どうも、管理人のタイプ・あ~るです。
さて先日、若手時代のジャッキー・チェンは主演映画が全くヒットせずに苦労したものの、『スネーキーモンキー 蛇拳』が当たったことでようやく念願のブレイクを果たす…という記事を書きました(詳しくはこちらをどうぞ↓)。
しかし『蛇拳』の大ヒット以降、やっと映画の仕事が順調に回り始めるのかと思いきや、とんでもない災難が降りかかることに…!
というわけで本日は、みんな大好き『ドランクモンキー 酔拳』が出来るまでのエピソードを書いてみたいと思います。
1978年当時、ジャッキー・チェンはロー・ウェイ監督の事務所と専属契約を結んでいましたが、公開する映画はことごとく大コケ。なので、ロー監督は『蛇拳』がヒットする直前までジャッキーのことを全く評価していませんでした。
そして、「こんな赤字ばかり出すような俳優はいらん!」「他の会社に貸し出した方がマシだ!」と考え、ユエン・ウーピン監督にレンタルしてしまったのです。ところが、貸し出して作った『蛇拳』がまさかの大ヒット!
その途端、急に手の平を返して「いや~、すごいねジャッキー!」「やはり君は才能があると思っていたよ!」などと褒めまくり、突然ギャラを6倍に上げたり、高級なスーパーカーをプレゼントしたり、あからさまに「スター扱い」し始めたのですよ。
それを見てジャッキーは「なんて現金なタヌキオヤジだ…」と呆れ果てたものの、まだ映画数本分の契約が残っていたので無視するわけにもいきません。
一方、『蛇拳』の大ヒットに大きな手応えを感じたプロデューサーとユエン・ウーピン監督は、すぐさま”続編”を作ろうと考えました。それが『ドランクモンキー 酔拳』です。
ただ、”続編”とはいっても表向きの話で、当時は盗作を警戒して”『蛇拳』第2弾”という仮タイトルのまま企画を進行させていたようです(本当のタイトルは公開直前まで伏せられていた)。
そこで2人はロー・ウェイ監督に「もう一度ジャッキーを貸して欲しい」と頼みに行ったのですが、なんと「ダメだ」と拒否されてしまったのですよ。
ロー・ウェイ監督としては、いくら『蛇拳』がヒットしても自分の事務所にはレンタル料(6万香港ドル)しか入って来ないし、そもそもジャッキーは自社の俳優なのだから「せっかく売れ始めたこのチャンスを逃すわけにはいかない」「自分でジャッキー主演の映画を作って大儲けしてやる!」と考えたのでしょう。
早速、『拳精』というカンフー映画の企画を立ち上げ、1978年の4月から台湾で撮影を始めてしまいました。
『拳精』は、「少林寺で暮らす主人公(ジャッキー・チェン)が、隕石の衝突により出現した5人の妖精たちから伝説の拳法”五獣拳”を学ぶ」というストーリーで、今までロー・ウェイ監督が撮ってきたシリアス路線ではなく、ジャッキーの明るいキャラクターを活かしたコメディ映画です。
しかし、ジャッキーの方はすでにロー・ウェイ監督のもとで映画を作ることに何の魅力も感じておらず、1日も早くユエン・ウーピン監督と『ドランクモンキー 酔拳』を作りたいと思っていました。
そのため、撮影現場では何度もロー・ウェイ監督と激しい口論を繰り広げ、ついには新聞で取り上げられるほど両者の関係は悪化していったそうです。
挙句の果てにはジャッキーが韓国での撮影を拒否したためロー・ウェイ監督が激怒!互いに口も利かないほど険悪なムードになってしまいました(なお、韓国公開版では韓国人女優の玄愛利がもう一人のヒロインとして登場し、なんとジャッキーとのキスシーンまであるらしい)。
結果的に『拳精』は、ロー・ウェイ監督が撮ったジャッキー主演映画の中では最大のヒット作になったものの、ジャッキー自身は「ユーモアの大半は下品で特撮もチープ」「白塗りのオバケが出てきたり、僕がオシッコをひっかけたり、とにかく酷い映画だ」「どうしようもない失敗作」などと徹底的に批判しています(撮影中よっぽど嫌なことがあったんでしょうねぇ…)。
一方、ユエン・ウーピン監督とプロデューサーは何とかしてもう一度ジャッキー主演の映画を作るために、『拳精』の撮影中も粘り強くロー・ウェイ監督と交渉を重ね、どうにかレンタル契約が成立!再びユエン監督たちの会社「シーゾナル・フィルム」と組むことが決まりました。
ところが、ようやく『拳精』の撮影が終わりに近づき、『ドランクモンキー 酔拳』の撮影に入れるかと思ったら、なんとロー・ウェイ監督は間髪を入れず次の映画(『龍拳』)の撮影を始めてしまったのですよ。
『龍拳』では、『拳精』のコメディ路線とは打って変わって再びロー・ウェイ監督お得意の”シリアスな復讐劇”に逆戻りしました(どうやらコメディに手応えを感じなかったらしい)。
この映画に関してはジャッキーもそれほど酷評しておらず、「ストーリーは悪くない」「もしブルース・リーが演じていれば成功したかもしれない」と語っていますが、当時は一刻も早く『酔拳』を撮りたいと苛立っていたため、さっさと撮影を終わらせることしか考えていなかったようです。
また、ユエン・ウーピン監督も「『蛇拳』のヒットの熱が冷めないうちに続編を公開したい」との思惑があり、とうとうジャッキー・チェンをめぐって激しい駆け引きが勃発!なんと、『拳精』(台湾ロケ)と『龍拳』(台湾・韓国ロケ)の間を縫うように、無理やり香港で『酔拳』の撮影を開始したのです。
