本日、テレビ「キネマ麹町」(TOKYO MX2)で『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』が放送される。前作『ガメラ2 レギオン襲来』の3年後(1999年)に公開された「平成ガメラ三部作」の完結編だ。
ただしこの映画、正式に制作が決定するまで、割と時間がかかっている。
『1』の公開時は評価・話題性共に高く、早い段階から『2』を作ることが決まっていたのに対し、『2』の時は「配収10億円を超えるのでは?」と言われながら7億円止まりだったため、次回作を作るべきかどうか大映側も悩んでいたからだ。
さらに、『ガメラ1』が評判になったことで金子修介監督や特技監督の樋口真嗣も仕事が忙しくなり、なかなか両者のスケジュールが合わなかったことも理由の一つと言われている。
なので会社側は「別の人に特技監督を依頼したら?」と提案したようだが、金子監督は「ガメラには樋口氏が乗り移っている。特技監督を変えると、ガメラの大切な要素まで失われてしまう」と拒否。
それで結局、樋口真嗣のスケジュールが空くのを待ってから制作に取り掛かったらしい。
というわけで本日は、『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』について思うことを色々書いてみたい。
●キャラクターについて
本作はシリーズ初登場の比良坂綾奈(前田愛)を中心に話が進んでいくが、1作目のヒロイン:長峰真弓(中山忍)と草薙浅黄(藤谷文子)も再登場し、ドラマを引っ張っている。
また、1作目から出ている大迫力(螢雪次朗)の出番が前作以上に増えており、しかもギャオスによって植え付けられたトラウマを克服する”大迫の成長物語”みたいな感じになっているのが面白い。
なお、本作にも生瀬勝久、八嶋智人、伊集院光、鴻上尚史、上川隆也、草野仁、津川雅彦など多彩なゲストが出演していて、「隠れキャラ捜し」も楽しめる。
「隠れキャラ」といえば、京都駅で長峰や草薙とすれ違う「黄色のシャツの少女」に気付いた人はいるだろうか?実はこの人、前田愛なのだ!
先に自分の出番が終わった前田愛が「私も京都駅のエキストラをやっていいですか?」と監督に頼み込み、比良坂綾奈ではなく「その他大勢の乗客」を演じていたのである(わかるわけないだろw)。
あと、石橋保や田口トモロヲや前田亜紀など、前作に出ていた役者が何人か再登場しているが、キャラクターの繋がりは一切なく、完全に別人としてゲスト出演しているとのこと。
そんなゲストの中でも特に有名なのが仲間由紀恵だろう。イリスに襲われてミイラになってしまう役だが、仲間由紀恵が現場に来た時はスタッフ全員「わ〜!仲間由紀恵だ!」とハイになり、しかもスタッフの数も普段より増えていたらしい。
そして「平成ガメラといえば自衛隊」というぐらい自衛官の登場頻度が高いわけだが、今回も防衛省の全面協力により、本物の自衛隊員が至る所に出演している(イリスに戦闘機で攻撃をしかけているのは航空自衛隊のパイロット)。
さらに森の中でイリスの攻撃するシーンでは、なんと本物の陸上自衛隊が本物の銃を使って空砲を撃っているのだ!「リアル」という意味ではこれほどリアルなシーンも滅多にないだろうが、1万発以上撃ちまくったため、撮影後に薬莢を拾い集めるのが大変だったらしい。
●ストーリーについて
『ガメラ3』のストーリーはちょっと特殊で、映画の冒頭に『ガメラ1』の映像を流していることから分かるように、「3作目だけど1作目の続編」というスタイルなのだ。
『ガメラ1』で倒したはずのギャオスが再び現れ、1作目の主人公(長峰)が調査を開始。さらにガメラとギャオスの戦闘に巻き込まれて家族を失った少女がガメラに恨みを抱き…という展開は完全に『1』の続きである。
そのため、本来シリーズ物は『1』 → 『2』 → 『3』という時系列で話が進んでいくのに対し、本作の場合はむしろ『1』 → 『3』で観た方が流れを把握しやすくなっている。
また、平成ガメラシリーズの特徴として、1作ごとに作風が異なっている点も面白い。
1作目は「王道怪獣映画」 + 「災害シミュレーション」、2作目は「SF映画」 + 「本格ミリタリー」、そして3作目は「恋愛映画」 + 「伝奇ファンタジー」という具合に、全てイメージが違うのだ。
ただ前2作が割とハードな展開で盛り上げていたのとは対照的に、3作目でいきなりソフトな恋愛ドラマへ舵を切ったことに対する観客の”戸惑い”みたいなものはあっただろう。
今回、ガメラに恋愛要素を入れたのは金子・伊藤・樋口の共通した意見だが、怪獣映画にウェットかつファンタジックな要素を加えた独特のムードは、ファンの間でも賛否両論真っ二つだったらしい。
