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細田守作品はなぜ嫌われてしまうのか?背景を読み解く3つのポイント

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細田守監督

細田守監督


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて先日、金曜ロードショーにて劇場アニメ『バケモノの子』が放送されました。本作は、細田守監督の5本目の長編映画として2015年に公開され、58億円を超える大ヒットを記録!自身最高の成績を叩き出し、最新作『竜とそばかすの姫』も間もなく公開されるなど、今や日本を代表するアニメーション監督の一人になった細田さんですが…

なぜか毎回のように賛否両論…というか批判的な意見が割と目立っちゃうんですよねぇ。

『バケモノの子』の場合は「ヒロインが好きじゃない」「ストーリーが都合良すぎる」「つまらない」「ラストが意味不明」など、そして先週『おおかみこどもの雨と雪』がオンエアされた際も「子育ての描写にリアリティがない」「主人公が嫌」「何だかよく分からないけど気持ち悪い」など、SNSが大荒れしました(笑)。

また、以下の記事では「女性キャラクターが活躍しない、出番がない」「少年をメインに描きすぎることで女性から批判される」などと指摘しています。

bunshun.jp

その他、「ケモナー」とか「ショタ」とか何かにつけて批判されるんですよね、細田監督って(笑)。しかし、「作品自体は高く評価されているし、日本中で大ヒットしているのにどうしてこんなに批判されるんだろう?」と昔から不思議だったんですよ(ちなみに、個人的には特に嫌いではなく、普通に全作品を観ています)。

まあ、批判されるのは細田監督だけに限った話ではありません。宮崎駿監督や新海誠監督の作品だって万人が絶賛しているわけじゃないし、そもそも大勢の人が観るような人気映画であれば、それだけ批判的な意見が多くなるのも当然と言えるでしょう。

ただ、細田監督の場合はちょっと批判のされ方が特殊というか、上手く説明できない”違和感”のようなものが常に漂ってるんですよね(はっきり嫌悪感をあらわにする人もいたりとか)。その理由は一体何なのだろう?とネットの意見を見てみると…

「監督の無自覚な攻撃性」「そこで苦しんだ人間にとって嫌なポイントを肯定的に踏み抜いてくる」「実際にその環境に近い体験をした人にはウケが悪い」など、いくつか気になるワードがありますが、具体的にどういうことなんだろうなぁ…

などと考えている時、2015年に放送された『プロフェッショナル 仕事の流儀』(『バケモノの子』の制作現場に密着取材した回)を見ていたら、細田監督が興味深い発言をしていたので一部を引用させていただきます。

映画ってさ、思うんだけど「イェー!」って感じで人生を謳歌してる人のものじゃないと思うんだよ。何て言うか、むしろ”くすぶってる人”のためのものだと思うんだよね、自分も含めて。

今、”リア充”とか言ってさ、楽しいことは全部リア充の人たちが体験してて、リア充でない人たちの人生は辛いものばっかりだ、みたいな。カップルで映画館に行くのもリア充だ、みたいな。そんなことないよって思うんだよね。

映画っていうのは、リア充じゃない人に向けて作られてるものなんだからさ。作り手も含めて、リア充じゃない人がリア充じゃない人に向けて作っているようなものなんだから。いや本当に。

時をかける少女』を作ったあとによく言われたんだよ。「細田さんってすごく良い高校時代を過ごしたんですね」って。「そんなわけねーじゃん!」って(笑)。真反対ですよ。でもそこで、「しょせん現実なんてそんなもんだ」とか、「リア充死ね!」とか言ってても生産性がないじゃない?それを言うこと自体、余計に自分自身もつまんなくなっちゃうわけだしさ。

だからこそ、映画を通じて伝えたいんだよ。「世の中もっと面白いよ」とかさ、「これから生きてると何かいいことあるかもよ」とかさ、「体験するに値するようなことがあるよ」ってことを言いたいっていう。

でも、それを言う権利があるのは”リア充じゃない人”なんだよ。つまり俺がね(笑)。高校時代にいい恋愛経験がなかったりとか、親戚と仲が悪かったりとか、子供が出来なかったりとか、子供に愛情を注げなかったりとか、そういう人たちに向けて作ってるのかもしれないね。つまり、それは「その時の自分自身がそうだったから」っていう。

