとか、余分な作業が発生した途端に難易度が上がってしまうんですよ」とのこと。

やっぱり、アニメの制作時には様々な困難があったようですねえ。例えば、「実写映像をトレースする」と言っても、役者の顔をそのまま描き写すわけではないとのこと。本作にはキャラクターデザイナー(森川聡子)がいて、通常のアニメのように設定画が存在します。

しかし、実写映像の役者はキャラクターデザインとは異なる顔なので、トレースする際にアニメ用の顔に描き直さなければならないのですよ。これには岩井監督も「失敗しましたね。あまり(デザイン画と)似てないんですよ(苦笑)。本当はその役柄に合った子をキャスティングすれば良かったんですが…。そこはもっとこだわるべきだった」と反省しているようです。

その他、実写の映像をそのままなぞるとキャラクターの目が小さくなり過ぎるため、撮影現場で役者の目にわざわざ「アニメっぽい目」を貼り付け、その目をガイドにして絵を描くなど、苦労の連続だったらしい(ちなみに、頭からぶら下がっているヒモみたいなものは「髪の毛」のガイド↓)。

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また、3DCGのスタッフも苦労が多かったようで、当初は「CGでやるならディテールを増やした方がいいだろう」と考え、キャラの質感や影の付け方もリアルに作り込んでいたものの、ロトスコープの絵柄と違いすぎるため、どんどんディテールを減らしていき、最終的にはロトの質感に寄せる形になったとのこと。

しかも、CGアニメーターが付けたカッコいい動きに対して、岩井監督は「実写映像の動きをそっくりそのまま再現して欲しい」とリテイクを繰り返しました。そのため、スタッフから苦情が続出!3DCG側の担当者と何度も議論するはめになったそうです。

岩井監督曰く、「CGアニメーターのやりたいことも分かるんですが、上がってきたフッテージがおかしく見えたり破綻しているなら、実写をなぞった方がいいんです。なぞれば必ず綺麗に動くから。実写を凌駕するものなら、CGアニメーターのやり方にもOKを出せるんだけど、実際にはそれは難しかった。ただ、実写をなぞるだけの仕事で、自分たちのクリエイションはどうなんだ?という不満を言われたりしました」とのこと。

その他、ロトとCGの使い分けに関しても様々な試行錯誤があったらしく、当初3DCGで作る予定だったシーンが、ロトスコープに変わるというパターンも多かったとか。例えば、アリスがお父さんと別れてスローモーションで走るシーンはCGの予定だったのですが、両方の映像をテスト的に作って比較検証した結果、「手描きの方が綺麗に見える」と分かり、ロトスコープになったそうです。

このような実験や議論を日々繰り返した結果、ようやく『花とアリス殺人事件』は完成しました。それにしても、岩井俊二監督はどうしてこんなに手間のかかる方法を採用したのでしょうか?普通に考えたら、わざわざ実写映画を丸ごと1本撮って、それをガイドにアニメを作るなんて、非常に面倒くさいはずなのに。

もちろん「実写の動きをアニメで再現するにはロトスコープが一番だ」と考えたことは間違いないでしょう。ただ、根本的な理由としては「キャラクターの動きに変化を加えたかったから」なのではないか?と思いました。これは、他のアニメ監督と比べてみると分かりやすいかもしれません。

例えば、現在大ヒット中の『君の名は。』を作った新海誠監督の場合、初期の『ほしのこえ』の頃は自分で作画も担当していましたが、それ以降の作品は他のアニメーターに任せています。最新作の『君の名は。』においては、作画監督に安藤雅司という超一流アニメーターを配置し、原画マンも黄瀬和哉、沖浦啓之、松本憲生、橋本敬史など凄い人ばかりを集結させました。

これはつまり、「クオリティの高いアニメを作るには上手いアニメーターを揃えることが大事」「彼らのスキルを存分に発揮すれば、映像的な完成度は確実にアップするはずだ」との考えに基づいているからでしょう。もちろんスタッフに丸投げしているのではなく、「こんな感じにキャラクターを動かして欲しい」という監督の意図は伝えてあるし、綿密に打ち合わせもしているはずです。

しかしながら、スキルの高いアニメーターに任せるということは、監督の意図を正しく汲み取って演技プランを立てるのがアニメーターの仕事であり、実際に絵を描く彼らの技量によってキャラの動きが決まってしまう、ということでもあるのです。新海監督はそこに「きっと凄い動きを生み出してくれるに違いない!」と期待していたのでしょう。

