どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。
先日、肺がんのため82歳で亡くなった高畑勲監督の「お別れの会」が、15日に東京・三鷹の森ジブリ美術館で営まれました。
盟友の宮崎駿さんは”開会の辞”で高畑さんとの思い出を語り、「パクさん。僕らは精一杯、あの時を生きたんだ。膝を折らなかったパクさんの姿勢は、僕らのものだったんだ。ありがとう、パクさん…」と号泣したそうです。
さらにアニメーターの大塚康生さんや小田部羊一さん、作曲家の久石譲さん、プロデューサーの鈴木敏夫さんなど、高畑勲監督と関わりの深い人たちがそれぞれコメントを述べていました。
「高畑勲 お別れの会」には、そのほか富野由悠季、押井守、樋口真嗣、大林宣彦、山田洋次、岩井俊二、種田陽平、宮本信子、竹下景子、野々村真、本名陽子、瀧本美織、柳葉敏郎、福澤朗ら約3200人が参列したそうです。
なお、金曜ロードショーでは高畑監督の遺作となった『かぐや姫の物語』を完全ノーカットで放送するようなので、よろしければ『かぐや姫の物語』に関するこちらの記事をぜひご覧ください(^_^)
・スタッフ号泣!高畑勲監督『かぐや姫の物語』の舞台裏が凄すぎる!
というわけで本日は、高畑勲監督が初めてメインスタッフとして腕を振るった名作テレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』について書いてみたいと思います。
1973年頃、宮崎駿さんや小田部羊一さんと共に『長くつ下のピッピ』のアニメ化を目指していた高畑監督は、結局アニメ化権が取得できず途方に暮れていました。
そんな時に『ハイジ』の企画を依頼されたのですが、高畑監督は当初、「これはアニメよりも実写でやるべき作品じゃないか?」と難色を示し、あまり乗り気ではなかったそうです。
『アルプスの少女ハイジ』が放送されていた当時のテレビアニメと言えば、『グレートマジンガー』『宇宙戦艦ヤマト』『破裏拳ポリマー』『魔女っ子メグちゃん』などの”メカアクション”や”ファンタジー”が主流で、『ハイジ』のように”日常を描写するアニメ”はほとんど例がありませんでした。
そのため、テレビ局からも「この内容ではヒットは無理でしょう」などと言われ、しかも日常描写はアクションシーンよりも作画が難しく、キャラの芝居がリアルになればなるほどアニメーターの負担は増大します。
「そんな大変な作品を、時間も予算も少ないテレビアニメでやるなんてリスクが高すぎる」
高畑監督はそう考えて慎重になっていたのですが、実は高畑さん自身も子供の頃から『ハイジ』の原作を読んでいて大好きだったらしい。
しかも、長年温めていた『長くつ下のピッピ』の企画が頓挫したことで、宮崎さんと小田部さんの中にも「元気な女の子が活躍するアニメを作りたい」という情熱が高まっていました。
そのため、高畑監督は「普通なら不可能だが、小田部が作画監督になって全部の絵をチェックしてくれるなら作画のクオリティは維持できる。そして宮崎駿に全カットのレイアウト(場面設定)を担当させ、その上で自分が演出を含め全てに目を配るシステムを組むのであれば、可能かもしれない」と考えたのです。
こうして、ようやく『アルプスの少女ハイジ』の制作がスタート!しかし、実際に作業が開始されると予想をはるかに超える過酷な状況に現場から悲鳴が続出しました。
中でも宮崎駿さんの仕事量は常軌を逸しており、通常はどんなベテランでも1日5〜6枚程度しか描けないレイアウトを、宮崎さんは毎日50枚以上描いていたという。
その馬力を維持しながら全52話すべてをたった一人で受け持っていたのですから、正気の沙汰ではありません(当時の宮崎さんは「1日24時間、1週間ぶっ続けで働いても、まだ時間が足りない!」と愚痴っていたらしい)。
また、作画監督を務めた小田部羊一さんも、熾烈な作業の連続でボロボロになり果て、ある日とうとう「もうこれ以上原画の修正はできない!」とギブアップ宣言。
