どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。
先日、以下のブログ記事が話題になっていたので読んでみました。
・庵野秀明は樋口真嗣から映画を奪った・シンゴジラ簒奪劇のすべて。
記事の内容をざっくり説明すると、「『シン・ゴジラ』はもともと樋口真嗣が監督する予定で、庵野秀明は脚本と編集ぐらいしか関わらないはずだった。ところが、庵野監督は”樋口にまかせていたらこの映画は駄作になる”と考え、強引に現場へ介入して『シン・ゴジラ』を樋口監督の手から奪い取ったのである!」みたいなことが書いてあるんですよ。
事実だとすれば非常にセンセーショナルな話ですが、この記事は昨年末に発売されたメイキング本『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』を読んだ筆者が、本に掲載されているインタビューから勝手に推測したものなので、本当に庵野さんがこんなことを考えていたのかどうかはわかりません。
ただ、世間に公表されている撮影現場の状況や関係者の証言を見聞きする限り、「庵野監督のこだわりが強すぎて大勢のスタッフが困惑していた」のは事実のようです。では、主導権を奪われた樋口監督はどうして文句を言わなかったのか?そもそも庵野秀明と樋口真嗣はどういう間柄なのか?その辺の関係性が気になるところでしょう。
というわけで本日は、庵野さんと樋口さんが関わってきた今までの仕事や、二人の知られざる(?)エピソード等をいくつかご紹介しますよ。
●二人の出会い
まず、樋口さんは高校を卒業後に『ゴジラ』(1984年版)の現場でアルバイトをしながら、常に「自分でも映像作品を作りたいなあ」と考えていたそうです。そんな時、たまたま『DAICON FILM』の上映会に行く機会があり、「素人がこんなに凄いものを!?」と衝撃を受けました。
その上映会で初めて庵野秀明と対面したそうです。庵野さんは、樋口さんが『ゴジラ』の現場で働いていることを聞くや、「今、大阪で怪獣映画を作っているから、一緒にやらない?」と勧誘。こうして樋口さんは撮影所のバイトを辞めて、大阪へ行くことを決めたらしい。
ちなみに当時、庵野さんは『メガゾーン23』等の作業で忙しかったため、仕事が終わるまで動くことが出来ません。そこで樋口さんが予定を聞いたところ、「もうちょっとで終わるから、すぐに行こう」との返事が。
しかし、その言葉を信じて庵野さんの仕事場(アニメスタジオ「グラビトン」)へ行ってみると、全然「もうちょっとで終わりそう」な状況ではなく、そのまま2日間もグラビトンで待たされたそうです(笑)。
●八岐之大蛇の逆襲
ようやく庵野さんの仕事が終わり、樋口さんも一緒に大阪へ出発。当時は二人とも貧乏だったので、青春18きっぷを買って電車で東京から大阪へ向かいました(車内が混んでいたため、車両を連結している周辺の床に二人並んで寝ていたらしい)。
『八岐之大蛇の逆襲』の現場へ行くと、素人の集団ながらも特撮に対する愛情と、創意工夫でかっこいい映像を作ろうとしている熱意が感じられ、樋口さんは一気に引き込まれたという。結局、1年半も大阪で暮らすことになったものの、家出同然で東京を出発したため、実家では捜索願が出るなど大騒ぎになっていたそうです(笑)。
●王立宇宙軍 オネアミスの翼
『八岐之大蛇の逆襲』の作業が終わった後、庵野さんと樋口さんは再び東京へ戻って『王立宇宙軍 オネアミスの翼』に関わることになりますが、庵野さんは「作画班」、樋口さんは「演出班」にそれぞれ部署が別れたため、二人共通のエピソードは特にありません。
ただし、『オネアミスの翼』を制作中、樋口さんは美術スタッフの女性(高屋法子)をナンパし、こっそりデートを繰り返していたらしい。さらに、その現場を庵野さんや他のスタッフ達に目撃されてしまい、なんとガイナックスの社内報で大々的に公表されるという恥ずかしい仕打ちを受けるハメに!結局、樋口さんはその女性と結婚することになったそうです。
●トップをねらえ!
