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『ULTRAMAN』(2004年)はこうして生まれた

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『ULTRAMAN』(2004年)

ULTRAMAN』(2004年)


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて現在、全国の劇場で『シン・ウルトラマンが大ヒットしていますが、そんなウルトラマン人気に呼応するかのように、とある作品が注目を集めていることをご存知でしょうか?

それが、2004年に公開された映画ULTRAMANです。

この作品は、いわゆる”ウルトラマン映画”の一つなんですけど、「TVで活躍しているウルトラマンたちが集まって怪獣と戦う」みたいな話じゃなくて、本作オリジナルのウルトラマンがオリジナル怪獣と戦う、要は「TVのウルトラマンを知らない人でも理解できる映画」なんですよ。

以下、簡単にあらすじを紹介すると…

航空自衛隊パイロットの真木舜一(別所哲也)は、ある夜、日本の領空内に侵入した未確認飛行物体を調査中に謎の赤い発光体と衝突して墜落する。ところが、その発光体は高度な知性を持つ宇宙人で、真木と融合することにより彼の命を救った。

一方、海上自衛隊の有働貴文(大澄賢也)は、太平洋沖に落下した未確認飛行物体を調査中に青い発光体と接触し、体に変調をきたす。青い発光体は凶悪な宇宙生命体で、有働の身体と精神を完全に乗っ取ってしまった。

凶暴化した有働が施設を脱走したため、陸上自衛隊の対バイオテロ研究機関「BCST」は真木も同じように変化することを恐れ、施設に監禁する。やがて”ザ・ワン”と名付けられた有働が真木を狙って施設を襲撃!真木はウルトラマンに変身し、巨大化した”ザ・ワン”と対峙することに…

初代ウルトラマンを知っている人はお気付きかと思いますが、この物語は1966年にTVで放送された『ウルトラマン』の第1話「ウルトラ作戦第一号」をベースに作られたものです。

オリジナル版では、赤い発光体となって地球へやってきたウルトラマンが、青い発光体である怪獣ベムラーを追跡中にハヤタ隊員(黒部進)の乗るビートルと衝突して死なせてしまう。

責任を感じたウルトラマンは自分の命をハヤタ隊員に与え、一心同体となって地球の平和を守る…というストーリーでした。

映画『ULTRAMAN』は、この第1話を長編ドラマとしてリメイクし、「もし現実世界にウルトラマンと怪獣が現れたらどうなるのか?」という状況をリアルに描いてみせたのです。

ただし、単にオリジナル版のストーリーをなぞっただけではありません。

なんと主人公の真木舜一には奥さん(裕木奈江)と子供がいて、「愛する家族を守るために怪獣と戦う」というキャラクターなのですよ(ウルトラマンでは珍しい設定)。

さらにストーリー終盤では子供が病気で倒れ、病院に駆け付けた主人公に息子が「パパ、お仕事を頑張って。僕も頑張って病気を治すから」と語りかけるシーンも出て来て涙を誘います。

『ULTRAMAN』(2004年)

ULTRAMAN』(2004年)

つまり本作は、「ウルトラマンと怪獣の激しい戦い」を描きつつ、「父親と息子の温かい絆」も描いた”感動的な家族のドラマ”なんですね。では、なぜ『ULTRAMAN』はこういう映画になったのでしょうか?

当時チーフプロデューサーを務めていた鈴木清さんは、「ハリウッドでは(『スーパーマン』や『バットマン』など)コミックから生まれたヒーローが活躍する映画が広く受け入れられている。ならば、日本を代表するヒーローの『ウルトラマン』にも、それができないはずはない」と考え、本作を企画したそうです。

そのため、「大人の鑑賞にも耐えるような質の高い特撮映画」を目指し、ストーリーはドラマ性を重視し、映像も徹底的にリアリティを追求したらしい。

中でも特筆すべきは、「防衛省(撮影当時は防衛庁)の全面協力」による迫力満点の自衛隊描写でしょう。

主人公の真木はF-15Jイーグルのエースパイロットという設定なので、冒頭から本物のF-15がガンガン出て来るんですよ。これが非常にカッコいいんですよねぇ(見せ方やバックに流れる音楽は完全に『トップガン』を意識してますがw)。

『ULTRAMAN』(2004年)

ULTRAMAN』(2004年)

このシーンのロケ場所は航空自衛隊百里基地で、事前にレクチャーを受けた別所哲也さんが実際にF-15のコックピットに座って撮影したそうです(スクランブル発進するF-15ももちろん本物なので迫力がすごい!)。

また陸上自衛隊の朝霧駐屯地でロケした際は、駐屯地内の道路を国道に見立て、そこに本物の自衛隊車両をズラリと並べて本物の自衛隊員が自衛隊員を演じるという、これ以上ない圧倒的なリアリティを醸し出していました。

なお、基本的に自衛隊の人たちはセリフを喋らないんですけど(喋るシーンでは役者が演じている)、ザ・ワンが新宿に出現した時に「うわあああ!」と叫び声を上げている人は本物の陸上自衛隊員だそうです。

