※今回の記事には映画『22年目の告白 ―私が殺人犯です―』に関するネタバレがあるので、未見の人はご注意ください。
本日、金曜ロードショーで『22年目の告白 ―私が殺人犯です―』が放送される。
あらすじは
「1995年に発生した5件の連続絞殺事件が時効を迎えたものの、
事件から22年後に突然”犯人”が名乗り出て本を出版。
その告発本が一躍ベストセラーになってしまった。
いったい何の目的でこんなことを…?
”犯人”の謎の行動に日本中が翻弄される中、驚愕の真相が明らかに…!」
というもの。
本作で”犯人”の曾根崎雅人を演じたのは、
毎回エキセントリックな芝居を熱演することでお馴染みの藤原竜也。
彼の「気合いの入り過ぎた演技」は
お笑い芸人にネタにされるほどインパクトが強く、
さらに近年は『デスノート』の夜神月や『カイジ』の伊藤開司、
『るろうに剣心』の志々雄真実、『藁の楯』の清丸国秀など
なぜか「人間性にかなり問題のあるキャラクター」ばかりをオファーされ、
本人も「クズの役しか来なくなった」と嘆いているらしい。
そして22年前の事件で最愛の妹を殺され、
時効になっても執拗に犯人を追いかける刑事:牧村航を演じるのは、
『海猿』シリーズで主演を務めて以降、
すっかり”正義感の強いキャラ”が印象付いた伊藤英明である。
三池崇史監督の『悪の教典』では
極悪非道なサイコパスを演じたこともあるが
基本的なイメージは今でも「熱血ヒーロー」なのだろう。
本作は主にこの二人を中心として、
22年前に起きた連続殺人事件の謎に迫る猟奇ミステリーである。
そんな『22年目の告白』だが、映画を観る前の予想としては
「曾根崎がわざわざ出て来た理由は事件の真相を解明するため。
つまり、真犯人は別にいるに違いないッ!」というものだった。
まあ、この辺までは予想していた人も多いだろうし、
実際、真犯人はニュースキャスターの仙堂(仲村トオル)だったんだけど、
驚いたのは、牧村刑事もグルだったこと。
しかもそれだけでなく、22年前に殺された被害者の家族たちが
真犯人を見つけるために協力していたのである。
これには僕もビックリした。
なぜなら、事前に公開された予告編では全然印象が違っていたからだ。
以下の予告編を見ると曾根崎が牧村刑事に向かって
「あんたがどんくさいから5人も死んだんだよ」と言うシーンが出てくる(48秒辺り)。
ところが、実際に本編を観てみるとこのシーンでセリフは聞こえないのだ。
曾根崎が口元を隠して牧村刑事に何かを話しかけ、
その直後に「テメェこの野郎!」と叫んで殴りかかる場面が映るのみで
「何か激怒するようなことを言ったのだろう」ぐらいしか判断できない。
なので僕は普通に予告編の内容を信じ、「曾根崎と牧村は敵同士」
と思い込んでいたのだが、そうではなかった。
実はこの時、曾根崎は牧村刑事の耳元で「自分を殴ってください」
と頼んでいたのだ。
後で分かることだが、曾根崎の正体は牧村の妹の婚約者で、
彼女を殺した真犯人を何としても捕まえようと、
整形手術で顔を変えて自ら”犯人”として名乗り出ることを計画。
そして世間の目を欺くために、マスコミが大勢いる前で
わざと牧村刑事に自分を殴らせたのである。
では、「あんたがどんくさいから…」というセリフは何なのか?というと
全く別のシーン(テレビ局)で喋ったセリフを切り取って使っていたのだ。
そうすることによって、「こいつは刑事と敵対してるんだな」と
予告編を見た人に勘違いさせたのである。すごい発想!
だが、予告編の作りとしてはどうなのか?
「フェアかアンフェアか」で意見がわかれるかもしれない。
なんせ、製作者が意図的にミスリードしているのだから。
まあ、確かに”映画の予告編”というものは、
見せ方次第でいくらでも本編と異なる印象を与えることができるだろう。
編集を変えたり、音楽を変えたり、
または「本編には出て来ないカット」を敢えて使ったり。
そうすることによって観客の興味や好奇心を煽り、
一人でも多くの人に劇場へ来てもらえるようアピールするのだ。
しかし、あまりにも本編とかけ離れた予告編は批判の的になりやすく
状況によってはクレームが発生する場合もある。
では、今回の予告編はどうだろう?
ミステリー映画でこういう改変は少々強引ではあるが、
映像やセリフはちゃんと本編に使われているものだし
個人的にはギリギリセーフかなと思う。
逆に「こういう騙し方があるのか…」と感心したぐらいだ。
今後も「予告編を使ったミスリード」のパターンを色々見てみたいなあ(^_^)
●こちらは原作映画。『22年目の告白』よりもアクション性が強い↓