どうも、管理人のタイプ・あ~るです。
さて『シン・ウルトラマン』の公開から早くも1ヵ月が過ぎましたが、いまだにランキング3位の高順位をキープしており、10日からはMX4D、4DX、Dolby Cinemaでの上映もスタートするなど、まだまだ勢いは衰えていません。
そんな『シン・ウルトラマン』に関して、先日ちょっと興味深い記事を見つけたので読んでみました(↓)。
この記事は、『シン・ウルトラマン』の編集に関わったスタッフに具体的な作業内容や苦労話などを聞いてまとめたものなんですけど、驚いたのは「プリヴィズの扱い」ですね。
プリヴィズとは、「撮影前に完成状態のイメージを検討するためにCGで簡易的に作った映像」のことで、『シン・ゴジラ』や『シン・エヴァンゲリオン』の制作でも大活躍していました。
アニメーションの現場では、作画作業に入る前に画コンテを描いてアニメーターに各シーンの詳しい情報(キャラの動きやセリフ等)を提示しますが、それの「CG映像版」と考えれば分かりやすいかもしれません(なので、別名「動く画コンテ」とも呼ばれる)。
このプリヴィズが今回の『シン・ウルトラマン』でも使用されたんですけど、なんと撮影前じゃなくて撮影後に作られたらしいのですよ(詳しくは前述の記事をご覧ください)。
どうやら現場で色んな試行錯誤があったらしく、『シン・ウルトラマン』に参加したVFXスーパーバイザーの佐藤敦紀さんは以下のように証言していました。
プリヴィズは通常、本番の作業をする前にどういうビジュアルを作るのかという基本設計を、動く画コンテとして作るものです。もちろんそれが撮影前にできていれば、撮影中はそれを指針にして撮ることができますが、撮った後でも変更することがある。今回も、本番の作業に入る前に何度もプリヴィズをやり直したところがあって、そのスクラップ・アンド・ビルドの作業量は『シン・ゴジラ』の数倍はありました。
(「シン・ウルトラマン」劇場パンフレットより)
スタッフの証言によると、『シン・ゴジラ』の時はまず全編のプリヴィズを作ってから撮影に入ったのに対し、『シン・ウルトラマン』では「シーンによって作ったり作らなかったり」したらしい(つまり、プリヴィズ無しで撮った場面もかなりあったということ?)。
どうやらスタッフたちが「もっと良いものを作ろう」と何度も検討を繰り返した結果、プリヴィズの制作が遅れてしまったようですが、庵野さんはそれが気になっていたらしく、「遅々として進まないプリヴィズ作業を、少しでも前に進めるための助言をその都度していた」と『シン・ウルトラマンデザインワークス』で証言してるんですよ。
なぜそんなに気になったのか?というと、実は庵野さんがプリヴィズをものすごく重視しているからなんですね。
『シン・ゴジラ』の時も、完成映像とプリヴィズを完璧に一致させることにこだわり続け、ちょっとでもプリヴィズとズレていたら「プリヴィズと違うので直してください」とか、アングルの都合でプリヴィズ通りに撮れない場面があっても「プリヴィズと同じにしてください」など、非常に厳しい指示を出していたそうです。
そんな当時の様子を、CG制作会社「白組」でプロデューサーを務めていた井上浩正さんは以下のように語っていました。
プリヴィズはラフなものなので、ブラッシュアップしていく過程でプリヴィズにあった迫力や荒削りな良さが削られて繊細になっていくんです。そんな部分を消えないようにするのが大変でした。「このシーンではこういうことをしたい」という方向性がディテールに埋没しちゃうと庵野さんからNGが出るんですよ。
中でも一番大変だったのはレイアウトですね。もうプリヴィズとぴったり合わせなければならないんですが、たとえば煙の立ち上がり方とかムチャクチャ細かい。モニター画面を指し棒で指しながら「ここのモクモクをちょっと足してください」とか、画面全体を1ピクセル上に上げてくれとか(笑)。庵野さんの映像に対するメリハリの付け方は本当に凄いなと感じました。