『トップをねらえ!』といえば「第1回庵野秀明監督作品」として知られていますが、実は企画当初は「樋口真嗣監督作品」として準備を進めていたそうです。しかし同じ頃、実相寺昭雄監督が『帝都物語』を撮ることが決まり、樋口さんの興味はそっちへ移ってしまったのですよ。
そして悩んだ末に「すみません!『帝都物語』をやります!」と樋口さんが一旦ガイナックスを抜け、その結果『トップをねらえ!』の企画は宙に浮いてしまいました。そんな時、たまたま脚本を読んだ庵野さんが「これは凄い!」と感激し、すぐに樋口さんに電話して「僕が監督してもいい?」と確認したらしい。
こうして『トップをねらえ!』は庵野さんの初監督作として世に出ることになったわけです。一方、樋口さんも絵コンテ等で協力し、「自分が途中で放り投げたものを、庵野さんがきちんと素晴らしい作品にしてくれて本当にありがたい」と、後に感謝の言葉を述べたとか。
ちなみに、本作の主人公:タカヤノリコの名前は、樋口真嗣の奥さん(高屋法子)の名前をそのまま使用しているそうです。
●ふしぎの海のナディア
このアニメは、庵野秀明さんの第2回監督作品ですが、ガイナックスにとっては初のTVシリーズ(しかもNHK!)ということで非常に苦労したらしい。とにかくペース配分がメチャクチャで、NHKからもらった予算とスケジュールを1話と2話でほとんど使い切るというデタラメぶり。
それでもスタッフは頑張って作業を続けていましたが、「どう考えても最後まで持たない」「中盤で破綻する」ということが早い段階から確実視されていました。そんな切羽詰まった状況の中、助っ人として呼び寄せられたのが樋口真嗣です(笑)。
庵野さんは「内容は任せるから、23話以降の監督をやってくれ。俺は35話以降の作業に専念したい」とだけ樋口さんに伝え、23話から33話までは一切関知しませんでした(クレジットでは「総監督:庵野秀明」となっているが、いわゆる「島編」のストーリーは全て樋口さんが考え、庵野さんはノータッチだったらしい)。
こうして『ナディア』の監督を任された樋口さんは「好きにしていい」という言葉を真に受けて、まさにやりたい放題の暴走状態!本人曰く、「NHKの脚本を勝手に書き直して、全然違うストーリーに作り変えてましたからね。国民の皆さまからいただいた受信料で何て事をしてしまったんだと(笑)。完全にテロ行為ですよ(笑)」と申し訳ない気持ちになったらしい。
しかし樋口さんによると、「なぜ自分が『ナディア』の監督に抜擢されたのか、いまだに理由が分からない」そうです。「何で俺だったんでしょうね?こんな仕事を引き受けるような迂闊なヤツは、俺しかいなかったのかなあ(笑)」とのこと。
●新世紀エヴァンゲリオン
ご存じ、庵野秀明監督の大ヒットアニメで、樋口さんは第8話と第9話の絵コンテ、及び第17話と第18話の脚本を担当しています。「アスカ、来日」の”弐号機八艘飛び”や、「瞬間、心、重ねて」の”シンクロ攻撃”など、軽快なアクションが印象的でした。
あと、本作の主人公:碇シンジの名前が、樋口真嗣(ヒグチシンジ)さんの名前から付けられているというのは有名な話ですね。
●新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に
その『エヴァンゲリオン』が映画化される際、声を担当した声優さん達が役者として登場する「実写パート」を作ることになり、その担当がなぜか樋口さんだったという(笑)。
●ラブ&ポップ
庵野さんが初めて撮った商業実写映画で、樋口さんは「友情特殊技術」という謎のポジションを担当(笑)。ちなみに仲間由紀恵、浅野忠信、森本レオなど、キャスティングは割と豪華です。
●キューティーハニー(実写版)
『ラブ&ポップ』『式日』に続く庵野監督の実写映画3作目。樋口さんは企画協力と絵コンテで参加していますが、そもそもこの企画は樋口さんが自分で監督する予定だったのですよ。
2000年に公開された『さくや妖怪伝』の完成披露試写会の二次会で、酔っ払った樋口さんが「次はキューティーハニーをやりましょう!主演は広末涼子で!」と叫んだ一言がきっかけだったとか。
ところが、その飲み会にはなぜか庵野さんも同席していて、樋口さんがトイレに立った隙にどういうわけか「庵野さんが監督をやる」という話にすり替わり、当人がトイレから戻って来ると実写版『キューティーハニー』は既に”庵野秀明監督作品”として承認されていたという。当然ながら樋口さんは「ええっ!?何で?」とワケが分からなかったそうです(笑)。
●ガメラ3 邪神<イリス>覚醒
樋口さんが特技監督を担当した人気シリーズの3作目で、庵野さんは本作のメイキングビデオ『GAMERA1999』を撮っています。しかも、単なるメイキングじゃなくて、制作中に起きた色々なトラブルを赤裸々に映したドキュメンタリーとして非常に見応えがありました(ぜひDVDを出して欲しい!)。
なお、庵野さんは1作目の『ガメラ 大怪獣空中決戦』を初めて観た時、樋口さんの素晴らしい仕事ぶりに心を打たれ、感動のあまり号泣したそうです。以下、当時のコメントより。
古い言葉ですけど、あの映画で僕は樋口の男を見た気がしたんです。初号の時にこっそり紛れ込んで見たんですけど、泣けました。樋口の仕事に泣かせてもらったという感じがありましたから。あれこそいわゆる”男泣きに泣いた”ってやつですよ。結構、撮ってる最中は現場のグチとか言いに僕のところへ来たりしてましたから、そういう辛い思いを全部飲み込んで、ちゃんと形にしたというのは凄いなって思ったんですよ。だから見ていて感動させられたんです。 (「アニメージュ・スペシャルGaZO Vol.2」より)
●ローレライ
樋口真嗣監督初の超大作本格潜水艦映画で、庵野さんは戦闘シーンの絵コンテを描いています(駆逐艦とのバトルや潜水艦同士の戦い、そしてクライマックスの爆撃機B29の撃墜シーンなど、52枚に及ぶ絵コンテを執筆)。