だからこそ俺にはああいう作品を作る権利があるんだよ。そして、ああいう体験をしたことが無い人は、あの作品を観る権利があるってことだね。そういう信念はあったよね。まあ偉そうに言うことじゃないけどさ(笑)。

 この細田監督の発言を見ると、まず「自分はリア充ではない」と。そして「映画とは、リア充じゃない人がリア充じゃない人に向けて作っているようなもの」と言ってるんですよ。

リア充”とは「リアル(現実の生活)が充実している人」を表す言葉で、細田監督が言っている「リア充じゃない人」とは、分かりやすく言えば「オタク」のことでしょう。

ただし、単にオタク気質の人だけではなく「高校時代にいい恋愛経験がなかったりとか、親戚と仲が悪かったりとか、子供が出来なかったりとか、子供に愛情を注げなかったり」という人も含めて、「リアル(現実の生活)が充実していない人」=「リア充じゃない人」と定義しているようです。

ここが一つ目のポイントで、「細田監督の映画はリア充じゃない人に向けて作られている」「ああいう体験をしたことが無い人は、あの作品を観る権利がある」とするならば、リア充の人にはそもそもハマらないのでは?と。

細田守監督(『プロフェッショナル 仕事の流儀』)

プロフェッショナル 仕事の流儀』より


さらに細田監督は、「リア充じゃない人たちに向けて俺は映画を作っている」「なぜなら、その時の自分自身がそうだったから」と語っています。すなわち「リア充じゃなかったからこそ、その満たされない気持ちをバネにして映画にぶつけた」ということなのでしょう。

つまり、細田監督が今まで作ってきた映画というのは、「高校時代にいい恋愛経験がなかった」=『時をかける少女』、「親戚と仲が悪かった」=『サマーウォーズ』、「子供が出来なかった」=『おおかみこどもの雨と雪』、「子供に愛情を注げなかった」=『バケモノの子』という風に考えられるわけです。

よく知られているエピソードですが、『おおかみこどもの雨と雪』を作っている時の細田監督には子供がいませんでした(映画の完成後に長男が誕生)。なので、想像で”子育ての苦労”を描くしかなかったのです(以下、『アニメスタイル』2012年001号のインタビューより)

自分には子育ての経験も、親になった経験もない。だけど、子供であった経験はあるわけだからさ。参照するものとして、自分の母親がどう自分を育ててきたのか、いろいろ思いを巡らせるはめに陥ったわけ(苦笑)。元々は全然別の入り口から「母親の映画を作ろう」と思って、途中から自分自身の母親のことも思い返して「親ってなんだろう?」みたいなことを考えるようになった。

まあ、一番近いのはうちの奥さんだと思うんだけど、うちの奥さんにもし子供が生まれたら、どんな風になるんだろう?という発想が、きっかけとしては大きいんじゃないかな。かといって「うちの奥さんが主人公のモデルです」というわけでもない。あくまでも考えるきっかけの一つにすぎなくて、今回はやっぱり親になった周囲の人たちを見て「素敵だな」と憧れた、その想いをそのまま形にしたいと思ったんです。

要するに、友達のうちには子供ができたけど、うちはできないという切実な事情もあったわけですよ。自分では体験できないかもしれないものって、やっぱり憧れるし、見てみたくなるんだよね。それが見事に映画の中に反映しちゃったというか。

それまでは、割と自分の体験に基づいて「こういうものかもしれない」という感じで映画を作ってきたところがある。でも今回はそうじゃなくて、もう憧れ満点で作ってる(笑)。リアルじゃなくてもいい。もう本当に、理想のみで描いてるところもあると思う。うちの奥さんや自分の母親からのリファレンスもありつつ、本質的にはやっぱり「親って、きっと素敵だろう」という、俺の勝手な思い込みによってできてるんだと思うよ。

 このように、細田守監督の作品には細田さん自身の”憧れ”が色濃く反映されており、「きっとこんなに素晴らしいものなんだろう」という”理想像”が描かれているわけなんですね。

ちなみに、『バケモノの子』に関しては細田監督自身が「子供に愛情を注げなかった」という意味ではなく、「細田監督のお父さんが鉄道会社に勤務していて常に仕事で忙しく、親子の関係が希薄だった」と。そういう事情が影響しているようです。