それに対して岩井監督は、「自分が意図しない偶発的な要素を、可能な限り画面に反映させたい」と考えているのです。具体例を挙げると、『花とアリス殺人事件』のワンシーンに「アリスがゴミ袋を捨てる」という場面が出て来るんですが、ここでアリスは普通に捨てるのではなく、「背中の方から回して投げる」という妙な捨て方をしてるんですよ。

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これは脚本にも絵コンテにも描かれてなくて、演出的な意図もありません。単に監督が撮影現場で「なんか面白い動きをやらせたいな〜」と思い付き、色んなパターンを撮影した結果、こういうシーンになっただけなのです。他にも、「役者が勝手に変な芝居をする」等のアドリブ的な動作も積極的に取り入れ、アニメに反映させるのが好きなんだとか。

こういう動きは、アニメーターには描けません。いや、もちろん「ゴミ袋を背中から回して投げてくれ」と具体的に指示すれば描いてくれるでしょうけど、「どういう動きが面白いか?」に関しては監督がその都度見て判断するしかないし、ましてやアニメのキャラがアドリブをやるなんて有り得ないからです。

優秀なアニメーターであれば、監督が意図していること以上の動きを描いてきたり、あるいは絵コンテに描いてないような面白い動きを自分の判断で勝手に描いてしまうかもしれません。しかしそれは、あくまでもアニメーターが「面白い動きを入れよう」と”計算”して描いたものであって、キャラが偶然そんな動きをしてしまった、という意味ではないのです。

そういう”偶然性”をアニメに取り入れようと思ったら、「やはりロトスコープを選択するのが最適だ」と岩井監督は判断したのでしょう。アニメーションの監督がキャラに芝居させようとして、どんなに綿密にアニメーターと打ち合わせをしても、最終的にその動きはアニメーターの技量やセンスに左右されてしまう。

でも、実写映画の監督である岩井さんは、本物の役者に演技させることで徹底的に自分の望む芝居を演出し、それをアニメーションに転化しました。これは、実写の映画監督がアニメを作ったからこういう発想になったのか、それとも岩井監督独自のものなのかは分かりませんが、いずれにしても一般的なアニメの感覚とは異なる、実にユニークで効果的な方法と言えるでしょう。

というわけで『花とアリス殺人事件』は、アニメーションでありながらも、本来アニメが持ち合わせていないはずの”偶然性”が画面から滲み出てくるような、非常に実写的で不思議な感覚に満ち溢れた作品になっています。

まあ、ミステリー映画っぽいタイトルとは裏腹に、殺人事件どころか大した事件も全く起こらない普通のストーリーには意表を突かれたんですが(笑)、だからこそ二人の少女の日常描写が一層際立ち、この映画における独特の世界観を美しく、そして力強く描くことが出来たのでしょう。

ちなみに、新海誠監督も『花とアリス殺人事件』の大ファンで、何度もこの映画を観て研究したそうです。特にお気に入りが「ラーメン屋」のシーンだとか。映画の終盤で花とアリスがラーメン屋に入る場面があるんですけど、店にいる他の客たちがどうしても気になってしまうらしい。

簡単に状況を説明すると、主人公の二人がラーメンを注文するものの、終電の時間が迫っていることに気付きキャンセル。すると、派手なスカジャンを着た女性客が「良かったら、うちらが先に注文した分を回してあげようか?」などと言い出すのです。どうやらこの人がリーダー的な存在らしいのですが、いったいどういう集団なのか?

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実はこのシーン、岩井監督が間違えて「男性客の中に一人だけ女性を入れてしまった」とのこと。そうなると”彼らの関係性”を説明しなければならず、それを誤魔化すために派手な衣装を着せたそうですが、「逆に目立つ結果になってしまって…」と失敗を認めていました。それを知らない新海監督は「ただのモブシーンなのに、どうしてこんなにキャラが立ってるんだろう?」と不思議で仕方がなかったそうです(笑)。

そして、あまりにも「ラーメン屋」の印象が強かったため、とうとう自分の最新作に取り入れることを決意。なんと、『君の名は。』の主人公たちがラーメン屋に入ってラーメンを注文する場面は、このシーンのオマージュだそうです。全然気付かなかったなあ(^_^;)


