現在発売中の『キネマ旬報』8月上旬特別号で、創刊100年特別企画として「1970年代 日本映画 ベスト・テン」が発表され、沢田研二主演・長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』が第1位に選ばれた。
『太陽を盗んだ男』とは、1979年に公開されたサスペンス・アクション映画で、「中学校の教師が原子爆弾を作って日本政府を脅迫する」というブッ飛んだ内容が当時話題になった。
興行的には芳しくなかったものの、キネ旬の「オールタイム・ベスト映画遺産200(日本映画編)」では歴代第7位に選ばれるなど、現在に至るまで多くの映画ファンや映画関係者に影響を与え続けている。
そんな『太陽を盗んだ男』、エキサイティングな内容に負けず劣らず制作環境も破天荒そのもので、常軌を逸した撮影現場の混乱ぶりは、いまだに語り草になっているほどだ。
というわけで本日は、伝説の日本映画『太陽を盗んだ男』の前代未聞のストーリーと衝撃的な撮影エピソードについて書いてみたい。
※以下、ネタバレしているので未見の人はご注意ください
映画は主人公の城戸誠(沢田研二)が満員電車に揺られるシーンからスタート。表情に覇気がなく、堂々と学校に遅刻するなど、全くやる気が感じられない。
彼は退屈な日常に飽き飽きしており、「何かデカいことをやって世間をあっと言わせてやろう」と目論んでいた。そのために原子爆弾の製造を計画。
問題はプルトニウムの入手方法だが、まず老人に変装した城戸は交番へ行って、道を尋ねるフリをしながら警官にスプレーを噴射し、拳銃を奪う。
その後、茨城県東海村の原子力発電所に侵入。奪った拳銃を使って所員を脅し、まんまと液体プルトニウムを強奪するのだが、この原子力発電所のセットが安っぽくて妙にSFチックなのだ。
長谷川和彦監督によると「申し訳ないことに、クランクインの直前に予算が5000万円ぐらい減ったもんだから、そのしわ寄せが全部美術の方へ行っちゃたんだよね」とのこと。
「東海村の原発にもロケに行ったんだけど、当然建物の中に入れてくれるわけがない。それで、どうせウソなんだから、床がピカピカ光る、ディスコのステージみたいなハイなもんにしてしまおうと」
こうして完成した原子力発電所のセットは、主人公が侵入すると警報の代わりに床がピカピカ点滅するという、B級SFみたいな映像になってしまった(これはこれで面白いけどw)。
一方、菅原文太演じる丸の内警察署捜査一課の山下警部が、とあるバスジャック事件の現場へ駆けつけたところ、なんと主人公と生徒たちが乗っているバスだった(ここで二人が初対面)。
バスジャック犯が「天皇陛下に会わせろ!」と要求したため、城戸たちを乗せたバスは皇居へ向かうのだが、当然ながら撮影許可など降りるわけがない。
そこで監督は、皇居前広場に無許可でバスを突っ込ませるゲリラ撮影を実行!撮影後にスタッフが何人か逮捕されたものの、みんな留置所行きを覚悟していたらしく、予め歯ブラシや着替えを持参していたという(ヒドイ話だw)。
アパートへ戻った城戸は、いよいよ原爆作りに取り掛かる。手製の防護服を着てバイク用ヘルメットをかぶり、部屋はペラペラのビニールみたいなものでガードするという「そんなので放射能を防げるのかよ?」という頼りない装備だが、このシーンは実に緊張感があって面白い。
秋葉原や金物屋で買ってきた部品を組み立て、プルトニウムが入った容器を缶詰を開けるような要領で開けていくなど、原爆を作る過程がとても丁寧に描かれている。
長谷川監督曰く、「黒板に書いてある数式は全部本物だ。このシーンをリアルに撮るために、みんな必死で勉強したからね。スタッフたちの原子力に関する知識もかなり蓄積され、材料さえあれば実際に原爆を作ることも可能だろう」とのこと。
なお、このシーンで「部屋に入ってきた猫がプルトニウムを食べて死ぬ」という場面を撮影しようとしたら、猫を用意した業者が「似たような猫は何匹もいるんで、殺してもいいですよ」と言ったため監督激怒。
実は長谷川監督は「高校生の頃に飼っていた犬が死んだ時、人生で一番泣いた」というぐらいの動物好きだったので、「絶対に猫は殺さない!」と言い張り、何度も何度も撮り直すことに。
助監督の相米慎二が担当したものの、「絶対に殺すなよ!殺したらぶん殴るからな!」と監督に脅されたため慎重にならざるを得なかったらしい(最終的にマタタビを使ってフラフラ状態になった猫をハイスピードカメラで撮影)。
こうして、ついに原爆が完成した。テンションの上がった城戸がガイガーカウンターをマイク代わりにして歌い踊るシーンは沢田研二のアドリブ。この時、ボブ・マーリーの「Get Up Stand Up」が流れるんだけど、無許可で使用していたため、楽曲提供の交渉を内田裕也に頼んだら余計にややこしくなったらしい(笑)。