つまりこの時期(1978年4月~9月頃)のジャッキーは、3本の映画をほぼ同時進行で撮影するという超ハードスケジュールをこなしていたのですよ(両方の監督がジャッキーを奪い合うような状態で、ジャッキーは台湾・韓国・香港を飛び回っていた)。
あまりにも過酷な撮影の連続に、当時のジャッキーは「もう辞めて帰りたい!」といつも現場で嘆いていたそうですが、後にその頃を振り返って「あのとき苦労したおかげで今の僕がいる」「自分を褒めてあげたい」と語ったそうです。
そんな厳しいスケジュールに加え、ユエン・ウーピン監督もジャッキーも「アクションに関しては絶対に妥協しない」という強いこだわりを持っていたのだからたまりません。真夏の猛暑の中、1カットのアクションシーンを撮るのに何度も何度もリテイクを重ね、ただでさえ過酷な撮影がますます大変な状況になっていきました。
そんなある日(連日ほとんど睡眠もとらずに撮影を続けたせいなのか)、ジャッキーが眉骨を骨折するという事故が発生!すぐに病院へ行って治療したので大事には至らなかったものの、10日間の撮影中断を余儀なくされたのです。
しかも、ケガが治った途端に再びロー・ウェイ監督に連れ去られたため『酔拳』の撮影は全くできなくなり、ようやく『龍拳』の撮影が終わってジャッキーが解放される頃にはもう9月になっていました(ちなみに、『龍拳』の映像をよく見るとケガのあとが映っている)。
ジャッキーが解放されたことで、とりあえずユエン・ウーピン監督は「これでやっと『酔拳』の撮影に専念できる!」と喜んだものの、映画の公開日は9月23日に決定しており、もはや一刻の猶予もありません。
大急ぎで撮影を再開して昼夜を問わず突貫作業でカメラを回し続け、ついにクランクアップ!休む間もなく編集作業に突入し、ようやく映画が完成したのは公開日の前々日でした(ギリギリ間に合ったw)。
こうして出来上がった『ドランクモンキー 酔拳』は、『蛇拳2』という仮のタイトルでプロジェクトを進めていたにもかかわらず、全然『蛇拳』とは関係ない内容に仕上がっています。
本作でジャッキーが演じたウォン・フェイホン(黄飛鴻)というキャラクターは実在の人物で、1859年~1870年頃に活躍した武術家です(南派少林拳の一派である「洪家拳」の達人として動乱時代の中国の治安維持に貢献した)。
中国では1940年代から何度も繰り返し映画化され、同じキャラクターを題材にした映画作品としては世界最多でギネスブックにも登録されているらしい(ジェット・リー主演の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズなども有名)。
ただし、多くの作品が「風格があって正義感の強い高潔な武術家」としてウォン・フェイホンを描いているのに対し、ジャッキーが演じたフェイホンは「修行が嫌いで毎日悪友たちと遊び惚けているダメな若者」というキャラクターでした(まぁ修行を経て徐々に成長していくんですけど…)。
これは完全に従来のウォン・フェイホンのイメージを覆すような設定であり、当時は驚いた人たちもいたでしょう。
しかし、ジャッキー・チェンが演じることでこのキャラクターが実に生き生きと魅力的に見え、多くの観客の心を掴んだのです。しかも当時24歳のジャッキーが繰り出す超人的なアクションの数々はどれもキレキレで抜群にカッコよく、後にテレビで放送された時には日本中の小学生たちがマネするほどでした(いやホントにw)。
最近はこういうカンフー映画をテレビで見る機会は滅多にありませんが、先日TOKYO MXで『ドランクモンキー 酔拳』が放送された際、SNSに「3歳の娘が夢中になって観てる!」みたいな反応がいくつか流れて来て「ああ、いつの時代もジャッキーは子供に人気があるんだなぁ」とほっこりしましたよ(笑)。
酔拳見ながら爆笑してる。
— ひぐま@TOKUSA2 (@HigMa_TOKUSA2) July 23, 2022
ジャッキーすげぇ。 pic.twitter.com/5I1M1S3znB
また、この映画は監督がユエン・ウーピン、主演がジャッキー・チェン、師匠がユエン・シャオティエン、ラスボスがウォン・チェンリーなど、『蛇拳』のスタッフやキャストがほぼそのまま継続している点もポイントです。
同じメンバーが再集結したことで「互いのやり方に慣れているメリット」を活かすことができ、撮影の効率が大幅にアップ!だからこそ、タイトなスケジュールにもかかわらず、非常にクオリティの高い作品を作ることができたのでしょう。
ちなみに、道場の師範代役で出演しているディーン・セキは『蛇拳』と『酔拳』だけでなく、『拳精』や『カンニング・モンキー 天中拳』、『クレージーモンキー 笑拳』などでもジャッキーと共演していて、さらに『燃えよデブゴン』シリーズにも出ている「カンフー映画ではお馴染みの人」です(どの映画でもだいたい似たような役をやってるw)。
そして本作最大の見どころとなる”酔拳”の描写について。”酔拳”という武術自体は実在するんですけど、本作で繰り出される技の数々はほとんどユエン・ウーピンやジャッキーが考えたオリジナルであり、「酔えば酔うほど強くなる」という拳法もありません。にもかかわらず、まるで実在するかのようなもの凄い説得力!