実は細田監督のお父さんは細田さんが30歳の時に急病で亡くなってるんですよ。だから、自らを主人公に重ね合わせ、「映画の中で親子の関係を結び直そうとしていた」とのこと(以下、『プロフェッショナル 仕事の流儀』での細田監督のコメントより)。

思い返すと、やっぱりもっと親父と話をしとけばよかったなとか、気持ちがすれ違ってね、クソー!と思ったりとか、そういうことをもっとやればよかったなと。で、その後悔っていうのを何らかで埋めなきゃと思ってるんじゃないかなっていう。

すなわち、細田監督にとって映画作りとは「自分に欠けているもの(体験できなかったこと)や後悔していることを埋める行為」なのではないか?と。ここが二つ目のポイントで、「未体験なものを想像で描いている」、あるいは「こういう体験をしてみたかったという”願望”を描いている」という状況が「リアルじゃない」「思い込みが強い」と判断され、「実際にそういう体験をした人にウケが悪い」要因なのでは?と考えられるのです。

細田守監督(『プロフェッショナル 仕事の流儀』)

プロフェッショナル 仕事の流儀』より


そして三つ目のポイントは、細田監督の作品は基本的にどれも主人公たちを肯定的に描いている」という点でしょう。ストーリーの途中で色んなネガティブな出来事が起こっても、最終的には主人公を取り巻く状況はほぼ肯定され、ポジティブに終わる。

だからこそ、観終わった後にさわやかな気持ちになれるし、細田守作品が多くのファンから支持されている所以でもあるわけですが、これに対して「都合が良すぎる」「世の中そんなに上手くいくはずがない」などの批判が出ているのも事実。では、細田監督自身はどう考えているのでしょうか?

映画を作るって行為はさ、世界に希望を持ってますよってことを表明するような行為なんだよね、そうでないにもかかわらず。その時の自分は必ずしも幸せじゃないかもしれないけど、「人生は幸せなものかもしれない」ってことをさ、大声で言ってるようなものなんだよ。

それはつまり、幸せじゃない人だからこそ、それを作ったり言ったりする権利があるってことなんだよね。幸せだなと思う瞬間が、こういうのを続けていればいつかきっと来るんだよ…っていうか、来ると信じてるんだよ(笑)。

まあ現実にはね、なかなかそんなに都合よく励ましっていうのはやって来ないわけじゃない?そういうリアリティってのは、もちろんよく分かってるのよ。でも、励ましやそういう肯定的な言葉っていうのが必要なのは確実なわけで。人生っていうのはさ、絶対そういうものを糧(かて)にしてさ、自分を奮い立たせて、前を向いていくものじゃない?映画の中でも、そういうささやかな一言がさ、誰かのちょっとした力になるかもしれないからさ。

 このように、細田監督はリアル(現実の生活)が充実していない人に対して「人生は幸せなものかもしれない」というメッセージを伝えるために、敢えて肯定的な物語を作っているようです。そして、そのためには少々リアリティを犠牲にしてもかまわないとさえ思っている、そんな印象を受けました。

細田守監督(『プロフェッショナル 仕事の流儀』)

プロフェッショナル 仕事の流儀』より


というわけで、細田守監督の作品が批判される要因について色々と検証してみた結果……ここまで書いておいて申し訳ないんですが、正直まだよく分からないんですよね(笑)。

「自分の中の満たされない気持ちをモチベーションにして映画を作る」なんていうのは、ほとんどの映画監督がそうだろうし、「経験していないことを想像で描いてるからリアリティがないんだ」と言われても、「じゃあ犯罪者の物語は犯罪の経験がない人には描けないの?」って話だし…。う~ん、わからん!

これらの要素が観客の”嫌いスイッチ”を押すフックになっているのは間違いないと思いますが、それ以外にも細田監督の”家族や女性に対する価値観の違い”とか、キャラクターの造形とか、シナリオの作り方など様々な要素が合わさって作品の評価を決定付けているのかもしれません(この辺はもう少し検証してみます)。

ちなみに、もうすぐ公開される最新作『竜とそばかすの姫』は「インターネット空間の仮想世界”U”に女子高生がアバターを作って入り込み…」という、一見すると『サマーウォーズ』っぽい題材ですが、果たしてどんな映画になっているのか楽しみですね。

 


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