そして、日本政府を脅すために原爆のダミーを持った主人公が、妊娠中の女性に変装して国会議事堂へ向かう。このシーンも撮影許可が下りずゲリラ撮影で、しかも沢田研二本人がやっているのが凄い!長谷川監督は以下のように語っている。
沢田は変装が似合うやつだと思っていた。だから老人や妊婦に変装させたんだけど、まさか妊婦があんなに似合うとは思わなかった(笑)。国会議事堂のシーンはぶっつけ本番の撮影で、いくらなんでもバレるだろうと思ったんだけど、バレなかったね。
ただ、周りのスタッフは緊張したよ。望遠で撮ってるから映り込んでも大丈夫なように、みんなサラリーマン風の格好をしたりして。俺も背広を着て沢田の側を歩いてたんだけど、ヤクザにしか見えない(苦笑)。相米なんてクアラルンプールのハイジャック犯みたいでさ(笑)。俺らは、こういう恰好をする方が怪しいんだな、ということが良くわかった。
国会議事堂のトイレに原爆のダミーを置いた城戸は警察に電話をかけ、バスジャック事件の時に助けてくれた山下警部(菅原文太)を指名する。そして「プロ野球のナイター中継を最後まで見せろ」と要求。
『太陽を盗んだ男』の面白さの一つは、まさにこういう部分だと思う。普通、テロリストは何らかの目的を持ち、それを実行するために武器を調達するものだが、本作の主人公は原爆を作ってから「さて、何をしようか?」と悩むのだ。
色々考えた城戸はラジオの公開放送に電話をかけ、「俺は原爆を持っている。何をやって欲しいか言え」と質問する。多数のリスナーからリクエストを聞いた結果、「ローリン・ストーンズのコンサート」に決定。
そして警察に「ローリン・ストーンズの日本公演を実施しろ」と要求。世間の反響の大きさに有頂天になる城戸だったが、原爆の製造費をサラ金から借りていたため、借金返済のために3番目の要求は「現金5億円」になってしまう。
色々あった後、「デパートの屋上から5億円をばら撒く」というシーンになるんだけど、この撮影がまた大変で、無許可で1万円札(ニセモノ)をばら撒いたもんだから現場はパニック状態になり、またしてもスタッフが逮捕される事態に。
一方、映画のストーリーはここからさらに破天荒な展開へと突入していく。
5億円の入手に失敗し、原爆も警察に押収された主人公は、なんと『ダイ・ハード』のジョン・マクレーンみたいにロープにぶら下がって警察署の窓ガラスをぶち破り署内へ侵入(部屋は4階なんだが…)。原爆を取り戻した後、再びロープを使って脱出するという離れ業をやってのける。
映画を観ていると「そんなことが可能なのか?」と思わざるを得ないのだが、監督自身も同様の心境だったらしく「あのロープがどこから出ていたのか、俺にもわからない」とコメント。
原爆を持ったまま逃げる城戸の車を、10数台のパトカーが追跡!このカーチェイスの撮影が最も大変だったらしく、当時、相米慎二の下で制作を担当していた黒沢清は以下のように語っている。
首都高のカーチェイスは、測道にスタント用のパトカーを待機させ、沢田研二さんの車が来たタイミングで「今だ!」と合図したんですが、一般の車が来てたらどうなったんだろうと。首都高を全面封鎖してるわけじゃないですからね。全く無許可で撮影してたので。まあ首都高だから、そもそも許可なんて取りようがないんだけど(笑)。
確かに、黒沢清が担当していた場面には一般車両は映っていないようだが、ではいったい、どうやってこんなシーンを撮ったのか?
実は遥か手前の路上で、別のスタッフが複数台の車を停車し、強引に一般車両の進入を阻止していたのである。当然ながら、現場では大変なトラブルが勃発!以下、カースタントを指揮した三石千尋の証言より。
僕は最初、トラックとか大きい車を3台用意してくれって担当者にお願いしたんですよ。なんでトラックかと言うと、後ろに別の車が来てもトラックなら前方が見えないから、何をやってるか分からないでしょ?そしたら、予算の都合で小型車が4台来ちゃったんですよ。これは困りましたね。前が空いてるのが丸分かりだから。
しかも監督が、「まだ撮影の準備が出来てないからそこで止まってろ」って言うんですよ。で、4台の車で強引に道を塞いじゃったんです。そしたら、もの凄い大渋滞になって、車から人が降りて来て「俺たちはこれから仕事に行かなきゃならねえんだよ!今すぐ通せ!」って怒鳴られて。それで、「我々もこれが仕事なんです!」と言いながらスタッフ全員で土下座して…。もうムチャクチャな撮影でしたよ(笑)。
しかし大変なシーンはこれだけで終わらない。首都高を下りた城戸の車(RX-7)の前に、突然大型トラックが立ち塞がる。次の瞬間、トラックを飛び越えて宙を舞うRX-7!
