どうも、管理人のタイプ・あ~るです。
さて本日、金曜ロードショーにて『天空の城ラピュタ』が放送されました。
ご存知、宮崎駿監督が1986年に制作した劇場アニメで、公開から38年経った現在でも多くのファンから愛され続け、テレビ放送の度にSNSで話題になるなど、まさに「不朽の名作」と言っても過言ではないでしょう。
というわけで本日は、『天空の城ラピュタ』がどのように制作されたのか?その舞台裏を詳しく綴った一冊の本をご紹介します。
本のタイトルは「もう一つのバルス」、著者は木原浩勝さん。
木原さんといえば『新耳袋』シリーズなどで知られる小説家ですが、実は以前スタジオジブリに制作進行として参加しており、『天空の城ラピュタ』や『となりのトトロ』を担当していたのですよ。
「制作進行」とは、簡単に言うと原画や動画などアニメ制作に必要な素材を発注・回収し、各々の工程が支障なく進捗するようにスケジュールを管理する重要な役割です(2014年に制作進行の仕事ぶりを描いたアニメ『SHIROBAKO』がヒットしたので、何となくイメージが頭に浮かぶ人もいるかもしれません)。
ただし、『SHIROBAKO』があくまでも「近年の制作進行の業務を分かりやすく脚色したフィクション」だったのに対し、木原浩勝さんが働いていた1980年頃はもっと過酷な現場だったらしく、書籍では以下のように語っていました(ジブリに入る前に勤めていた某アニメ会社での出来事↓)。
入社初日から、僕は徹夜でアフレコ用に”トレスマシン”で原画をセル画に転写した。翌日の昼、制作デスクに着替えを持ってこいと言われて帰宅し、すぐに出社。そこから3日連続の徹夜作業。次の日は半日休んで、そこからは会社の仮眠室に寝泊まり生活となった。帰るのは、月に1日、家賃を払う日だけ。
「もう一つのバルス」より
どう考えてもブラック極まりない職場ですが、木原さんによると「僕だけが特別大変だったわけではない。当時のアニメ制作会社の仕事はどこも似たり寄ったりだったのだ」とのことで、80年代の制作進行がいかにハードな職業だったか分かるでしょう。
そんな厳しい状況の中でも、宮崎駿監督に憧れてアニメ業界に入ってきた木原さんにとってはやりがいに溢れ、ジブリで働けることが決まった時は嬉しくて仕方がなかったらしい。
そして『天空の城ラピュタ』の制作中は、かなり宮崎監督と近い距離で仕事をしていたらしく、「木原くん、これどう思う?」などと内容に関して意見を求められることも度々あったそうです。
実は『天空の城ラピュタ』のストーリーが決まるまでに「ラフコンテ」と呼ばれるものが何枚も描かれ、木原さんはそれを見せてもらっていたのですが、完成した決定コンテを見たら「カットされた場面がかなりあった」とのこと。
例えば、ドーラたちのタイガーモス号が戦艦ゴリアテを追ってラピュタを目指す場面で、宮崎監督は「長距離移動の前に水や食料や燃料などの補給をするはずだ」と考え、ラフコンテにそういうシーンを描いていたそうです。しかし…
しかしご存知の通り、描かれてさえいれば、リアリティ溢れた映画となった部分すべてが未使用に終わっている。理由は言うまでもない、上映時間を短くするためだ。残された時間を少しでもパズーとシータのドラマのために取っておきたかったのだ。
「もう一つのバルス」より
その他にも、ストーリー中盤に「フラップターを発明した科学者」という新キャラクター(絵コンテには「ドーラの愛人」と書かれていたらしい)が登場する予定でしたが、宮崎監督は「この段階で新キャラが出てくるのはあり得ないだろう」と考え、結局ボツにしたそうです。
このように、『天空の城ラピュタ』には「初期のコンテに描かれていたものの使用されなかったシーン」や「実現しなかったアイデア」などが多数存在したらしく、ファンとしては「上映時間が長くなってもいいから観たかった!」という気持ちにならざるを得ませんよねぇ(「カットしなければ公開日までに作業が終わらない」という事情もあったようですが…)。
なお、ロボット兵を再起動させる呪文が「リテ・ラトバリタ・ウルス・アリアロス・バル・ネトリール」と長いのに、ラピュタを滅ぼす呪文が「バルス」なのは短すぎるのでは?と昔からファンの間で議論になっていましたが、木原さんによると「パズーとシータが二人して長い呪文を口にし始めれば、ムスカが銃を撃ってくる」から。
つまり、あの場面では「ムスカが銃を撃つ暇がないぐらい短い呪文」を唱えなければならず、だからこそ一言で言える「バルス」になったんですね。
というわけで、『天空の城ラピュタ』の制作進行を務めた木原浩勝さんが、当時現場で見聞きした様々なエピソードを綴った「もう一つのバルス」をご紹介しました。非常に面白い本なのでオススメです(^.^)