ちなみに、樋口さんが庵野さんに絵コンテを依頼した際、「もう(実写映画は)3本やってるから、歩留まりの中でやるよ」と言われ、「震えるほど頼もしい一言だった」「いつか俺も言ってみたい」と思ったそうです。
●日本沈没
2006年に公開された樋口真嗣監督作品。庵野さんはメカデザインを担当していますが、「山城教授の娘婿役」として出演もしています。ちなみに、「山城教授の娘役」は奥さんの安野モヨコ。
●MM9-MONSTER MAGNITUDE-
2010年に放送された特撮テレビドラマで、樋口さんは製作総指揮及び監督を務めています。怪獣を”自然災害”の一種と考え、気象庁が対応するという異色の物語は、低予算ながらも独特の世界観が人気を博しました。尾野真千子、高橋一生、松尾諭、中村靖日、皆川猿時、松重豊、橋本愛など、今見ると出演者が異様に豪華ですね。なお、庵野さんは第6話に「通行人」として出演しています。
●ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
庵野秀明監督作品で、樋口さんはクライマックスの「ヤシマ作戦」の絵コンテを担当。このシーンは完全新作となるため、「どうすれば旧作を超えられるのか?」と悩んだそうです。さらに、樋口さんはこの新劇場版に関して以下のようにコメントしていました。
『新世紀エヴァンゲリオン』を作った後、庵野さんはアニメというもの自体に絶望したのか、実写や特撮などの別の世界というか、俺のナワバリ(笑)に来ちゃったわけですけど。『式日』や『ラブ&ポップ』や『キューティーハニー』といった実写作品を作りながらも、正直、悶々としている時期も長かった。そういう姿を見て、もしかしたら彼はアニメへ帰りたいのに帰る道を見失っているのかもしれない…と思ってたんですよね。そんな時に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』をやることになって、「良かったじゃん!」って素直に嬉しかったし、彼が作り続ける以上は、俺もそれに付き合いたいと思いました。 (「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 ENTRY FILE 1」より)
●ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
新劇場版の2作目。本作でも樋口さんは絵コンテ・イメージボードなどで参加していますが、制作現場では大変なことが起きていたようです。なんと、絵コンテ完成後にシナリオが大幅に変更され、樋口さんの描いた絵コンテがほとんど使えなくなってしまったのですよ。
樋口さんがこの事実を知ったのは、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の完成記念慰安旅行(in沖縄)の席上で、美味しくビールを飲んでいる時にいきなり庵野さんから「悪いんだけど、『破』の絵コンテを描き直してくれないかな」と言われ、「ウソでしょ!?」と仰天したらしい。
●ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
新劇場版の3作目。本作でも樋口さんは庵野監督のために絵コンテ・イメージボード・デザインワークス・アニメーションマテリアルなど、多岐に渡って協力しているようです。
●巨神兵東京に現わる
製作・脚本:庵野秀明、監督・絵コンテ:樋口真嗣のコンビによる特撮短編映画です。元々は『特撮博物館』のイベント上映用に作られた作品ですが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を公開する際に同時上映されました。
ちなみに本作は短編映画ということで予算が限られており、当初、庵野さんが書いたシナリオには東京タワーが壊れるシーンは無かったそうです。ところが、打ち合わせ会議に出席したスタジオジブリの鈴木敏夫さんが「東京タワー壊さないの?」と発言したことで、急遽”東京タワー破壊シーン”が追加されました。
しかし新しく作る予算は無いので、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』で使った東京タワーを引っ張り出して来て再利用したらしい(他にも大量のミニチュアが使われているものの、ほとんどが既存模型の流用で、新規で制作したものは少ない)。
というわけで、庵野秀明さんと樋口真嗣さんが『シン・ゴジラ』へ至るまでに歩んで来た30年以上に及ぶ経歴をざっくり振り返ってみたんですけど、本当に仲がいいというか、お互いにリスペクトし合っている感じが伝わってきますねえ。
個人的感想ですが、『シン・ゴジラ』という映画は、庵野さんと樋口さんのコンビネーションが良かったからこそ、あれほどのクオリティに到達できたと思うんですよ。庵野監督単独では、周囲の反発が大きすぎて成立しなかった可能性が高いし、逆に樋口監督だけで撮っていたら、たぶん『進撃の巨人』の二の舞になっていたでしょう(笑)。
そういう意味でも、庵野さんが自分の作家性を存分に発揮し、樋口さんがそれを全力でフォローするという今回の制作態勢は、実に効果的だったと言わざるを得ません。まさに最良のコンビであり、この二人がタッグを組んで作った映像作品を、今後もっと観てみたいですねえ。なお、樋口さんは自分と庵野さんの関係を以下のように語っていました。
やっぱりね、庵野秀明に出会ったのが大きいっていうか、彼と会わなかったら自分はたぶんアニメの仕事をしてないでしょうね。気が付いたらね、人生の半分以上を一緒にいるって……お互い気持ち悪い(笑)。 (「Cut 2012年8月号」インタビューより)