実はこのシーン、本来はこんなにジャンプする予定ではなかったそうだ。スピードが出すぎて15キロぐらい速度オーバーした結果、予想していた着地点より8メートルも先に落ちてしまったのである。飛んだ高さも凄まじく、運転していたスタントマンは信号機が車の下に見えた瞬間、「あ、ヤベぇ…」と思ったらしい(笑)。
なお、本作のカーチェイスシーンは基本的にスタントマンが運転しているが、主人公の顔が見えるカットは沢田研二が自らハンドルを握っている。果たして沢田の運転技術はどんな感じだったのか?以下、長谷川監督のコメントより。
度胸はあったよね。あり過ぎるぐらいだった。当時、沢田は免許を取りたてだったんだけど、港のすぐ近くで運手するシーンを撮ってる時に「出来るだけスピードを上げろ」って言ったの。ただ、その先は堤防で海だから、コンテナを過ぎたらブレーキ踏めよと。
そしたら、俺もうっかりしてたんだけど、気付いたらコンテナを通り過ぎてたんだよ。慌てて「おいブレーキ!」って叫んで。ギリギリで止まったけど、タイヤがもう1回転してたら海に落ちてたね(笑)。その時も、俺は青ざめてるのに、沢田は笑ってるんだよ。「いや〜、間一髪でしたね〜」とか言ってさ(笑)。あいつは基本的にヤバいことが好きなんだろうな。だから、このキャラクターに合ってたんだよ。
そんな沢田研二に対し、山下警部こと菅原文太は割と大変な目に遭わされていたらしい。例えば、城戸の車を追いかけるシーンで、山下の車が大破し、フロントガラスが吹っ飛んで顔に当たりそうになるのだが、これは完全にアクシデントだそうだ。
長谷川監督曰く、「あれは狙って撮ったんじゃないんだよ。偶然なんだよね。ラッシュを見て”やった!”と思った。すごくいいカットなんだよ、リアルで。ただ、文句言うスター俳優ならあれで撮影中止になってる。だって危ないからね。でも、文太さんはそのまま撮影を続行させた。さすが菅原文太だなと思ったよ」とのこと。
また、山下警部がヘリコプターにしがみ付いて城戸を追いかけるシーンでは、なんと菅原文太本人がヘリにぶら下がっているのだ(もちろん遠景シーンはスタントマンだが、顔が見えるシーンだけ本人が演じたらしい)。
ただ、菅原文太は高所恐怖症で「監督、俺は2メートル以上の高さはダメだから!」と言っていたのに、長谷川監督は「たった2メートルじゃアオリの画が撮れない」と考え、勝手に7メートル以上もヘリを上昇させたのである(最後までやり切った菅原文太はすごい!)。
さらに、山下警部の車が爆発・炎上するシーンでは、ワザと打ち合わせよりも早いタイミングで爆破のスイッチを入れている。そのため、菅原文太のすぐ近くで大爆発が起こり、直後に「オイ、なんかタイミングが早かったんじゃないか!?」と文句を言っていたらしい。
長谷川監督はこのシーンについて「迫力あるいいシーンが撮れた。実際、ギリギリの距離で爆破してるからね。文太さんは腰を痛めたらしいけど、ギリギリを探らせてもらうのがこっちの仕事みたいなもんだから」と満足そう。撮影終了後、菅原文太は「もう当分、こういう映画はやりたくない」と言っていたらしい。以下、菅原本人のコメントより。
まあ、映画監督ってのは割とみんな残酷だから。サディストだからね。無理な注文を出してくるもんなんだよ。そういう意味でも、『太陽を盗んだ男』の撮影は今までの役者人生の中で5本の指に入るぐらいしんどかったなあ。
物語はこの後、城戸と山下警部の直接対決シーンへと移る。山下警部に銃を突き付けた城戸は一緒に屋上へ上がり、「原爆はあと30分で爆発する」と宣言。
「この街はもう死んでいる。死んでいるものを殺して、何の罪になると言うんだ!」と叫ぶ城戸に「ふざけるな!」と憤る山下警部。
城戸は手にした銃で山下警部を撃ちまくる。だが、至近距離から何発も撃たれているのに死なない(不死身か!?)。最終的に屋上から転落。そして……
という具合に、『太陽を盗んだ男』は最初から最後まで破天荒な内容で、その撮影現場は逮捕者が続出するほどの狂った状況だったのである。なお数年後、黒沢清は当時の様子を以下のように語っている。
撮影日数が1日や2日じゃなくて何カ月もオーバーするっていうのは、やっぱり特殊な現場だったんでしょうね。まあ、その伝統が後に相米さんに受け継がれていくんですが(笑)。問題は、スタッフが付いて来れないってことです。決められた期間で撮影が終わらないと、契約が切れる人が出て来るわけですから。
まあ現場は混乱してたんでしょうね。当時、僕は50万とか100万のお金を持ってB班の相米さんの制作主任になってたんだけど、その時まだ学生ですからね!僕がお金を持って逃げたらどうするんだろうと思いましたけど(笑)。
色んな意味ですごすぎる映画だなあ(^_^;)