(「特撮秘宝 Vol.4」より)
このように、庵野さんはプリヴィズに対して異様なこだわりを持っていたようですが、もしかしたら「完璧なプリヴィズを作り、それを実写で忠実に再現すれば完璧な映像が撮れるに違いない」と考えていたのかもしれません。
ところが、監督を務めた樋口真嗣さんは庵野さんのこういう”プリヴィズ観”に疑問を感じていたらしく、以下のようにコメントしていました。
『進撃の巨人』の時もプリヴィズは作っていましたが、それは”結論”や”目標”ではなく、もっと良くするための”足掛かり”としてなんですよ。もちろん、プリヴィズを作ることによって最低ラインは見えるし、問題点もあぶり出される。でも、プリヴィズを作り込んだりはしないわけです。そこに凝るのは現場主義の逆だから。現場で起きる偶然を取り入れることで、熱量が上乗せできてグルーヴ感が生まれる。自分の中ではそう信じてきたし、結果を残してきたつもりだった。現場から先こそが、完成に向けての重要なステップだと。
ところが、庵野さんはプリヴィズから先に足されるものに懐疑的になった場面が多かった。「ノイズ」と思われたのは、結構ショックでしたね。俺らの感覚では、プリヴィズになくて現場にあるものを、どうやって自分たちのものにしていくか、それが戦いです。でも、庵野さんは足されたものが許せないから、切り捨てるしかなくなる。宝になる可能性を全部捨てるのは、あまりにももったいないと思うんですけど。
(「ジ・アート・オブ シン・ゴジラ」より)
庵野さんとの間で実際にどんなやり取りがあったのかは分かりませんが、樋口さんにとってプリヴィズはあくまでも「より良い映像を撮るための足掛かり」で、必ずしもプリヴィズ通りに撮る必要はない、というスタンスらしい。
むしろ、プリヴィズになくて現場にあるもの(=偶然性)をいかに取り入れるか、プリヴィズの先にある”宝”をどうやって自分たちのものにしていくか、「それが戦いだ」と言い切ってるんですよ。
しかし庵野さんにとってプリヴィズはそれ自体が”完成形”であり、「プリヴィズから先に足されるもの」には興味がないどころか「ノイズ」と思っていたらしい。そのことに樋口さんは大きなショックを受けてしまったようです。
そして樋口さんはこの状況を「いい悪いの問題ではなく思想の違い、フィロソフィーの違いだ」と語っていますが、二人の「プリヴィズに対する価値観の相違」が作品に与えた影響はかなり大きかったのではないでしょうか?
例えば『シン・ゴジラ』とは異なり、『シン・ウルトラマン』ではプリヴィズを「作ったり作らなかったり」してたんですよね。それに対して庵野さんは早くプリヴィズを作るように「助言していた」と。
つまり、庵野さんとしては「プリヴィズさえ事前にしっかり作り込んでいれば、後はそれに従って撮影すればいいだけだから、自分が現場に出なくても意図通りの映像が上がってくるはずだ」と想定していたのでしょう(実際、『シン・ウルトラマン』では主に樋口監督が現場での主導権を握り、庵野さんはほとんど出ていない)。
ところが結局、プリヴィズの制作が遅れたために現場の判断でアングル等を決め、撮影する場面が多くなってしまいました(こうなることを危惧して「早くプリヴィズを作れ!」と催促していたのかも…)。
その結果、最大17台ものカメラを回して「庵野さんが気に入りそうなアングル」を撮れるだけ撮りまくり、編集の段階で膨大な素材の中から庵野さんが一番良いカットを選ぶ…という流れになったのです。
しかし、撮った素材の中に庵野さんが満足できるカットがなかった場合はどうなるのでしょうか?