ベースになったのは洪家拳の技の一つ「酔酒八仙」(劇中では「酔八拳」)で、他にも「還魂飽鶴」や「四平大馬」など実在する技にアレンジを加え、ジャッキーたちが現場で試行錯誤しながら独創的なポーズを次々と生み出していったそうです(こういうこだわりが技に説得力を与えたのでしょう)。
それから、逆さ吊りのジャッキーが大きな壺からお猪口で水をかき出したり(腹筋を鍛えるため)、竹の棒で両腕を固定したままカンフーの型を練習させられたり、奇想天外な修行シーンもすごいインパクトでしたねぇ(さすがにこの辺は小学生もマネできなかった模様w)。
これら伝統的なカンフー武術と、京劇出身のジャッキーが得意な”アクロバット・アクション”を組み合わせた『ドランクモンキー 酔拳』は、公開されるや『蛇拳』の倍以上となる676万香港ドルを叩き出し、歴代香港映画で第4位の興行成績を樹立!
さらに日本を含めたアジア各国でも爆発的なヒットを記録し、本作をきっかけに「香港を代表するアクション・スター」としてジャッキー・チェンの名前が世の中に知れ渡ったのです。
ちなみに、当時のカンフー映画は予算不足でオリジナルの楽曲を作れなかったため、既存の曲を勝手にBGMとして使うことも珍しくありませんでした(もちろん著作権的にアウトですがw)。
そこで、『ドランクモンキー 酔拳』を日本で公開する際に、配給元の東映が独自に主題歌を制作。それが「拳法混乱(カンフージョン)」です。
「四人囃子」というロックバンドが歌うこの曲は、日本公開版の『酔拳』で使用され、明るく軽快なメロディーがドラマを大いに盛り上げました。
この曲を作った佐久間正英さんは、BOØWY、THE BLUE HEARTS、エレファントカシマシ、GLAY、JUDY AND MARYなど、数多くのミュージシャンをプロデュースしている凄腕の音楽プロデューサーですが、「四人囃子」のメンバーとして活動していた時に東映から『酔拳』の主題歌を依頼されたらしい(以下、佐久間さんのコメントより↓)。
東映さんから主題歌の依頼をいただいて、試写室で映画を観せてもらいました。とにかく、1回観ただけでジャッキーのファンになりましたね。それまでには考えもつかないようなカンフー映画であり、スピードのある笑いを作り上げていたと思います。
楽曲作りに関しては、明るく楽しく、かつシリアスでもある映画だったので結構苦労しました。一生懸命な前向きさが出せるような曲にしようと悪戦苦闘でしたね。しかも「拳法混乱」のレコーディングの前日に交通事故に遭ってしまい、軽いムチウチ症で首にギプスをしたままスタジオに入ったんですよ。演奏に苦労したのを覚えています。
その後、『ゴールデン洋画劇場』で放送された際はこの日本公開版がオンエアされたのですが、ビデオやLDやDVD等は香港公開版で発売されたため、多くのファンは「あの曲が無いなんて…」と不満を感じていたらしい。
しかし、制作35周年記念で発売されたブルーレイBOXに特典映像として「ゴールデン洋画劇場の日本語吹き替え版ディスク」が収録され、「やっとカンフージョン付きの酔拳が観れる!」とファンも歓喜したそうです。
というわけで、本日は『ドランクモンキー 酔拳』にまつわる様々なエピソードをご紹介しました。この映画が日本で公開されてからすでに40年以上経ちますが、アクション映画はもちろん、アニメや漫画やゲームなど数え切れないぐらい多くの作品に影響を与えたことを考えると、改めて「本当にすごい!」と驚かざるを得ませんね。