どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。
本日、金曜ロードSHOW!でスタジオジブリの劇場アニメ『思い出のマーニー』が放送されます。本作は、『借りぐらしのアリエッティ』を作った米林宏昌監督の長編第2作目で、2014年に公開され35億円の興行成績を記録しました。
そして現在は監督第3作目の『メアリと魔女の花』が全国の映画館で上映中です。そんな米林宏昌監督は、どのような状況の中で『思い出のマーニー』を作っていたのでしょうか?というわけで本日は、『思い出のマーニー』の制作裏話をいくつかご紹介しますよ。
●『借りぐらしのアリエッティ』の後
もともと米林さんはジブリのアニメーターで、「僕は今後もアニメーターを続けていきたい」「だから1作だけならやります」という条件で『アリエッティ』の監督を引き受けたそうです。このため、『アリエッティ』の作業を終えた後は、宮崎吾朗監督の『コクリコ坂から』に参加していました。
当時、『コクリコ坂から』の現場はスケジュールが切迫しまくり、修羅場と化していたらしい。なので会社から「すぐに手伝ってくれ!」と言われた米林さんは再びアニメーターとして参加したのです(終盤の「貨物船に飛び移った海ちゃんを俊くんが抱き止めるシーン」などを担当)。
さらに『コクリコ坂から』が終わると、今度は宮崎駿監督の『風立ちぬ』のスタッフに加わりました。こうしてアニメーターとしての生活に戻った米林さんですが、しばらくすると徐々に「もう一度監督をやりたいなあ…」という気持ちが芽生えて来たそうです。
「『アリエッティ』を終えた直後は、全てを出し切ってやり切った感じがあったのですが、時間が経って振り返ってみると、”もう少し良いものに出来たんじゃないか?”ということを考えてしまい、また機会があれば監督をやりたいな、と思っていました」とのこと。
ちょうどそんな時、プロデューサーの鈴木敏夫さんから監督2作目の声が掛りました。「どう?もう1回監督やる気ある?」と聞かれた米林さんは反射的に「やります!」と答えたそうです。しかし、その時に鈴木さんから渡された原作がとんでもないクセモノで…。
●映像化不可能な原作
実はこの『思い出のマーニー』、宮崎駿監督も気に入っていたらしく、何年も前から映画化を検討していたらしいのですよ。しかし結局、「アニメ化するには極めて困難な題材」との結論に至り、断念せざるを得なかったそうです。
こうして米林さんのところへ話が回ってきたわけですが、宮崎駿ですら映画化を諦めたほどの難しい原作を、まだ経験が浅い米林監督に任せて大丈夫なの?という不安が…。この時の心境を、米林さんは以下のようにコメントしていました↓
文学作品としては面白い。でもアニメーションとして描くにはすごく難しい!鈴木さんは僕を潰そうとしてるのかと思いましたね(笑)。なんでこれを薦めたんだろうと。これは映像化は無理でしょうと。だから鈴木さんに言いましたよ。「僕はアニメーターなので、動かす作品の方がいいです」って。でも「ああ〜」って言うだけでしたね(笑)。 (「CUT 2014年8月号」のインタビューより)
●舞台を日本に変更
原作の『思い出のマーニー』は、イギリスが舞台になっていました。しかし、鈴木さんや宮崎さんから「日本を舞台にしよう」と言われ、米林監督自身も「イギリスのことはよく知らないので、イギリスを舞台に設定すると後々大変だろう」と思ったらしい。このため、早い段階から舞台を日本に変更することが決まったようです。
では、日本のどこを舞台にするか?について米林さんが色々悩んでいると、美術監督としてこの作品に加わった種田陽平さんから貴重なアドバイスをもらいました(種田さんは実写映画のロケで色んな場所を回っているので、画になるロケポイントをいくつも知っていたのです)。
米林監督は原作の挿絵に描かれているような「風車のある景色」を探していたのですが、日本にはイメージに合う風車がありません。そこで種田さんが「札幌にはサイロがたくさんあるよ」と薦めたところ、「「これなら風車の代わりにいけるかも!」と大喜び。こうして舞台は北海道に決まったそうです。
●ジブリの美術の秘密とは?
そんな種田さんは、普段は三谷幸喜監督の『THE 有頂天ホテル』や『ステキな金縛り』、クエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル』など、実写映画の美術を担当しています。そして、2004年に押井守監督の『イノセンス』でプロダクション・デザイナーを務め、その時プロデューサーだった鈴木さんと知り合ったらしい。
鈴木さんはその後、種田さんに会うたびに「アニメの美術やらない?」と言い続け、種田さんも「ぜひやりましょう!」と深く考えずに応えていたら、ある日『思い出のマーニー』の原作が送られて来たという。その時点ではまだ仕事を引き受けるかどうかも決めていなかったのですが、「気付いたらいつの間にか話が進んでいて、もう断れる状態ではなくなっていました(笑)」とのこと。強引なオファーだなあ(^_^;)
なお、種田さんはジブリの美術監督を担当して、あることが印象に残ったそうです。以下、種田さんのコメントより↓
今回、平原さんというジブリの美術部のベテランと”大岩家の部屋”を作っていた時のことです。やけに小物が多かったんですよ。「こんなに細かく描き込む必要があるのかな?」と思ってたんだけど、それを見た米林監督が「この棚の上の小物、可愛いですね〜!」と反応したんですよ。それを見た平原さんは「やった!」という感じで(笑)。
その時、物語の中で何か役割を果たすわけではないんだけど、きっとすごく重要なディテールになっているんだなと。つまり実写のときに美術監督がやる空間設計とは、全く違う発想があるんだな、と気が付いた。バックに可愛い小物が並んでいる必然性はないけれど、それがジブリ的空間の核の一つになってるんです。それは本当に予想外のことでしたが、とても勉強になりました。 (「思い出のマーニー ビジュアルガイド」より)
●宮崎駿登場!