『シン・ウルトラマンデザインワークス』を読むと、「脚本には神永と浅見のキスシーンがあったのだが、撮られた映像を見たら中途半端な印象だった(なのでカットした)」「浅見の恋愛感情が見え隠れしていれば良かったのだが、それを感じられず残念」みたいなことが書いてあるんですよ。
他にも「実相寺昭雄監督風のアングルが多いが、自分が指示・意図したことではない」とか、「少しでも面白い作品にしようと撮影された映像を紡いだ結果ああなった」とか、映画の公開後ならまだしも公開中にわざわざ言わなくても…思うようなことまで正直にぶっちゃけてるんですよね(苦笑)。
どうやら庵野さんは樋口監督たちが撮ってきた映像にあまり納得していないらしく、しかも「編集作業時に微妙な画角調整や各種カメラワークを追加した」など、映像を加工して何とか対処しようとしている様子まで見受けられました。
とは言え、撮影済みの映像を直すにしても簡単なことではありません。
アニメーションの場合は、「このキャラの表情がイマイチだから描き直して」と言えば変更することも可能なんですよ。もちろん担当のアニメーターは大変ですが、庵野さんは新劇場版エヴァで何度もそういうことをやっているので出来なくはないんです。
しかし実写の場合は「撮り直し」になるため、バラしたセットをもう一度組み直したり、現場で作業するスタッフを集めたり、役者さんたちのスケジュールを再度調整するなど、ムチャクチャ難しいんですよね(当然、時間や費用も余計にかかる)。
そうなると、多少不本意であっても樋口監督たちが撮ってきた素材を使わざるを得ません。そういう経緯を経て完成した作品が『シン・ウルトラマン』だったのですよ。
つまり、庵野さんとしては「作品全体を完璧にコントロールすることが出来なかった」という心残りがあるのかもしれませんが、「40億円に迫る大ヒット!」という現状を見ると決して失敗とは言えず、むしろアンコントローラブルな状態だったからこそ樋口監督の持ち味が発揮され、その結果『シン・ウルトラマン』は成功したとも考えられるのではないでしょうか?
樋口さんの持ち味といえば「非常に暑苦しい演出」が有名で、だいたいどこの現場でも「もっと感情を込めて!」とか「もっと激しく!」みたいな熱い演技指導を繰り広げているそうです(准監督の尾上克郎さんも「こってりした焼肉弁当みたいな感じ」と証言)。
実際、『シン・ウルトラマン』を観ると役者の演技が過剰気味で、特に長澤まさみさん演じる浅見弘子の言動はあまりにも現実離れしており、「アニメのキャラみたいだ」との批判も少なくありません。
ただ、『シン・ウルトラマン』の世界観はオリジナルのウルトラマンを踏襲した「緩め(フィクション寄り)の設定」になっているので、「この世界観には合っている」という意見もあるでしょう(その辺が賛否両論の要因かも…)。
ちなみに、庵野さんの演出は樋口さんとは真逆で、ほとんど演技指導はしないそうです(准監督の尾上克郎さん曰く、「余計なものをそぎ落として美味しいところだけをいただくような印象」)。その理由を以下のように語っていました。
アニメではないので、先に自分のイメージを持ちたくなかったし、イメージを押し付けて芝居を固定したくなかったし、何よりも自分が役者を動かしてしまうと、段取り優先のいわゆる「劇」になってしまうんですよね。動きもセリフ回しもなるべく自然体にしたかったので、芝居や演技プランは基本的に役者本人にお任せでした。
(「ジ・アート・オブ シン・ゴジラ」より)
「基本的に役者にお任せ」の庵野さんと、「現場の熱量を上乗せすることでプリヴィズにはないグルーヴ感を生み出したい」と考え熱心に演技指導する樋口さん。
どちらがいいかはケース・バイ・ケースだと思いますが、こういう樋口監督の「ノリ」や「勢い」みたいなものが、今回の『シン・ウルトラマン』では良い方向に働いたのかもしれませんね。