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新海誠監督の『ほしのこえ』がアニメ界に与えた影響と衝撃

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■あらすじ『西暦2039年。火星有人調査隊はタルシス台地のクレーター内に異文明の遺跡を発見するが、突然、謎の生命体の攻撃を受けて全滅してしまう。この状況に対し、地球人類は未知の脅威に立ち向かうべく、技術・人的資源の枠を超越した国連宇宙軍を設立。その後、調査隊を襲った異生命体(タルシアン)は太陽系の果てに姿を消したが、人類は亜光速航行が可能な巨大宇宙戦艦リシテア号を建造、さらに太陽系外縁に人工のワープ・ポイントが見つかり、恒星間航行の手段をも手に入れた。そして2047年、ついに国連宇宙軍は1000人以上の調査部隊を結成し、タルシアンの痕跡と行く先を探るため、太陽系外縁へと向けた調査の旅に出発することが決まる。一方、同じ中学校に通う同級生の長峰美加子と寺尾昇。仲の良い二人だったが、ある日、ミカコが国連軍の選抜メンバーに選ばれたことをノボルに告げる。やがてミカコはリシテア号に乗って宇宙へ旅立った。地上と宇宙に離れた二人は携帯メールで連絡を取り合うが、地球からの距離が遠くなるにつれ、電波の往復にかかる時間は開いていく。そしてリシテア艦隊がワープを行い、ついに二人の時間のズレは決定的なものになってしまった…。』



『ほしのこえ』は、現在大ヒットを飛ばしている『君の名は。』の新海誠監督が、最初に注目されるきっかけとなった短編アニメーション映画である。わずか25分のこの小さな作品が、なぜ世間を賑わせるほど話題になったのか?それは、本作が新海誠という一人の男によって作られた、究極の自主制作アニメだったからだ。

新海誠監督が、たった1台のパソコンを使って作り上げた『ほしのこえ』が公開されたのは2002年2月2日、下北沢にある短編映画専門の小さな映画館「トリウッド」だった。しかし、小規模な公開ながらもその反響は凄まじく、わずか46席のキャパシティしかないこのミニシアターに早朝からとてつもない数の観客が殺到し、近隣の商店街から苦情が出るほどの行列が出来たのである。

初日のチケットは瞬く間に完売し、急遽上映回数が増やされたが、そちらのチケットも即時完売という物凄い有様だった。そして3月1日までの1ヶ月間で3484人もの観客を集め、トリウッド開設以来の最多動員記録を叩き出し、さらに2002年4月19日に発売されたDVDは、わずか1週間で1万枚を売り切り、国内で6万5975枚、海外で5万8643枚の計12万枚以上を売り上げるという前代未聞の快挙を成し遂げたのである。

この作品については、「感動して涙が止まりませんでした!」とか、「『最終兵器彼女』や『トップをねらえ!』のパクリじゃねえか!」とか、賛否両論の評価があるようだが、個人的には「たった一人で映画を作った」という点に最も感銘を受けた。確かに自主制作映画の世界では、一人で実写映画を作る人は珍しくない。だが、『ほしのこえ』はアニメーションで、しかも作品としての完成度がケタ外れに高かったのである。

実写と見紛うばかりに丹念に描き込まれたリアルな背景美術。自由自在に画面を動きまくる3DCGのメカ。そして、遠く離れ離れになってしまった恋人同士が織り成す、哀しく切ないラブ・ストーリー。商業作品に匹敵するようなとてつもないクオリティが、観る者の心をガッチリ捕らえて離さない。初めてこの映画を観た時、こんな凄い作品を一人で作り上げたという事実に驚愕して腰が抜けそうになった。新海誠、恐るべし!と。

なんせ、「アニメ」は実写に比べると格段に制作のハードルが高い。カメラを向ければそれだけで映像が撮れてしまう実写に対し、アニメの場合はまず絵を描かなければ何も始まらないからだ。しかも、たった1秒の映像を作るために(フルアニメなら)24枚もの絵を描かねばならない。大変な手間と根気が必要な作業である。

こうした理由から、昔は「素人がアニメを作るのは難しい」と思われていた。ところが、1981年にこの常識を覆すような大事件が起きる。それが「第20回 日本SF大会大阪大会」で上映された「DAICON?オープニングアニメ」だ。岡田斗司夫、庵野秀明、赤井孝美、山賀博之ら、後に『エヴァンゲリオン』等で注目を集める「ガイナックス」の主要メンバーが、まだ大学生時代に作った自主制作アニメである。

