■あらすじ『西暦2070年、アジアのとある都市。電脳ネットワークと肉体の義体化が高度に発達した近未来で「電脳テロ犯罪」を取り締まる諜報部隊・公安9課(通称「攻殻機動隊」)。そのリーダーを務める”少佐(スカーレット・ヨハンソン)”は、上司である荒巻(ビートたけし)の指示を振り切り、サイバーテロに繋がる動きを未然に防ごうとしたが、ハンカ・ロボティックス社の研究者が芸者ロボットによって電脳ハックされてしまう。その後、現場に残された”クゼ”と名乗るハッカーからのメッセージを手掛かりに、怪しいクラブを見つけて潜入。しかし激しい銃撃戦に巻き込まれてしまった。やがて研究者のデータから、「プロジェクト2571」の存在に気付く少佐。そしてついにクゼの居場所を突き止めたものの、そこで驚愕の事実を知ることに…。果たして”自分”は何者なのか?「プロジェクト2571」の正体とは?原作:士郎正宗、監督:押井守の劇場アニメ「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」を、ハリウッドで実写映画化したSFアクション超大作!』
どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。
さて、スカーレット・ヨハンソン主演のSFアクション映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』が公開されて2週間ほど経ちましたが、やはりと言うべきか賛否両論真っ二つの評価になっているようですねえ(^_^;)
一応ざっくり説明しておくと、本作は日本のアニメをハリウッドで実写映画化したものであり、元ネタは1995年に公開された劇場アニメーション『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』です。
士郎正宗の原作漫画を、押井守監督が独特の世界観を用いてアニメ化したこの映画は、日本での興行収入が大コケだったにもかかわらず、アメリカの「ビルボード」誌でビデオ週間売り上げ全米ナンバーワンを記録。
これは(1996年当時)、日本の映像作品としては初の快挙で、大友克洋の『AKIRA』と並び「ジャパニメーション」と呼ばれる一大ムーブメントを巻き起こすきっかけになりました(現在は死語w)。
その影響力は凄まじく、ジェームズ・キャメロンやウォシャウスキーやクエンティン・タランティーノなど、ハリウッドの有名映画監督がこぞって『攻殻機動隊』を絶賛。
特に、ウォシャウスキー監督が『攻殻機動隊』のビデオをプロデューサーに見せて「こんな映画を作りたい」と言った結果『マトリックス』が生まれた、というのは有名なエピソードでしょう。
実際、『マトリックス』における”攻殻機動隊リスペクト”たるや尋常ではなく、「もうこれが実写版『攻殻機動隊』でいいんじゃないの?」と思えるぐらいの激似ぶり(ウォシャウスキー監督は来日した際に押井監督に会って「あなたの映画を参考にした」と正直に告白したらしい)。
つまり、『攻殻機動隊』はまずアメリカでヒットし、その影響を受けた映画『マトリックス』が公開され、「どうも『攻殻機動隊』というアニメが『マトリックス』の元ネタらしいぞ」みたいな流れを経て日本でも認知されるようになったと、そういう感じなんですね。
そんな『攻殻機動隊』がハリウッドで実写化されたわけだから、そりゃあ大ヒット間違いなしだろう…と思いきや、3月に公開された北米では初日3日で2000万ドルにも届かず大コケ、ロッテントマトの評価も「46%」という微妙な数字で、いまいちパッとしてません。
しかし、4月7日から公開された日本では、3日間で観客動員23万人、興行収入3億6000万円を記録し、週末ランキング第2位を獲得しました。さらに日本と同時に公開された中国では、2,140万ドルを稼ぎ出し、初登場第1位を獲得!どうやらアメリカよりもアジア圏の方がヒットしているみたいですね。
アメリカでコケた理由は、「日本人の主人公をスカーレット・ヨハンソンが演じているから」とのこと。こういう、有色人種のキャラクターを白人が演じる「ホワイトウォッシュ問題」に関しては敏感に反応する人が多く、特に海外では批判の対象になりやすいようです。
その背景としては、キャラクターの白人化により有色人種の仕事の機会を奪うのは「明確な人種差別行為だ!」と考える人が多いからで、残念ながら『ゴースト・イン・ザ・シェル』は人種差別的な映画と思われてしまったみたいですね。
それに対し、日本ではあまり問題視されてないのが面白い(笑)。まあ、元々アニメの『攻殻機動隊』は日本でヒットしていなかったし、押井守監督は物語の舞台を”香港の街並み”っぽく描いていたので、キャラが外国人に変わってもあまり違和感がないのかも…。
というより、実際に映画を観てみると、「これを”ホワイトウォッシュだ!”と騒ぎ立てること自体が的外れなのでは?」と思うような内容なんですよね(理由は後述)。では、そういう問題以外に賛否両論になっている要因は何なのか?ということを考えてみたいと思います。
●良かったところ
まず、”賛”の意見としては「アニメ版の再現レベルが素晴らしい」という点が挙げられるでしょう。なんせルパード・サンダース監督が押井守の大ファンで、冒頭「ビルの屋上からダイブするシーン」に始まり、「水辺での格闘シーン」や「香港風の街並み」など、アニメ版を意識した場面が山ほど出て来ますからね。
また、川井憲次の音楽をアレンジして使ったり、続編の『イノセンス』やTV版『SAC』のシーンも入れたり、「アニメの実写化」としてはかなりクオリティが高いと思いました。そういう意味では「ファンに喜ばれる実写版」と言えるんじゃないでしょうか?