ところが、それを聞いた宮崎さんは激怒し、「俺は小田部さんがきちんと原画を直してくれるからレイアウトができるんだ!」と叱責したそうです。
どうやら宮崎さんは「自分がこんなに一生懸命働いてるんだから、他の人も同じぐらい働いて当然」と思っているようで、昔『風の谷のナウシカ』の制作中に作画監督の小松原一男さんが風邪をひいてダウンした時も、「風邪ぐらいで仕事を休むなんてけしからん!」と怒っていたという。
でも、宮崎さんのペースに付き合わされる方はたまったもんじゃないですよねえ(苦笑)。結局、宮崎さんに怒られた小田部さんは「確かに、今自分がギブアップしたら『ハイジ』は終わってしまう…」と考え、歯を食いしばって最後まで激務に耐え抜いたそうです。
そして、演出を担当していた高畑勲監督も、脚本・編集・絵コンテのチェックなど、宮崎さんや小田部さん以上に忙しく働きまくり、1カ月ずっとスタジオに泊りっぱなしで「家に帰るのは着替えを取りに戻る時だけ」という状況だったそうです。
なお、余談ですが『機動戦士ガンダム』の監督として有名な富野由悠季さんも、当時はスタッフの一人として『ハイジ』に参加していましたが、絵コンテを依頼された際、「このコンテの納期はいつですか?」と高畑監督に尋ねたところ「三日後です」と言われ、ビックリして「じゃあオンエアはいつですか?」聞いたら「再来週かな」と返され衝撃を受けたらしい。
これがどれぐらい凄まじいスケジュールかと言うと、普通、アニメの絵コンテを描くには、まずもらった脚本をしっかり読み込んでシーンの意味を理解し、文字で書かれた情景を一つずつ映像に変換する…という作業に1週間ぐらいかかるわけです。
さらに、完成した絵コンテをもとにアニメーターが作画する時間も必要で、30分のテレビアニメを作るのに最低でも1ヵ月半から2ヵ月はかかります。それを「2週間後にオンエア」って、ムチャにもほどがあると言うか、超絶にハードなスケジュールと言わざるを得ません。
そんな状況だからスタジオは毎日が修羅場の連続で、セルに塗った絵の具を乾かす時間すら無いため、制作進行は車の中に棚を作って、外注が仕上げたセルを乾かしながら車を運転していたそうです。
その結果、疲れ果てて床に倒れて仮眠をとるアニメーターや、絵の具を塗りかけたセルにそのまま顔を突っ込んで寝てしまうスタッフなどが続出し、スタジオはまさに死屍累々の地獄絵図。
しかし、どんなに時間が無くても、高畑監督はギリギリまで作品の完成度を上げることにこだわりました。演出が頑張ればレイアウトも手を抜けません。作画も背景も仕上げも、誰もが自分の持ち場でベストを尽くすべく限界まで頑張ったのです。
そして皆が「もうダメだ…」「これ以上はできない…」と思いつつ、次々と上がってくる映像の素晴らしさに感動し、再び立ち上がって作業を続けたという。あるスタッフは当時を振り返り、次のように語っています。
「『ハイジ』の現場は本当にきつかったし大変だった。でも、だから楽しかったんだ」
こうして『アルプスの少女ハイジ』は「こんなアニメがヒットするはずがない」という当初の予想を覆し、順調に視聴率を上げ続け、とうとう裏番組の『宇宙戦艦ヤマト』を打ち切りに追いやってしまいました。まさに高畑勲・宮崎駿・小田部羊一という3人の天才とスタッフたちの献身的な頑張りによって、アニメ『ハイジ』は成功したと言えるでしょう。
ちなみに、『アルプスの少女ハイジ』のオープニングで「ハイジとペーターが手を繋いで踊る」という場面がありますが、このダンスのモデルを務めたのは宮崎さんと小田部さんだそうです。
当時作業していたスタジオの駐車場で、宮崎さんがペーター役、小田部さんがハイジ役になって互いに手を繋いでクルクルと踊り、それを8ミリカメラで撮影、その映像を見ながらアニメーターの森やすじさんが原画を描いたらしい。どこかに映像残ってないかなあ(^_^)