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塚本晋也監督『野火』ネタバレ映画感想/メイキング解説/評価

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■あらすじ『太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島。日本軍の敗戦が色濃くなった中、田村一等兵(塚本晋也)は結核を患い、部隊を追い出されて野戦病院行きを余儀なくされた。しかし負傷兵だらけで食糧も困窮していたために追い出され、再び部隊に戻るも入隊を拒否されて途方に暮れる。行く当てもなく、一人で島を彷徨う田村だったが、やがて狂気の世界へと足を踏み入れていき…。『鉄男』や『六月の蛇』などで国内外に知られる塚本晋也監督が戦争の愚かさと悲しみ、そして人間の力強さを描いた衝撃の問題作!』

どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。

遅ればせながら、2015年に公開されて話題になった塚本晋也監督の戦争映画『野火』をようやく鑑賞しました(近所の映画館でやってなかったので)。本作は、小規模な上映ながらも映画ファンから高く評価され、第89回キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画部門で第2位を獲得した作品です。

さらにヴェネチア国際映画祭でワールドプレミア上映後、トロント国際映画祭や釜山国際映画祭など、北米・南米・アジア・ヨーロッパ全27ヵ国で37の映画祭に参加し、様々な国と地域で上映されまくり、海外の映画関係者からも大いに注目を集めました。

そんな『野火』を初めて観て、あまりにも壮絶な内容に驚愕したんですけど、僕がそれ以上に驚いたのは”映画の制作過程”なんですね。原作は大岡昇平の同名小説で、塚本監督が『野火』を読んだのは高校生の頃。当時からすでに8ミリで映画を撮っていたので、「これを映画にしたらどうなるだろう」と考えていたそうです。

高校生だった塚本さんがこの本を読んで特に印象的だったのは、フィリピンの圧倒的に美しい風景描写と大自然のスケール感。その美しい景色の中で、孤独な兵隊が泥だらけで彷徨っているという不思議なコントラストが脳裏に浮かび、そのビジョンをいつか映画で描きたい!と思っていたらしい。

しかし、そこから映画化までの道のりがとんでもない険しさで、何度も試みては頓挫し続け、苦節40年を経てようやく実現した奇跡の映画だったのですよ。というわけで本日は、塚本晋也監督がどうやって『野火』を撮ったのか、その制作過程をざっくり振り返ってみたいと思います。

さて、原作の『野火』に感銘を受けた塚本少年は、やがて『鉄男』で商業監督デビューし、様々な映画を手掛け、30代になってからは本格的に『野火』の映画化を検討するようになりました。そして90年代末には、「田村役:小林薫、永松役:村上淳、安田役:ビートたけし」という豪華キャストで、製作費6億円の企画を立ち上げるものの、残念ながらボツに。

その後、フランスのテレビ局や海外の映画会社に企画を売り込みますが、やはり予算の面で折り合いが付かず、「1億円ぐらいなら出せる」と言われても「海外ロケの商業映画としては、ちょっと厳しいな…」と考え、結局こちらも流れてしまいました。

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こうした失敗にもめげずに頑張って企画を出し続けていた塚本監督ですが、近年は「『野火』の映画化なんてどうでしょう?」と言っただけでプロデューサーから「ないです」とハッキリ言われるようになったという。もはや金額の問題ではなく、今は「日本兵がボロボロになる映画」というだけで、企画自体が通らないらしい。

そんな”戦争映画がタブー視されているような雰囲気”を察知した塚本監督は、「これはヤバいんじゃないか…?」と、世間の風潮に対する危惧がますます募っていったそうです。また、戦後から数十年が経過し、戦争体験者がどんどんいなくなっていく現状を見て、「今のうちに話を聞いておかなければ間に合わない!」と強く思うようになったとか。

こうして戦争体験者の人たちにインタビューしたり、その人が「フィリピンへ遺骨収集に行く」と聞けば「同行させてください!」と頼み込んで一緒にフィリピンまで出かけたり、様々な体験を積み重ねるうちに、「もう絶対に『野火』を映画化しなければ!」という気持ちが抑え切れなくなっていったのです。

そしてついに塚本監督は、「誰もお金を出してくれないなら、もう自分で作るしかない!」と考え、『野火』を自主制作映画として撮ることを決意しました。後に監督は、その時の心境を以下のように語っています。

その頃、周りのプロデューサーさんに「一番やりたいのは『野火』なんです」と言うと、「それだけは勘弁」みたいな反応だったんですよ。まるで、『野火』のような作品を作ることが不謹慎であるかのような空気が出来あがっていて、そうなると、この先『野火』にお金を出すところは絶対にない。あとは作ることも出来なくなるか、作っても総スカンを喰らう世の中になるか…。


それなら今のうちに、このイヤ〜な空気に一石を投じる映画を作るしかない。平和ボケした人たちの頭をハンマーでひっぱたくような映画を、世に送り出さねばならない。だからとにかく「やる!」と決めて、何も考えず、虫が自動的に蠢くように準備を進めていきました。 (「塚本晋也『野火』全記録」より)

