どうも、管理人のタイプ・あ~るです。
さて先日、細田守監督の最新作『竜とそばかすの姫』を観て来ました。現在、全国の劇場で上映中の本作は、初公開された週の土日2日間で観客動員45万9000人、興行収入6億8000万円を叩き出し、見事にランキング1位を獲得。
その勢いは翌週も全く衰えることなく、2位以下に大差をつけたまま2週連続で首位に立ち、累計では観客動員169万人、興行収入24億円を突破しているそうです(ちなみに前作『未来のミライ』の最終興収は29億円)。この状況に、関係者の間では早くも「細田監督最大のヒット作になること間違いなし!」と言われている模様。
また、15日には世界3大映画祭の一つ「カンヌ国際映画祭」にて公式上映され、ワールドプレミアに詰めかけた約1000人の観客も大いに盛り上がり、上映後にはなんと14分間に及ぶスタンディングオベーションが起こったそうです。スゲー!
※以下、ネタバレしてます(未見の人はご注意ください)
そんな『竜とそばかすの姫』ですが、これだけ大ヒットしているにもかかわらず、過去の細田作品同様「面白い」と絶賛する人や「つまらない」と酷評する人が入り乱れて評価は真っ二つ!またしても賛否両論が巻き起こってるんですよねぇ(なぜ毎回こうなるのかw)。
世間の声をざっと見たところ、”賛の意見”としては「ベル(Belle)の歌が最高!」、「映像が本当に美しい」、「まさに細田守監督の集大成」、「ストーリーに多少引っ掛かる部分もあるけれど、曲や映像の素晴らしさがそれらの欠点を吹き飛ばしている」など、主に音楽とヴィジュアルを褒める感想が目立ちました。
一方、”否の意見”としては「多くの要素を詰め込みすぎて(主人公のトラウマ克服、ネットの世界、多彩なキャラ、社会問題、父と娘etc…)どれもこれも中途半端」、「『美女と野獣』のパクリがひどい」、「すずが一人で東京へ行くシーンに納得できなかった」など、主に内容に対する不満が多いようです。
面白いのは、絶賛している人も酷評している人も「終盤の展開がおかしい」という点においては意見がほぼ一致してるんですよね(笑)。要は、「それを許容できるかどうか?」ってだけの話で、シナリオに関しては多少なりとも皆さん気になる部分があったようです(まあ、これもいつものことですがw)。
では、僕の個人的な感想はどうなのか?というと…いや~、どちらの意見も分かるなぁって感じでしたね(笑)。
序盤から中盤にかけては『時をかける少女』や『サマーウォーズ』的な印象を与えつつ、竜の正体をめぐる考察や自警集団「ジャスティス」とのバトルなどがテンポよく描かれ、すずが自分の姿を晒して熱唱するシーンへと至るクライマックスは本当に圧巻でした(中村佳穂さんの歌もイイ!)。
しかし、その後が問題なんですよ。
多くの人が指摘しているように、”父親から虐待を受けている子供たち”を助けるためにすずが一人で東京へ向かうくだりが、どうしても受け入れがたいのです。それ故に、せっかく盛り上がったテンションも急降下!あの辺さえ上手くクリアーできていればもっと素直に感動できた思うんですが、さすが細田守監督、一筋縄ではいきませんねぇ(笑)。
いったいなぜ、あんな展開になってしまったのか?
実はあのシーン、ドラマの構成的には間違ってないんですよ。本作のあらすじをもの凄く大雑把に説明すると「幼い頃に母親の死を目撃した主人公が、ある出来事をきっかけにその意味を理解し、トラウマを克服して大人へと成長していく」という物語です。
すずは高校生になっても過去の出来事が心に重くのしかかり、「どうしてお母さんはあんな行動をとったんだろう?」と思い悩んでいました。しかし、恵(佐藤健)たちの状況を知ったすず自身が無意識のうちに当時の母と同じ行動をとり、それによって母の気持ちを理解する…という流れになるわけです。
つまり、「すずが1人で東京へ行く」というシチュエーションは、「母親が危険を顧みず1人で激流に飛び込んで見ず知らずの子供を救った過去の話」と対比させるために必要なシーンではあるんです。ただ残念ながら、その伝え方が上手くいってないんですよね。
理由は、やはり「すずの周辺にいる人たちの行動に違和感があるから」でしょう。すずが一人で東京へ行こうとする時のみんなのリアクションが、明らかにおかしいんですよ。普通は「子供を虐待している親のところへ女子高生が一人で行くなんて危険すぎる!」って止めるでしょ?でも止めないんですよ、この人たちは(しかも高知から東京へ行こうとしてるのに)。
なので、例えば「すずちゃんだけじゃ危ないから私たちも一緒に行くわ!」と言うオバサンに対してすずが「大丈夫よ、一人で行かせて!」みたいなやり取りを入れていれば、まあギリギリ不自然ではなかったかもしれません(ただ、この場合も「一人で行かなければならない必然性」が見えづらいんですけどね)。
あるいは、オバサンとしのぶ君とすずの3人で夜行バスに乗って東京まで行き、手分けして家を探していると偶然すずが父親から虐待されている恵たちを見つけるが、反射的に彼らを庇って暴行を受けてしまい、それを見たしのぶ君が猛烈な勢いでDV親父にパンチを食らわせる…みたいな(笑)。ベタだけど、エンタメ的にはこういう流れの方がしっくりくるんじゃないでしょうか?