80年代当時、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』等のヒットによって大きなブームが起こり、急速にアニメファンが増えつつあった。しかし、その頃はまだ「自分たちでアニメを作る」という発想はなく、あくまでも「アニメを楽しむだけ」の人々が大多数だった。

そんな中に現れた「DAICON FILM(ダイコンフィルム)」のメンバーたちは、ろくにアニメの作り方も知らないのに、「自分たちの手でアニメを作ってやるぜ!」という情熱のみで制作をスタート。活動拠点となった岡田斗司夫の自宅には庵野秀明、赤井孝美、山賀博之が泊まり込み、毎日ひたすら絵を描き上げていった。

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そして、関西周辺の大学から集められた20名ほどの学生スタッフたちが、庵野の描いた絵をハンドトレスでセルに転写していく。そのセルに色を塗るスタッフも泊まり込みで作業を続け、岡田斗司夫の家では連日連夜、常に誰かが働いていたという。

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これだけでも大変だが、この上アニメ作りは金がかかる。スタッフの人件費はボランティアだからいいとして、素人集団であるが故に失敗も多い。セルの描き損じや色の塗り間違えなどは日常的に発生し、材料費に無駄が出まくったそうだ。

また、撮影が失敗すればフィルム代や現像費も倍かかる。さらに撮影用のライトを点けっぱなしにした結果、なんと岡田家の電気代が1ヶ月で20万円を超えてしまい、両親からこっぴどく怒られた挙句、弁償させられるはめになったらしい。

そんな苦労だらけのアニメ制作が4ヶ月も続き、ようやく5分間のショート・フィルムが完成。たった5分のアニメだが、『DAICON?』がアニメファンに与えた衝撃は凄まじかった。その衝撃とは、「自分たちのような素人でもアニメを作ることができるんだ」という事実を証明してみせたことである。そして実際に『DAICON?』を見て影響を受けた高校生や大学生たちが、次々とアニメを作り始めたのだ。

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庵野秀明らが『DAICON?』を作っている頃の様子はこの漫画で詳しく描かれています

余談だが、実は僕自身も学生時代に友人たちと一緒に自主制作アニメを作ろうとしていたことがある(ペーパーアニメだけど)。教科書の端っこにパラパラアニメを落書きする程度の経験はあったので「楽勝だろう」と思っていたのだが、2ヶ月かかって1分ちょっとのフィルムしか出来ずに挫折した。

当初は白黒で描いていたのに、途中で誰かが「やっぱカラーの方がかっこいい」などと言い出したため、色鉛筆や絵の具で色を塗り始めたことも、作業を遅延させた要因だろう。おまけに、セルじゃなくて紙に描いていたから、「背景も一緒に描かなきゃいけない」と思い込み、全編背景動画になってしまった点も難易度を押し上げた要因に違いない(最初からセルでやれば良かったのにって?金が無かったんだよ!)。

まあ、他の自主制作アニメはもう少し効率的にやっていたのかもしれないが、いずれにしても「素人がアニメを作るのはほぼ不可能だ」という当時の認識や既成概念を、『DAICON?』は一気にぶち壊してしまったのである。

そして『DAICON?』の衝撃から約20年、再びアニメ界に激震が走った。そう、それが新海誠監督の『ほしのこえ』だ。そのクオリティもさることながら、真に驚くべきは、この映画を作るために使用されたコンピュータが全然特殊なものではなく、一般に市販されているごく普通のパソコンだったという点である。

その内訳を見てみると、ハードウェアはPowerMac G4 400MHz/メモリ1GB、ハードディスクは300GB、ソフトウェアは、2D作画にPhotoshop5.0、3DCG作成にLightWave3D6.5、エフェクトの作画にCommotion DV3.1、合成・編集作業にAfterEffects4.0など、特に珍しいツールが使用されたわけではない。

スペック的には決して最新とは言えない機器で、しかも普通のスキャナとダブレットのみで制作しているのが逆に凄い(データ保存も外付けハードディスクを増設しただけ)。おまけに、ソフトはバージョンアップすらしないで、旧バージョンのまま使用しているという有様だ。

新海監督曰く、「個人制作ならばこの程度の制作環境(スペック)で必要十分。いくらフルデジタルといっても、映画は構想が全てですから。ハードに関しては、現在店で売っているものなら、何でも映像の制作環境として使えると思いますよ」とのこと。ではいったい、新海誠が提示した“新たなる可能性”とは、一体何だったのか?