さらに、「難解で哲学的」と言われた押井守のアニメ版を分かりやすく”改変”しているのも大きなポイント。「虚構と現実の境界線」や「生命とは何か?」という哲学的な要素を敢えて外し、「主人公のアイデンティティーを探す物語」にアレンジしているのです。
要は、話のベースが『ロボコップ』で、そこに”『マトリックス』系のSFアクション”や、”『ブレードランナー』系の世界観”みたいなものを組み合わせ、「受け入れやすさ」を高めているんですよ。この改変によって、アニメ版を知らない人でも楽しめる映画になったと思います。
●悪かったところ
しかしながら、上記の「良かったところ」が、そのまま”否”の意見を誘発している点も『ゴースト・イン・ザ・シェル』の困った部分なんですよねえ(苦笑)。
例えば、「難解な物語を分かりやすく改変したこと」自体は、アニメ版を知らない一般の人にとってありがたいのかもしれませんが、元の「深くて複雑な物語」が好きなファンにとっては物足りなく感じてしまうでしょう。
また、「記憶を失い機械の体に改造された主人公が、様々な困難を乗り越えて最終的に本来の自分を取り戻す」というストーリーを観て「『ロボコップ』じゃん!」と突っ込む人もいるだろうし、1995年のアニメを忠実に再現したせいで古臭く見えてしまう点もマイナスではないかと。
「古臭い」と言えば、原作の『攻殻機動隊』が「高度に発達した人工知能は生命体と成り得るのか?」というガチなSFを90年代に描き、最近でも『エクス・マキナ』で「人工知能は人間と同じような感情を持てるのか?」みたいなテーマを展開しているのに、本作では昔ながらの「自分探し」をやっているのが古臭い(苦笑)。
人工知能をリアルに描いた衝撃作!
やはり、「今の時代にこの映画を作る意義」みたいなものが必要だと思うんですよね。オリジナルの方が「30年近く前の作品にもかかわらず優れた近未来的映像」を見せ、対する実写版の方は「2017年の作品なのに目新しさがあまりない」ってどうなのか?その辺が残念でした。
その他、「ビートたけしの滑舌が悪すぎて何を喋ってるか全然分からなかった」とか、「トグサや他の9課メンバーがほとんど活躍してない」など、細かい不満はいくつかあるんですけど、一番残念だったのは”全体的に中途半端”なところ。
内容を分かりやすくするのは別にいいんですよ。ただ、難解な設定を避けて純粋なエンターテインメントに徹するのであれば、もっと派手でカッコいいアクションを入れるとか、もっとラスボスを強くして最後に主人公がやっつけた時のカタルシスを高めるとか、娯楽映画としての盛り上がりを強化しないと意味がないんじゃないかなあ。
というわけで、良かったところと悪かったところをいくつか挙げてみたんですが、結局この映画に対する僕の評価はどうなの?っていうと……う〜ん、「映画の出来栄え」を問われた場合、出来はあまり良くないんですよね(笑)。でも、「好きか、嫌いか?」と問われたら、割と好きな映画でした。
それは、ハリウッド映画でここまで日本のアニメを真面目に再現しようとしている実写化作品が今までなかったということと、日本語吹き替えにアニメ版の声優さんをそのまま使っているから。「声の効果」っていうのは本当に大きくて、一気にアニメ版の雰囲気を再現できるんですよ。
これがもし、日本で実写映画化していたら、少佐の声を田中敦子さんが吹き替えたり、バトーの声を大塚明夫さんが、トグサの声を山寺宏一さんが吹き替えることもなかったわけだから、そういう意味でもハリウッドで作られて良かったなと。
あと、「日本人のキャラクターを西洋人が演じる問題」に関しても「上手く対処しているな」と感じました。本作は、アニメ版で詳しく描かれていなかった”主人公の背景”を掘り下げることでドラマ性をアップさせ、同時に”草薙素子”という日本人のアイデンティティーも描いています。
つまり、人間の意識を機械の体に移す”義体”という技術が開発された世界だからこそ草薙素子の外見が変わったのだ、という必然をきちんと見せているわけですよ。
良く考えてみれば、士郎正宗の原作でも”男性型の義体”になったり、アニメでも”子供の義体”になったり、草薙素子の外見は状況に応じてコロコロ変化しているのですから、”スカーレット・ヨハンソンの義体”になったって何の問題もないでしょう(笑)。
ただ、一つ気になったのはラストシーン。クゼに「俺と一緒に来てくれ」と言われた素子は、その誘いを断るんですね。原作でもアニメ版でも、素子はネットと融合して「さらなる上部構造にシフト」していましたが、実写版ではリアルワールドに留まることを選択しています。
この改変が良いか悪いかはともかく、個人的には「ネットは広大だわ」という素子の決め台詞が聞けなかったのは少し残念でした(^_^)
講談社 (2017-03-28)