あと、「大量のギャオスが迫り来る中、それに立ち向かおうとするガメラ」という”俺達の戦いはこれからだエンド”で終わっているため、白黒ハッキリした結末を求めている観客には少々ウケが悪かったようだ。
●特撮について
「精巧なミニチュアセット」と「派手な爆発」は相変わらず素晴らしく、「さすが平成ガメラだ!」と感心するしかない。さらに本作では「リアルなCG映像」まで加わっているのだからファンにはたまらない。
特に、中盤の「ガメラとイリスの空中戦」は背景に至るまでコンピュータ作画の”フルCG”で作られており、『1』『2』に比べて格段の進化を感じさせる名シーンだ。
そして、最大の見どころは何と言っても「渋谷の大爆発シーン」だろう。「今回は本物の街並みを完全再現することにこだわった」と樋口氏が語っている通り、特撮のレベルが尋常じゃない。
実は、『1』の”東京タワー”や『2』の”すすきのビル”などの場合、東京タワー(あるいはビル)という目立つランドマークさえ置いておけば、たとえ周りの建物が多少違っていても「東京タワー周辺」に見えるのだ(そういう意味では「完全再現」とは言い難い)。
しかし、『ガメラ3』の渋谷は「実際の渋谷の風景」に合わせ、全ての建物を完璧にマッチングさせている。つまり、本物の渋谷を完全コピーしているのだ。
その渋谷のミニチュアを爆破する映像が、これまた凄まじい!
なにしろ、東横店のミニチュア内部にナパーム6本、駅前広場にベタ置きのナパームを16本設置。計22本のナパームを20リットル以上のガソリンで爆破したというド迫力シーンである。
この爆破を撮るためにスタッフは大変な苦労を強いられたらしく、撮影が始まる前から何度もテストを繰り返し、本番当日は朝からナパームやミニチュアをセットし始め、実際に爆破したのは夜の9時。
映画では一瞬だが、この一瞬にとんでもない手間暇がかかっているのだ。
●イリスについて
今回ガメラと戦う新怪獣イリスは、劇中で「ギャオスの変異体」と呼ばれており、その他大勢のギャオスを統括するラスボスのような存在として描かれている。
その姿は、いわゆる”怪獣”の体型というよりも人間型に近く、シャープでスマートな、ある種のヒーロー性をも備えている(「エヴァンゲリオンみたいだ」という意見も)。
イリスのデザインは『シン・ゴジラ』でもデザインを担当した前田真宏で、しかも「第1形態」 → 「第2形態」 → 「第3形態」と成長していくところもシン・ゴジラと同じだ。
なお、イリスのスーツには発光させるための電飾が仕込まれているのだが、熱と光量がメチャクチャ強くて、撮影中にスーツから煙が噴き出してしまった。このため8秒以上は連続で点灯できなかったらしい。
余談だが、僕は『ガメラ3』の公開当時に開催されていたイベントを見に行った際、”本物のイリス”に触ったことがある。
そのイベントでは、会場に『ガメラ3』の撮影で使われたミニチュアや小道具や着ぐるみ等が多数展示され、セットを再現したジオラマまで飾ってあった。
もちろん展示物には触ることが出来ないんだけど、なぜかイリスの着ぐるみだけが手の届く場所に置いてあり、みんな触っていたのである。なので僕も触ってみた。
イリスのスーツは意外と柔らかく、特に触手の部分は発砲ウレタン製でフニャフニャしていた。どうやらシーンに合わせて「硬いスーツ」と「柔らかいスーツ」の2種類が作られ、ガメラとのアクションシーンでは柔らかい方を使用していたらしい。
●GAMERA1999について
『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』を語る際、『GAMERA1999』に触れないわけにはいかないだろう。
『GAMERA1999』とは、『ガメラ3』の公開時に発売されたメイキングビデオで、総監督は庵野秀明、カメラマンは『エヴァ』で作画を担当したアニメーターの摩砂雪、『エヴァ新劇場版』の監督の鶴巻和哉など。
その内容は極めて特殊で、一応「映画のメイキング」という体裁をとってはいるが、実態は「金子修介監督と樋口真嗣特技監督の確執を赤裸々に描いた衝撃のドキュメンタリー」である。
『ガメラ3』の制作が決まった時、当初は草薙浅黄(藤谷文子)が登場しないストーリーになっていたのだが、金子監督がそれに猛反対。
樋口真嗣は「ガメラと浅黄の関係性は『ガメラ2』で決着したんだから、『3』に出て来る必然性がないでしょう」と主張したものの、金子監督が「絶対に嫌だ!」と断固拒否したのである。
そのため、脚本家の伊藤和典は「草薙浅黄が登場するバージョン」のストーリーを新たに考えることになり、特撮班がクランクインした時点でもまだシナリオが完成していないという非常事態に!