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『ほしのこえ』が発表された直後、新海誠は一部のアニメマニアから「一人ガイナックス」と称されていたという。それは、約20年前に庵野秀明や山賀博之など当時はアマチュアだった人々が『DAICON?』においてもたらした衝撃を、彼がたった一人で再現してみせたからである。

かつて、ガイナックスの前身であるダイコンフィルムとそのスタッフたちが実際にアニメーションを作ってしまったことによる衝撃とは、「自分たちと同じ素人でもアニメが作れるんだ!」という事実を同世代の人間に突きつけたことだった。

そして新海誠はその事実を踏まえた上で、今までは“集団作業”で、手間隙とそれなりの費用をかけなければ作れなかったアニメが、「個人でも制作可能な時代が到来した!」という新たな事実を、実際に自らやってのける事で立証してみせたのである。

だが「作ることが出来る」と「実際に作ってしまった」の差はとてつもなく大きい。一つの作品をたった一人でコツコツと作り続け、途中で挫折することなく完成まで持っていく、その労力たるやハンパではないだろう。いくらデジタル環境が整ったといっても、制作に伴う苦労が完全に無くなるわけではないのだから。

それはもはや、才能以上に凄まじいばかりの”情熱”がなければ決して成し得ない一大事業ではないだろうか?そういう意味でも、新海誠がいかに稀有なクリエイターであるか、そして『ほしのこえ』がいかにエポックな作品であるかが分かると思う。

事実、新海誠の出現と前後して何人もの個人クリエイターがデビューを果たしているのだ。彼の映画を観て「自分も作りたい!」と影響を受けた人が出てきている証拠であり、アニメ界に多大な影響を及ぼしていることは間違いない。『ほしのこえ』はまさに、自主制作アニメの世界に”革命”を起こしたと言っても過言ではない、奇跡のような作品なのである。

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さて、この作品を語る際にはどうしても「アマチュアが作ったアニメにしては出来がいい」という文脈で評価されがちだが、では「内容の方はどうなのか?」と言えば、「制服姿の女子中学生が巨大ロボに乗って宇宙人と戦う」という、清々しいほどのオタク趣味全開な内容に(違う意味で)驚嘆せざるを得ない。

これは紛れも無く、『DAICON?』から連綿と続く自主制作アニメの系譜であり、「自分の妄想を本能の赴くままに映像化した由緒正しいオタク作品」と言えるだろう。一応、ストーリーのようなものは存在するが、やってることは「ランドセルを背負った女子小学生が巨大怪獣やパワードスーツと戦う『DAICON?』」となんら変わらない。

だが、アマチュア作品とは本来そういうものなんじゃないだろうか?プロのアニメ制作現場を一度も経験したことがない新海監督は、「自分が好きなもの」や「自分が観たい映像」を忠実に具現化しようとしたのである。そのため、個人の嗜好が強く出過ぎて、人によっては「受け入れられない」と思う人がいるかもしれない。

また、あまりにも映像の完成度が高すぎるが故に、本来アマチュアの作品なのに「素人くさい」とか、プロの作品のように批判されてしまう弊害も起こっているようだ。『機動戦士ガンダム』のキャラデザで有名な安彦良和監督も『ほしのこえ』を観て、「背景やメカのクオリティは素晴らしいが、キャラクターの作画が素人感丸出しで驚いた」とコメントしている。いやいや、素人ですから(笑)。

このような、「一つの画面の中で技量のギャップが著しく目立つ」とか「内容がマニアックに偏りすぎる」などの現象はまさにアマチュア作品特有のものであり、『ほしのこえ』の大きな特徴だろう。まあ確かに、この作品には不足しているものが多いし、作画の精度にもバラつきがある。一本の映画としてはいささか歪な構成だ。

しかし、だからこそ本作には作り手側の主張が最も強く反映され、後の新海作品と比べても極めて私的(プライベート)な要素がダイレクトに投影されている。自主制作アニメというより、むしろ新海誠のプライベートフィルムとしての価値がこの作品には間違いなくあると思う。それこそがまさに『ほしのこえ』の本質であり、最大の魅力なのだ。


ほしのこえ(サービスプライス版) [DVD]
コミックス・ウェーブ・フィルム (2006-11-17)

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