塚本晋也「野火」全記録
塚本晋也
洋泉社

映画の裏話が満載の素晴らしいメイキング本で、非常に参考になりました(^_^)

こうして自主制作の段取りを始めたわけですが、なんと当初は”アニメ化”の案も検討していたそうです。もともと塚本監督は『鉄男』でもコマ撮りアニメの表現を取り入れていたので、「アニメでもいけるんじゃないか?」と本気で考えていたらしい。

しかし、その時塚本監督が計画していたものは、「監督自身が全ての登場人物の動きを一人で演じ、その動きを合成してアニメ化する」というものでした。そこで試しに「田村が上官に殴られるシーン」を一人で演じてみたところ、途方もない時間を要することが判明し、「完成まで10年かかるかも…」と思って諦めたそうです(笑)。

そんなことをやっているうちに「フィリピンへ行こう!」となり、助監督を連れてフィリピンへ。さらに現地に付いたら「実際に『野火』のルートを歩こう!」となり、ジャングルを歩いて小説に出てきたカンギポット山を登ったら想像以上に過酷なルートで、「気付いたら遭難していた」とのこと(笑)。

後に塚本監督は「あんなにつらいロケは生まれて初めて」「地獄のようだった」とコメントしていますが、その甲斐あって数々の素晴らしい映像をゲットし、最初に監督が思い描いていた「圧倒的に美しい風景」を『野火』に取り入れることが出来たのです。

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しかし、色んな都合で全てのシーンをフィリピンで撮影するわけにはいかないため、日本国内でもロケを敢行。大掛かりな銃撃シーンや野戦病院の爆破シーンなどは全て国内で撮影することになったのですが、予算も時間もかかるので「どこで撮ろうか?」と悩んだらしい。

そんな時、助監督の一人が「埼玉県深谷市ならいけるかも」と思い付き、早速「深谷フィルムコミッション」に連絡したところ、「ぜひやりたい!」と前向きな返事が。「でもフィリピンが舞台でしょ?深谷にフィリピンあるかなあ?」と多少の不安要素を感じつつ、何とか深谷市をフィリピンに見立てて撮影が実行されました。

特に「野戦病院の爆破」は、実寸大のセットを建ててそれを本当に爆破するという、本作の中で最も大規模な撮影であるため、監督もスタッフも気合いが入りまくり。入念な打ち合わせの後、深谷市の新井緑地にセットを組んで、日が沈んだ後に一気に爆破!

事前に市役所へ連絡を入れ、地元の消防団にもポンプ車を手配してもらっていたにもかかわらず、想像以上の凄まじい大爆発で、近所に住むお爺ちゃんが空襲と勘違いしたり、地面が揺れるほどの轟音が鳴り響いて消防車が7台も駆け付けるなど、周辺は大騒ぎになったそうです。

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また、大勢の日本兵が機関銃で撃ち殺される「大殺戮シーン」は、撮影日が12月の真冬だったため、「凍え死にそうなほど寒かった」らしい。設定上は酷暑のジャングルなので衣装は半袖、しかもボロボロに切り刻んであるから、エキストラの人たちは冬の冷たい風に晒されてガタガタ震えていたという。

なお、このシーンではスプラッター映画さながらの人体破壊描写が見どころなんですけど、最初の撮影時にはそんなシーンは存在せず、ほぼロングショットのみで構成されていたそうです。ところが、音響効果を担当した北田雅也さんがそれを見て「引きの画ばっかりなんですね。寄りのカットは無いんですか?」と一言。

すると塚本監督が「どう思いましたか?」と食い付いてきたという。北田さんは「バラバラになった人体とか、もっと残酷なカットがあった方がいいんじゃないですか」と軽く答えたら、塚本監督は「わかりました!」と即答し、いきなりもの凄い量の追加カットが上がって来たそうです。

つまり、「千切れる手足」や「血まみれの顔面」や「溢れ出る内臓」や「頭部を撃ち抜かれて飛び散った脳みそ」など、特殊メイクで再現された凄まじい地獄絵図は、全て後から追加で撮影されたものだったのですよ。これには北田さんも、「あれだけの素材をたったの一晩で撮って来るなんて!」と仰天したらしい。

そんな北田さんも音響の作業で大変な苦労を強いられていました。通常、映画の音をミックスするには1〜2週間ぐらいかかるものですが、『野火』の場合は予算の都合で2日間しかスケジュールが取れず、北田さんはダビングルームに籠りっぱなしで作業を続けたそうです。

しかも、セリフ・効果音・BGMなど、音のミックスにはそれぞれ別の担当者が必要なのに、全ての作業をたった一人でやるハメに!全トラックの音源を全て一人で受け持ち、2日間ぶっ通しで作業を続けた北田さん。その結果、彼の体にとんでもないことが起きてしまいました。以下、北田さんのコメントより。

自分一人しかいないから、全シーン・全カットの音量感を常に記憶してないといけないわけです。なので、それらの音の大きさをどう調整するのか考えながらミックスし続けていったんですけど、だんだん脳が飽和してきて…。ランナーズ・ハイじゃないですけど、スポーツしているような状態になったんですよ。本当に脳がアクセル全開状態だったというか、あんな体験は今まで一度もないです。