なので樋口氏はミニチュアセットを撮影しながら、現場で必死に絵コンテを直したり削ったりするはめになってしまった。時間がない中、懸命に頑張る特撮スタッフたち。
やがて、少しずつ金子監督と樋口氏の間に不穏な空気が漂い始め…
プロデューサー:「やっぱ樋口ちゃんが金子さんとしっかり話をしなきゃダメだよ」
神谷誠(特撮スタッフ):「でも、金子さんに物事を伝えるのって難しいよね」
樋口真嗣:「す〜〜〜〜っごい難しいよ!」
みたいなネガティブな会話が何度も繰り返されるようになっていく。
要は、映画の内容や仕事の進め方をめぐって「本編班」と「特撮班」との間で意見が対立していたわけだが、そういう不満を抱えたまま『ガメラ3』の撮影は続けられたのである。
『GAMERA1999』の映像を見ると、全体打ち合わせ会議みたいな場所で大勢のスタッフを前に、金子監督と樋口氏が互いの意見を言い合う場面が出て来る。
しかし、映画全体の方向性を決定するのはあくまでも金子監督であり、樋口氏が撮った特撮映像をどういう風に使うのか(あるいはカットするのか)、その判断は全て金子監督に一任されているのだ。
なので、金子監督から「俺はこっちの方がいいと思う」と言われた樋口氏は「う〜ん、そうですか…」と納得できない気持ちを抱えながらも受け入れざるを得ない。
日本の特撮映画は、円谷英二が本編監督と特撮監督という「二班体制」を生み出したことで大いに発展したものの、同時に「一つの映画に二人の監督がいる」という歪んだシステムを定着させてしまった。
それでも昔は「人間ドラマ」と「特撮シーン」が明確にわかれていたため、作業する上で特に問題はなかった。
しかし近年は(特に『ガメラ3』は)人間の役者と特撮部分が絡むシーンが非常に多くなっており、特撮監督が演出に関わる機会も増えている。
そのため「どちらの監督が主導権を握るのか?」という本質的な問題が表面化してしまったのだ。
もちろん、両者の意見が合致していれば監督が二人いても問題ないのかもしれないが、残念ながら『ガメラ3』では上手くいかなかったらしい。この件に関して樋口氏は以下のようにコメントしている。
今と昔では映画を作る環境が全く異なってるんです。毎週新作が何本も封切られていた頃っていうのは、本編監督も特撮監督もすべて映画会社の社員だったんですよ。二班編成っていうのはそういう時代に作られたシステムだった。
でも今は全然違います。スポンサーがついて企画が通って、それからフリーのスタッフを集めるんです。それが今の映画の作り方なんです。そうなると、昔とは監督の権限とかが違うわけですよ。そういう環境を背景として見た時、初めて違いがわかる。
昔の監督には、”社員として”の監督の在り方というものがありました。でも今は、”作家として”の意識が明確でないと演出家はやれない。だから本質的には映画作りのシステムが変わってしまっているのに、表面上はかつてのシステムに乗っかっていると。その矛盾が一番表面化しやすいのかもしれませんね。
つまり特技監督って、今のシステムに入り込めないんですよ。自分の場合は純粋に”過去への情景”でその肩書を名乗っていますが、現実はキビシイっスね。
という具合に当時の樋口真嗣はかなりのストレスを感じていたようだが、一つ注意したいのは、『GAMERA1999』はあくまでも「樋口真嗣の友人の庵野秀明が撮ったドキュメンタリーである」という点だ。
そのため、主な映像は「樋口氏の側から見た主張」に偏っており、決して公平な取材に基づくドキュメントとは言えない。
金子監督には金子監督の言い分があるだろうし、そもそも『ガメラ3』を作る際に「樋口さんがいなければガメラは撮れない」とまで言って会社を説得したのは金子監督なのだ。
したがって、あまりにも樋口真嗣の肩を持つような編集の仕方は「ちょっとどうだろう?」という気がしなくもない。
しかしながら、樋口氏が『ガメラ3』の制作時に不満を抱いていたのは事実だし、これをきっかけとして本編監督を目指すようになったのも間違いない。
そういう意味では、『ガメラ3』のメイキングとしても、樋口真嗣の葛藤を描いたドキュメンタリーとしても、非常に楽しめる映像だと思う。残念ながら現在ソフト化されていないので、ぜひブルーレイ(またはDVD)を発売して欲しい(^_^)