本作は、同じくネット空間を舞台にした細田監督の過去作『デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム!』や『サマーウォーズ』と比較されがちですが、『サマーウォーズ』には「ラブマシーンを倒すためにネットユーザーたちが一致団結するシーン」とか「よろしくお願いしまあああす!」など、非常に分かりやすいカタルシスがありました。でも、『竜とそばかすの姫』にはそういう”スカッとしたカタルシス”がないんですよ。
終盤の「アンベイルされたすずが懸命に歌うシーン」は確かに感動的ではあるものの、あの時点ではまだ問題は解決してなくて、歌い終わった後に問題を解決するために行動するという展開なんですよね。なので、最後に「悪い奴をぶん殴って決着!」みたいなインパクトのあるシーンが見たかったな~と思った次第です(笑)。
あと、ネット世界の描き方も『ぼくらのウォーゲーム!』や『サマーウォーズ』とは異なっていて、例えばすずの母親が死んだ時に「自業自得だろ」などの”誹謗中傷”が殺到したり、<U>の秩序を守るための正義の集団「ジャスティス」を”不遜な存在”として描いていたり、細田守監督の「ネットに対する不信感」がモロに出ているような気がしました(笑)。
この辺はおそらく、近年のSNS等で話題になっている”誹謗中傷”や、正義感が暴走しすぎて他人に迷惑をかけまくる”正義マン”などの問題を取り入れたんでしょうけど、ではいったい、細田監督自身は現在のインターネットに対してどのような感情を持っているのか?以下、『キネマ旬報 2021年8月上旬号』に掲載されたコメントの一部を引用させていただきます。
20年前であれば、若い世代や新しいものを見つけるのがうまい人がネットに注目していましたし、10年前であれば、幅広い年齢の人々がネットに親しむようになり始めた。スマートフォンが登場したのもその頃ですよね。当時は多くの人々がネットの切り開く新しい可能性に期待を膨らませていて、僕自身もそういったところに惹かれていました。
しかし近年では、ネットと言えば”誹謗中傷”や”フェイクニュース”が真っ先に思い浮かぶぐらい、あり方が大きく変化しました。もちろん20年前であっても、匿名掲示板などを中心に誹謗中傷はたくさん書かれていましたが、ネットの一般化とともにその絶対数が恐ろしく膨れ上がってしまった。
ただ誤解して欲しくないのは、ネットの世界自体をネガティブなものとして捉えているわけではないということです。実際、ネットの世界の誹謗中傷は、人間そのものの姿をあぶり出しているに過ぎないわけですよね。ネットの世界がネガティブなのではなく、元々あった人間や社会の一側面が可視化されているだけなんだと思います。
というわけで、どうやら細田監督は「悪いのはネットではない」「その人間の本性がネット上で露わになっているだけだ」と考えているようですね。なるほど、そういう意味でも確かに本作は現在のインターネットの状況をリアルに描いていると言えるかもしれません。
ただ同時に、細田監督の”ネットユーザーに対するネガティブな心情”も反映されているような気がするんですよ(細田監督自身がネット上で批判に晒されるケースが多々あるため、それに対して不満を抱いたとしても不思議ではない)。特に”ネットの匿名性”に関しては言いたいことが色々あるようです。
それを象徴的に表しているのが「アンベイル」でしょう。普通ネットでルール違反を侵してペナルティを受ける場合、アカウントを凍結されるとか”BAN”されるかだと思いますが、<U>の世界ではなんと「強制的に現実世界での姿を晒されてしまう」のですよ。
これは、ネットユーザーにとって自分の本名や個人情報を晒される行為がいかに恐ろしいかという証左なわけですが、もっと言うと「匿名だからこそ強気な発言ができる」「故に無責任な発言を繰り返す連中が多い」「けしからん!そんな奴らは正体をバラしてしまえ!」という細田監督の心の声を具現化したものではないのか…と。
なぜなら、劇中のジャスティンはベルや竜と敵対する存在として描かれていますが、一般的に作家の本音はこういうキャラクターに出やすいからです。もしかすると「ちくしょう、どいつもこいつも俺の悪口ばかりネットに書き込みやがって!」「こいつら全員まとめてアンベイルしてやりてぇ!」とか思ってるんじゃないかなあ、細田監督(笑)。