どうも、管理人のタイプ・あ~るです。
いま世間で話題沸騰中の『大怪獣のあとしまつ』を観て来ました(笑)。まぁ話題になってるから観に行ったわけじゃなくて、もともと観る予定だったんですけど、ネットでは批判の声がすごいじゃないですか?
初日に観た人たちが感想をツイッターに投稿してるんですが、「こんなにひどい映画を観たのは生まれて初めて」とか「人生で一番つまらなかった」など、9割近くが酷評という大惨事に(笑)。
あまりにも批判が多すぎて「クソ映画」や「令和のデビルマン」といった見慣れないワードがトレンド入りするぐらい、みんなメチャクチャに貶してるんですよ。
松竹映画の元プロデューサーの奥山和由さんに至っては「『北京原人 Who are you?』以来、いや遥か上を行く絶望と怒り」などと不満をぶちまける有様。うわあ…
ちなみに『北京原人 Who are you?』とは1997年に公開された日本映画で、監督は『君よ憤怒の河を渉れ』や『人間の証明』などの佐藤純彌、キャストは緒形直人、ジョイ・ウォン、丹波哲郎、北大路欣也など豪華な俳優が参加。
「太古のDNAから北京原人を現代に復元させる」という『ジュラシック・パーク』みたいな話を20億円の製作費をかけて映画化した超大作だったんですが、結果は配給収入4億5000万円の大惨敗。
映画ファンの間では「実写『デビルマン』に劣るとも勝らない」とトンデモ映画認定されるほどなのに、「それの遥か上を行く」なんて言われたら「そんなに酷い出来栄えなの?どうしよう…」と躊躇しますよ、そりゃ(笑)。でも以前から観ようと決めていたので、覚悟を決めて行って来ました。そうしたら…
※以下、ネタバレあり
まず冒頭の10分ぐらいは「あれ?言われてるほど悪くないのでは…」と逆にビックリしましたね。全編に渡ってどうしようもないグダグダな展開が続くのかと思ったら、ごく普通のドラマがごく普通のテンションで繰り広げられてるんですよ。意外とフツーじゃん!
しかし、西田敏行さん演じる総理大臣が現れた途端、いきなりテンションが変化し、会議室で防衛相や環境省などの各大臣たちが次から次へとクセが強めのギャグを繰り出し始めるのです。ああ~、なるほどコレか…と(苦笑)。
つまり本作は「怪獣映画」じゃなくて「怪獣をネタにしたコメディ映画」なんですが、予告編を見た人の多くは「『シン・ゴジラ』みたいな映画を期待してたのに!」とか「リアリティがない!」などと怒ってるんですよね。
確かに、「『シン・ゴジラ』を観に行ったらコメディ映画だった」という状況なら「思ってたのと違う!」となっても不思議ではないかもしれません。
ただ、その辺は予告編を見れば分かりそうな気もするんですけどねぇ…(六角精児さんが額縁を持って「怪獣の名前は”希望”です」とかやってるシーンは、どう見ても「令和おじさん」のパロディだし、予告編の作り自体も若干ふざけてるしw)。
それから「ギャグが全然面白くない」という指摘も多くて、これはまぁその通りなんですけど(笑)、厳密に言うと「ギャグなのかそうじゃないのか分かりにくいシーンが多すぎる」ってことでしょう。
例えば「”警報かと思ったら笑い袋だった”というギャグが寒い」って批判がありましたが、あれは「怪獣が出現した世界における一般人のリアクション」を表しているだけで、要は「世界観の説明」なんですよ(つまりギャグではない)。
その反対に「ギャグなんだけど分かりにくいシーン」もあって、例えば六角精児さん演じる官房長官が大勢の取材記者に質問攻めにされて「もうやめて~!」と連呼するシーン。あれって横山弁護士ですよね?
”横山弁護士”を知らない人のために説明すると、1995年に「地下鉄サリン事件」が起きた当時、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の私選弁護人についたことがきっかけで、様々なメディアに取り上げられることになった有名人です。
この事件に対する世間の反響は凄まじく、当然ながら各マスコミも連日のように過激な報道合戦を繰り広げていました。そんな中、注目されたのが横山弁護士だったのですよ。
なぜなら横山さんは麻原被告(当時)と接見できる唯一の存在であり、取材陣は少しでも情報を得ようと横山さんのもとへ殺到!その結果、大勢の取材陣に取り囲まれ、もみくちゃにされながら「もうやめて~!」と叫ぶ横山さんの姿が全国のテレビで流れることになったのです。
『大怪獣のあとしまつ』のあのシーンは、まさに「もみくちゃにされる横山弁護士」のパロディなんですが、そんな30年近くも前の話をネタにして理解できる人が何人いるんでしょうか(もはや誰も知らないのでは?)。
このように、本作には「今のはなんだったんだ?」と観客を困惑させるような分かりにくいギャグが非常に多く、逆に分かりやすいギャグはウンコやゲロやチ○コなどの下ネタか、露骨に韓国をディスったニュース映像など、総じて品がありません。
また、「不倫のエピソードが目障りだ」との批判も多く、帯刀アラタ(山田涼介)、雨音ユキノ(土屋太鳳)、雨音正彦(濱田岳)の三角関係が割とガッツリ描かれている割には、最終的に彼らがどうなったのかよく分からないまま終わったり…。
さらに特撮ファンを激怒させたのがラストシーン。怪獣の死体処理に失敗した後、なんとアラタが突然ウルトラマン的な姿(?)に変身し、巨大な死体をかかえて宇宙へ飛び去っていったのです。えー!終わり!?
