※今回の記事は『シン・ウルトラマン』と『大怪獣のあとしまつ』のネタバレが含まれているので未見の方はご注意ください。
どうも、管理人のタイプ・あ~るです。
さて現在、庵野秀明&樋口真嗣の『シン・ウルトラマン』が大ヒット上映中ですが、数ヵ月前にも”とある怪獣映画”が話題になっていたことを皆さん覚えているでしょうか?
そう、『大怪獣のあとしまつ』です(もうほとんどの人が忘れてるかもw)。
公開直後から「こんな酷い映画は観たことがない」とか「クソ映画」などの酷評が相次ぎ、「令和のデビルマン」という衝撃的なワードがTwitterでトレンドになるほどネットで荒れまくった『大怪獣のあとしまつ』ですが、『シン・ウルトラマン』が公開されると「似てるんじゃね?」みたいな意見がチラホラと…
『大怪獣のあとしまつ』のストーリーをざっくり説明すると、「東京に現れた巨大な怪獣を倒した後、その死体処理をめぐって右往左往する人々の姿を描いた物語」です。
これのどこが『シン・ウルトラマン』に似ているのか?というと、オチが「ガボラのエピソード」とそっくりなんですよ。
『シン・ウルトラマン』では、放射性物質を撒き散らしながら移動する禍威獣第8号「ガボラ」の対応に禍特対が苦慮していると、ウルトラマンが現れてガボラを倒し、その死体を抱えたまま空高く消えていく…という展開でした。
一方、『大怪獣のあとしまつ』では怪獣の死体の処理方法について議論が交わされ、特務隊が様々な対応策を実行するものの上手くいかず、最終的に「光輝く謎の巨人」が現れ、死体を抱えたまま空高く消えていく…という終わり方でした。
ほとんど一緒じゃん!
劇中ではその姿ははっきりと描かれていませんが、「光輝く謎の巨人」ってどう考えてもウルトラマンでしょう。
メガホンをとった三木聡監督によると「主人公の帯刀アラタという名前は、『ウルトラマン』のハヤタ隊員からイメージしたもので、新しいハヤタで”アラタ”にしました」とのこと。
また、舞台挨拶でも「『ウルトラマン』って怪獣を倒す時にスペシウム光線を出すじゃないですか?なんで最初から出さないんだろうって子どものころからずっと思ってた。だから最後のシーンは、それに対するオマージュやパロディなんです」と証言。
つまり、『大怪獣のあとしまつ』は明確に『ウルトラマン』を意識して作られた映画なので、『シン・ウルトラマン』に似ているのも当たり前といえば当たり前なんですよ。
ただ残念ながら、劇中のギャグがことごとく滑りまくり、キツい下ネタ表現も満載だったため派手に炎上してしまったんですよねぇ。
では、「もし一切ギャグがなかったら面白い怪獣映画になったのか?」というと…可能性は高かったんじゃないでしょうか。なぜなら、物語の構造が『シン・ウルトラマン』とほぼ同じだからです。
例えば『シン・ウルトラマン』の冒頭シーンで「巨大不明生物ゴメス」が現れた際、自衛隊は自力でゴメスを倒しますが、その死体処理をめぐって『大怪獣のあとしまつ』みたいな議論があったはずなんですよ。
しかし、『シン・ウルトラマン』ではそういう場面は描かれていません。三木聡監督によると、『大怪獣のあとしまつ』はそのような「映画の中で描かれていない時間を映画にしてみたいという天邪鬼な考えが企画のスタートラインだった」とのこと。
例えば『ゴッドファーザー』で歌手が朝起きると切断された馬の首がベッドに入ってるんだけど、あれ、夜中にどうやって気付かれぬまま入れたのか?とか、『ストリート・オブ・ファイヤー』ではウィレム・デフォーが手持ちのホーンを鳴らすと背後からハーレーダビッドソンのバイカー軍団がぞろぞろ出て来ますよね。じゃあ、奴らは後ろでずーっとスタンバイしていたのか?…といったドーでもいい疑問を考えてみる企画だったんですよ。
(「キネマ旬報」2022年2月下旬号より)
このように、『大怪獣のあとしまつ』は『シン・ウルトラマン』の本編から省かれた場面を敢えて描いてみせた…という考え方もできるわけです(もちろん”単なる偶然の一致”なのは言うまでもありませんがw)。
まぁウルトラマン自体はラストまで全く登場しないものの、怪獣(の死体)を相手に困難なミッションに挑み続ける特務隊の姿を見ると、「ウルトラマンに出会う前の禍特対はこんな感じだったんじゃないか?」などと想像させられたり、妙にシンクロしてるんですよね。
また、庵野秀明さんが書いた『シン・ウルトラマン』の脚本には元々「神永(斎藤工)と浅見(長澤まさみ)のキスシーン」が描かれていて、二人の恋愛ドラマ的な要素も入ってたんですけど、諸事情でカットされてしまいました。
それに対して『大怪獣のあとしまつ』では、帯刀アラタ(山田涼介)と雨音ユキノ(土屋太鳳)の恋愛要素がしっかり描かれてるんですよ。
さらに『シン・ウルトラマン』のクライマックスで、ゼットンとの最終決戦に向かおうとしている神永に浅見が「行ってらっしゃい」と声をかけるシーンは、『大怪獣のあとしまつ』で帯刀に雨音が「ご武運を…」と声をかけるシーンにそっくりです。
このシーンはどちらも「もうこれで大切な人と会えないかもしれない」というヒロインの切ない気持ちが込められていて非常に感動的なんですが、『大怪獣のあとしまつ』の方がよりダイレクトに”恋愛ドラマ”として描かれている分、エモーショナルな雰囲気が強まってるんですよね(『シン・ウルトラマン』にはそこまで恋愛要素が無いので)。
そういう意味でも、『大怪獣のあとしまつ』は(あくまでも偶然ですけど)「『シン・ウルトラマン』で描かれなかったシチュエーションを補完した映画」とも言えるわけで、「しょーもないギャグなど入れずにもっと真面目な作劇を見せていれば…」とつくづく残念でなりません。
なお、ラストに”続編を匂わせるようなシーン”もありましたが、実現する可能性は極めて低いでしょうねぇ。