で、作業が終わって監督に「どうですか?」って喋りかけようとしたら、口が開かなかったんです。唾液が完全に乾き切って、口の中の皮が全てピッタリくっついた状態で全然開かない。「俺、どうしたんだろう?」と思って無理やりパカッと開けたら、皮がベリッと破れて血が出たんです。びっくりしましたよ! (「塚本晋也『野火』全記録」より)

う〜ん、凄まじい状態ですねえ(2日間、飲まず食わずで作業していたのだろうか?)。なお、そんな北田さんの仕事ぶりに感激した塚本監督が「食事をごちそうします。何が食べたいですか?」と尋ねたところ、なぜか北田さんは「カレー」と答え(口の中が血だらけなのにw)、それに対して塚本監督が「ダメです」と言って二人で釜飯を食べたという、良く意味が分からないエピソードも残っているそうです(笑)。

その他、ボランティアで参加した大勢のスタッフたちも、米軍の護送車を撮るシーンのために「護送車を手作りする」という恐ろしいミッションを依頼されたとか、兵士に群がるハエを集めるために農家や牧場を回って500匹近くのハエを捕まえたとか、深谷市の山道に大量の死体を並べて撮影していたら近所のおばちゃん達が通りかかって通報されそうになったとか、苦労話は枚挙にいとまがありません(ちなみに護送車はダンボールで制作)。

このような困難を乗り越えてようやく完成した映画には、塚本監督が当初思い描いていた「圧倒的に美しい風景と絶望的に過酷な戦場」という強烈なコントラストが見事に活写されており、予算の少ない自主制作映画とは思えないほどのスケール感を漂わせていました。

また、市川崑監督の『野火』(1959年)と比較した場合、市川版も非常に素晴らしい作品なんだけど、塚本版『野火』は悲惨な戦争映画でありながら、どこかユーモラスな部分があるんです。例えば、塚本監督演じる田村が分隊長(山本浩司)に本部を追い出され、野戦病院へ行くけどそこも追い出されてまた戻って来て分隊長に殴られて…というやり取りを何度も繰り返す冒頭シーン。

野火 [DVD]
KADOKAWA / 角川書店 (2015-10-30)

市川崑監督作品

市川版では1回だけなのに、塚本版では本部と病院を何往復もさせていて、ある種のギャグになってるんですね。それから、地面に倒れて体にウジ虫が這っている日本兵を見ながら「やっぱりこうなるのが運命か…」と田村がつぶやくと、その日本兵が「ああ?」と返事するっていう(笑)。

「てっきり死体かと思ったら生きてた」という、これは市川版にもあるシーンなんですが、塚本版の方がよりブラックな可笑しさが強調され、悲惨で残酷な映像なんだけど、所々に妙な緩和が垣間見える(極限状態の中でも人間味が感じられる)、そういう雰囲気が良かったなと(安田を演じたリリー・フランキーさんもいい感じでしたね)。

なお、市川版で田村を演じた船越英二さんは、飢餓状態の日本兵を再現するために2週間の断食を行い、痩せ衰えた姿で撮影現場に現れたそうです。ところが、あまりにも過酷な絶食だったため、クランクイン初日に倒れてしまい、撮影が40日間も延期されたという逸話が残っているらしい。

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それから、塚本版のラストシーンでは、主人公が窓の外に見える炎(野火)を見つめながら終わっていましたが、塚本監督によると「近い将来に起こるかもしれない戦争の炎を見ているという意味合いを込めた」と語っています。実は監督自身は、劇中に何度も登場する「野火」が何を象徴しているのか、良く分からなかったとのこと。以下、塚本監督のコメントより。

あれ(野火)が何を象徴しているのか、実は具体的にはわからないまま映画を作っていました。そんな肝心なところがわからなくていいのかとも思うけど、そのわからなさが面白い。わからないものをわかるようにしていく過程、あるいは、わかりたくて近付いていく過程が、今回の映画作りの旅だったのかなとも思うんです。 (「塚本晋也『野火』全記録」より)

というわけで、映画『野火』の制作過程を調べて様々な苦労があったことを知ったんですけど、同時に「今の日本で戦争映画を作ることの難しさ」も実感させられました。昨年ヒットした片渕須直監督の『この世界の片隅に』も、色んな映画会社に企画を断られ、「だったら自分で作ってやる!」と決意した監督が自腹で制作に着手するものの、途中で資金が底を尽き、クラウドファンディングが成功してようやく完成、という苦労を経ていましたが、経緯がよく似ています。

そういう意味でも、今の時代に敢えてこういう映画を作ったことの価値は大きいと思われ、逆に映画会社から反対されて自主制作になったからこそ、塚本監督の主張をストレートに反映させることが出来た、とも言えるでしょう。外部からの制約を受けずに思い切り作ることが出来る完全インディーズ体制は、むしろこの映画にとってプラスだったのかもしれませんね。

塚本晋也×野火

游学社

監督のインタビューや絵コンテや完成台本などを収録した、映画をより深く楽しむための副読本。こちらもオススメです(^_^)


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