いやいや!これは要するに「ジャンル映画に対するパロディ」だと思うけど、全然オチとして成立してないよ!完全に投げっぱなしじゃないですか!
もしこれをオチにするのであれば、最後に西田敏行さんか誰かに「なんだよ~、だったら最初からそうしてよ~!」みたいなセリフを言わせるとかして”投げたもの”を拾わなきゃ。そうすればギリギリ成立したかもしれません。
だがしかし…
そもそも三木聡監督は本作のラストを「笑い」で締めくくるつもりだったのでしょうか?山田涼介さんや土屋太鳳さんのシリアスな演技を見ていると、「笑い」どころかむしろ「エモーショナルな雰囲気」すら漂っているような…(もしかして本気で感動させようとしていたのか!?)。
僕が一番気になったのがまさにこの部分で、『大怪獣のあとしまつ』は”作品のテイスト”に一貫性が全くないんですよ。
例えば福田雄一監督の場合は、どの作品もコメディ映画として首尾一貫しており、最初から最後までギャグの応酬で話を進めていくスタイルです(それが面白いかどうかは別にしてw)。
ところが『大怪獣のあとしまつ』は、冒頭15分ぐらいはほとんどギャグがなく、真面目に淡々と話が進み、政治家の会議シーンになるといきなり下ネタギャグを連発し、特務隊の活動やダム爆破などのシーンではまた真面目になって…ということの繰り返し。
これでは、「監督が見せたいものは結局なんだったの?コメディ?SFドラマ?恋愛?どれなのよ!?」と混乱せざるを得ません。
では、一体どうしてこんなことになってしまったのか?映画の公開直前、三木聡監督は以下のように説明していました。
「コロナの影響で撮影が1年ストップしたんです」「再開して色んな場面を追撮してたら、最初に思っていたものとは違う映画になっていた(笑)」「最初に考えていたのは、もうちょっとグダグダのコメディ映画だったけど、イメージしていたよりもSF寄りになったかなぁ」
(TOKYO FM「空想メディア」2022年1月30日放送より)
つまり、当初の予定では最初から最後までグダグダのコメディ映画として撮るつもりだったのに、途中で撮影が止まったことで真面目なSF要素が増えてしまった…ということらしい。
恐らく、特務隊が様々な作戦を実行するくだりや、ラストの山田涼介さんと土屋太鳳さんのやり取りも、本来はもっとコメディっぽい演出になるはずだったのでしょう。
しかし、コロナの影響で1年間活動が停止している間に「これはもう、グダグダのコメディ映画なんか撮ってる場合じゃないのでは…?」みたいな心境の変化があったのかもしれません。
だとすれば、思い切ってギャグの分量を減らして「それぞれの登場人物が真剣に死体処理に取り組むものの、やればやるほど裏目に出る」という定番の喜劇に振り切った方が良かったんじゃないかなぁ。
例えば、『シン・ゴジラ』でも「巨大不明生物は上陸しません」と発表した直後に蒲田に上陸して「どーするんだよ!上陸しないって言っちゃったじゃないか!」と総理大臣が焦りまくるシーンがあったように、「真面目にやっているが故に可笑しい」という方向でも”怪獣コメディ映画”は作れるはずです(むしろそれが観たかった!)。
そういう意味でもこの映画って、「駄作」と切り捨ててしまうにはあまりにも惜しいと思うんですよ。だって「怪獣の死体をどうやって処理するか?」という着眼点そのものは優れているわけだから、あとはその設定を上手く活かして全体のトーンを一貫させていれば…。
少なくとも、大怪獣の見せ方などビジュアル面のクオリティは高いし、豪華俳優陣の演技も見事だし、あとは”下品なギャグ”が無ければもっと面白い映画になっていた可能性は十分にあったと思います。それが本当にもったいない!
というわけで『大怪獣のあとしまつ』は、「素材(設定)は凄くいいもの使っているのに調理(演出)のやり方を間違えて大失敗」という状況が「作り方次第でもう少しどうにかなったのに…」という”残念さ”をより増幅させている気がしました。
なお、これだけで終わるのは本当に残念すぎるので、出来れば東宝でちゃんとした”怪獣コメディ映画”を作ってもらいたいですね。監督は三谷幸喜か矢口史靖か武内英樹あたりでお願いします(笑)。