さて、物語の舞台が北海道に決まり、「じゃあロケハンへ行こう」となったタイミングで現れたのが宮崎駿監督でした。もともと宮崎さんも『マーニー』にはかなり思い入れがあったらしく、なんと米林監督たちが打ち合わせをしている部屋にいきなり入って来て、「舞台は瀬戸内がいい」などと言い出したのですよ。
しかも、ホワイトボードに色んなことを書きながら「瀬戸内はこんな場所だ」ということを熱心にアピール。そして、散々「瀬戸内の良さ」を語った後、「じゃあ俺は戻るから」と言って出て行ってしまいました。残された米林さんたちはポカーン状態です(笑)。
当然、スタッフたちは「「ど、どうしよう?」「瀬戸内にした方がいいのかな?」とオロオロ。今までならほぼ確実に「宮崎監督の意向だし仕方ないか…」みたいな感じで瀬戸内になっていたでしょう。しかし、米林監督は「いや、北海道でいきます!」とキッパリ。
どうやら、ホワイトボードに描かれた絵が、どう見ても『崖の上のポニョ』だったらしい(笑)。結局、宮崎監督の意向を無視する形で制作が進められたそうです。米林監督曰く、「宮崎さんがどう思うか、そういうことは一切意識せずに作りました」とのこと。
●なぜ作画がすごいのか?
『思い出のマーニー』には、安藤雅司、山下明彦、稲村武志、田中敦子、賀川愛、二木真希子、大塚伸治、高坂希太郎、本田雄、近藤勝也、小西賢一、山下高明、沖浦啓之、橋本晋治など、業界屈指の凄腕アニメーターが多数集結しています。しかも『かぐや姫の物語』で活躍した田辺修もノンクレジットで参加しているのが凄い(田辺さん曰く、「『かぐや姫』で大量のカットを安藤さんに引き受けてもらった”借り”があるため断れなかった」とのことw)。
このため、『マーニー』の作画は信じられないほど高いクオリティになっているわけですが、いったいなぜこんなに大勢の凄腕アニメーターを確保できたのでしょうか?実は彼らは、もともと「某超大作アニメ」を作るために集められたメンバーだったのですよ。ところがそっちの制作がなかなか始まらず、結局『マーニー』の方を手伝うことになったのだそうです。以下、安藤雅司さんの証言より↓
今回はタイミング的に、皆さんの手が空いていたことが大きいです。他の劇場用作品に参加する予定で待機していたアニメーターが大勢いたのですが、その制作が始まらないので、始まるまでの間、少し手伝ってもらえないか?とお願いしたんですよ。結果としては、最後までその作品は動き出さなかったので、こちらとしては「やった!」という気持ちでした(笑)。 (「THE ART OF 思い出のマーニー」より)
●西村プロデューサーの想い
『思い出のマーニー』のプロデュースを担当したのは、『かぐや姫の物語』で高畑勲監督とタッグを組んだ西村義明さんです。西村さんが鈴木さんから『思い出のマーニー』への参加を打診されたのは2012年の秋頃。まさに『かぐや姫』の作業の真っ最中でした。
通常、長編アニメーションを2本同時にプロデュースするなんて事態はあり得ません。しかし西村さんは、この無謀とも思える提案に「やります!」と即答したらしい。以下、西村プロデューサーのコメントです↓
僕は『借りぐらしのアリエッティ』の初号試写を高畑さんと一緒に観たんです。その直後、喫茶店で「どうでした?」と高畑さんに聞いたら、開口一番「あの映画には、命をかけて作品を良くしようとする現場のプロデューサーがいない。そういう映画でした」と答えたんです。そのことは凄く記憶に残りました。
その後、麻呂さん(米林監督)とお酒を飲む機会があったんです。それまではほとんど話したこともなかったんですが、『アリエッティ』の感想や、僕が「ブーブー言いながら高畑さんと絵コンテやってるんですよ」と『かぐや姫』の愚痴を言っていたら、麻呂さんが「羨ましいですねえ」と。
「『アリエッティ』は一人でマンションに閉じこもりながら絵コンテを描いていた。すると自分が描いているものが本当にいいのかわからなくなる。そういう時に西村さんみたいな人が傍らにいて、あれこれ文句を言ってくれるのは心強いですよ。高畑さんも嬉しいんじゃないですかね」と言われたんです。
この高畑さんと麻呂さんの言葉が、鈴木さんに「やってみないか?」と言われた瞬間に浮かび、参加を決めたんです。鈴木さんにはもう一つ、「麻呂には未来がある。お前にも未来がある。その二人が組んで何ができるか見てみたい」と言われました。発表は翌年でしたが、鈴木さんは宮崎さんが長編アニメーション映画から引退することを、何か感じていたのかもしれませんね。 (「キネマ旬報2014年8月上旬号」より)