『ULTRAMAN』(2004年)

ULTRAMAN』(2004年)

さらに特撮シーンも気合いが入りまくっていて、ビル等のミニチュアも非常にリアル!それもそのはず、今回のウルトラマンは「アンファンス」から「ジュネッス」へ2段階に変化し、幼体のアンファンスは「本来の能力を発揮できず、身長も10メートルしかない」という設定です。

そのため、ミニチュアの縮尺が1/5スケールになり(『ゴジラ』などの怪獣映画では1/25スケールのミニチュアが多い)、通常よりもかなり大きく精巧に作り込まれているのですよ(屋外で撮影した爆破シーンも迫力が凄い!)。

そして見どころとなる「ウルトラマンの飛翔シーン」は、当時の最新CG技術を駆使して描かれたんですが、その指揮をとったのがなんと板野一郎

板野一郎さんといえば、『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』などのメカ描写で頭角を現し、『超時空要塞マクロス』では後に「板野サーカス」と呼ばれる画期的なアクション表現を生み出した業界屈指の凄腕アニメーターです。

そんな板野さんが、本作では「フライングシーケンス・ディレクター」という肩書で参加しているのですよ。一体、フライングシーケンス・ディレクターとは何なのか?

飛行能力を得たウルトラマンは、ザ・ワンの攻撃を避けながら新宿のビル街上空を自由自在に飛び回るんですけど、このシーンの動きやカメラアングル等を決めたのが板野さんなんですね。

『ULTRAMAN』(2004年)

ULTRAMAN』(2004年)

その手順は、まず監督と特撮監督が新宿をロケハンしてイメージを固め、事務所へ戻ってイメージコンテを描き、そのコンテを見ながら板野さんと打ち合わせ。板野さんはコンテに自分のアイデアも加えつつ、具体的な動きを検討する。

そして場所を八王子の東京工科大学へ移し、棒の先にウルトラマンの人形をくっ付け、ダンボールで作ったビルの間を動かしながらカメラワークをシミュレーションしました(この時、バーチャルカメラを使っているのでCG映像も同時に確認できる)。

さらに飛行中のウルトラマンの動きも、ワイヤーでスタントマンを吊り下げ、その動きをモーションキャプチャーで再現。これらの作業で板野さんは自らウルトラマンの人形を動かしたり、スタントマンに演技指導して「カッコいいウルトラマンの動き」を次々と生み出していったのです。

この後、CGスタッフによって映像が作り込まれるわけですが、そこでも板野さんは凄いこだわりを発揮し、「この2コマはいらないから抜いてくれ」とか「こっちはもう少しタメて」など異常に細かい指示を出しまくり、ウルトラマンの動きを1コマ単位で修正したそうです(この辺のこだわりが庵野さんに引き継がれているのかもw)。

なお、F-15ザ・ワンにミサイルを撃つシーンは、最初に板野さんが描いた画コンテでは計32発のミサイルを一斉発射することになってたんですけど、自衛隊員から「F-15にこんな装備はありません」と指摘され、仕方なく修正したそうです。

とは言え、完成した映像を見ると大量のミサイルが猛スピードで画面内を飛び交っており、「これはまさに板野サーカスだ!」と感激しました(実は画面の外に他のF-15が複数飛んでいて「同時に撃った」という設定らしい)。

『ULTRAMAN』(2004年)

ULTRAMAN』(2004年)

こうして『ULTRAMAN』は無事に完成!2004年12月に華々しく劇場公開されました。しかし結果は……なんと興行収入1億5000万円の大惨敗(泣)。

同時期にはゴジラ FINAL WARSも公開されて12億6000万円の興収を上げており(まぁ予算や公開規模が違うので単純に比較はできませんが)、「厳しいな…」という感じは否めません。

何が厳しいかっていうと、どうやら円谷プロは「大ヒット間違いなし」と考えていたらしく、早くも続編となる『ULTRAMAN2 requiem』の企画が決まっていて、『ULTRAMAN』の本編終了後に「2005年冬 公開!」という特報まで出しちゃってたんですよ(気が早すぎるw)。

しかも、この時点ですでに『ULTRAMAN2 requiem』はクランクインしていたというのだから恐ろしい!つまり、数億円の制作費がもう動いてたんですね。当然ながら、大コケしたことで急遽パート2の制作は中止になってしまいました。

そのため、当時の社長だった円谷英明氏と会長だった円谷一夫氏がわざわざ撮影現場に出向いて「申し訳ないが中止になった」とスタッフに説明したそうです(切ない話だなぁ…)。

しかしながら、作品を観た人の評価は決して悪くなく、むしろ現在に至るまでウルトラマンのファンからは「早すぎた傑作」などと熱烈に支持されている状況を見ると、18年経ってようやくその凄さが認められたと言うべきなのかもしれません。というわけで、機会があればぜひ一度ご覧ください。

 


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