どうも、管理人のタイプ・あ~るです。
さて皆さんは『トップをねらえ!』というアニメーション作品をご存知でしょうか?
本作は『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明さんが初めて監督を務めたオリジナルアニメで、今から32年前の1988年にリリースされ、多くのアニメファンの間で話題になりました。
その後、1989年に期間限定で劇場公開され、さらに2006年には再編集&5.1ch化に伴い再アフレコされた合体劇場版(『トップをねらえ2!』との同時上映)として映画館で公開されたのです。
そんな『トップをねらえ!』は、今でこそ「庵野秀明初監督作品」とか「感動の名作」みたいな扱いで高く評価されていますが、ビデオが発売された当初はそれほどでもない…というか、むしろ酷評されていたらしいんですよね。
まあ、第1話の時点では「エロい体操服を着た女子高生がおっぱいをブルンブルン揺らしながらロボットに乗って縄跳びする」という熱血スポ根パロディSFギャグアニメなのですから無理もないでしょう(笑)。
僕の周りはオタクばかりだったので「こりゃ凄い!」と夢中になって観てたんですけど、当時の制作スタッフの証言によると「1巻のリリース時点では期待したほど売れなかった」「アニメ業界内での評判は悪かった」など、ネガティブな意見の方が多いんですよ。
プロデューサーを務めた岡田斗司夫さんも「ガイナックスは前からこんなアニメを作りたい人ばっかりだったんだけど、アニメ業界は意外と真面目な人が多くて批判された」「アニメ誌の記者に見せたら途中で帰っちゃう人が何人もいた」「ああ、こういうのは嫌われるんだなっていうのを実感してビックリした」などと証言しています(逆にガチのアニオタの間では熱狂的に支持されたらしいw)。
ではいったい、『トップをねらえ!』はどのタイミングで「名作」と呼ばれるようなアニメに変貌したのでしょうか?
まず、『トップをねらえ!』の企画がスタートした当初は、庵野さんが監督を務める予定ではありませんでした。最初は「監督:樋口真嗣、キャラクターデザイン:貞本義行」というスタッフ編成で話が進んでいたそうです。
また、クレジットでは「脚本:岡田斗司夫」となっていますが、実際は岡田さんが設定やプロットを考え、それをメモ用紙に書いて山賀博之さん(『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の監督)に渡し、山賀さんが脚本を執筆…という感じで制作が進展していったらしい。
ところが、その途中で実相寺昭雄監督の『帝都物語』が始動し、樋口さんのところへ「参加しないか?」と連絡が来たのです。『帝都物語』といえば、製作費10億円の超大作映画で、3億円を使って銀座から新橋方面の街並みを丸ごとオープンセットで再現したり、3000人のエキストラを動員し、50体を越えるクリーチャーを制作するなど、まさに破格の規模の作品でした。
一方その頃、庵野さんは何をしていたのか?というと「元々ガイナックスは『王立宇宙軍』を作ったら解散するという約束で立ち上げたスタジオだったのに、『王立』が終わってもまだ解散していない。話が違う!」と言って一時的にガイナックスを離れていたそうです。
以来、庵野さんはあちこちのスタジオを泊まり歩く生活を続け、本人曰く「ただのフーテンですね(笑)。アニメそのものに対する挫折感みたいなものもあって、ほとんど仕事をしてなかった。当時の年収は70万円ぐらいだったかな?なにしろ仕事をしなかったんで(笑)」とのこと。
そんな庵野さんが、たまたまガイナックスを訪ねて来た時、机の上に置いてあった『トップをねらえ!』の脚本を読んだら(最初は「単なるウケ狙いのパロディアニメだろう」とバカにしていたにもかかわらず)、なんと第2話のストーリーに感動して大号泣。
さらに樋口さんが降板したことを知ると「こんないい脚本があるのに監督がいないなんて、そんなバカな!」と驚き、わざわざ『帝都物語』のスタッフルームに電話をかけて「監督やらないの?じゃあ僕が監督してもいい?」と樋口さんに確認したそうです。
こうして、正式に『トップをねらえ!』は庵野秀明監督作品として制作が決定!いよいよ本格的に作業が始まるわけですが…
ここで重要なのは、『トップをねらえ!』の元々のコンセプトが「SFやスポーツ根性ものをパロディ化したギャグアニメ」だったという点でしょう。ビデオの2巻が発売された時、ノリコが「急遽5話と6話の制作が決まって…」みたいなことを言ってますが、実は企画当初から岡田さんは6話までのストーリーを考えていて、それが全部”ギャグ”だったんですね。
第2話の「ウラシマ効果を描いたエピソード」も、「お父さんがノリコの誕生日に光の速度で帰って来る話だと説明したら、その場にいた全員が大爆笑した」と語っているように、当初は”笑わせるストーリー”として考えていたらしいのです。
ところが、山賀さんはそのプロットを読んで”シリアスな要素”を加えました。以下、山賀さんの証言より。
「お父さんが帰って来る」という展開も含めて、岡田さんのメモの時点では1個1個のアイデアをギャグとしてとらえていたんです。でも、脚本としてまとめていく中で、出されたアイデアに対して「こういう風に組み合わせていかないとストーリーになりませんよ」と話して、若干シリアスな方向へ振った形になりました。”パロディ”と言われても、僕は『エースをねらえ!』すら読んだことがないくらいで(笑)。その時に読んでいたのは槇村さとるの『愛のアランフェス』という少女マンガで、その線で書いてみようと思ったのが第2話です。
少女マンガというジャンル自体が持っているある種の「感動」、そこを外さないようにしてみようと思いました。と言っても、僕自身にシリアスに表現したいものがあったわけでは全然ないんです。「感動」ですら、あくまでも”パロディの要素”でした。だって「根性」にしても「挫折」にしても、そう言ってるだけで(笑)。つまりそれは”記号”なんです。物語ではなくて、物語を示唆するようなパロディが並んでいるだけ。特に第1話はドラマを全然描いていません(笑)。だから、第2話の脚本を書く時にそこをもう一度分解して、ドラマとしてやっていこうと意識したんです。 (「トップをねらえ!パーフェクトガイド」より)
確かに山賀さんの言う通り、第1話はスポ根のパロディが並んでいるだけで、ドラマが全くありません。そして第2話も、本来なら同じように”単なるギャグ”として処理されるはずだったのですが、山賀さんの判断でシリアスな路線へ軌道修正され、その脚本を読んだ庵野さんが感動して最終的にああいう形になった…と。
つまり、岡田さんが最初に考えていたコンセプトは、第2話の時点で早くも瓦解してたんですね(笑)。これは非常に重要なポイントだったと思います。
もし、『トップをねらえ!』が当初のアイデア通り「全編ギャグアニメ」として作られていたら(それはそれで面白い作品になったかもしれませんが)、恐らくここまで多くの人に支持されるアニメにはならなかったでしょう。
後に岡田さんも「僕の中には”面白いキャラ”や”笑い”はあるけれど”泣き”の要素がないんです。それを”泣き”の方向へ持って行ったのが山賀くんです。彼はメロドラマが上手いんですよ。『トップをねらえ!』の中でキモの部分、一番大事な”泣かせ”は山賀くんの力量なんです」と述べていました。
そして、山賀さんの”泣き”の要素をさらに増幅させたのが庵野さんです。山賀さんが「感動ですら、あくまでも”パロディの要素”」と語っているように、脚本の段階ではまだ”記号的な感動”だったのですが、庵野さんはそこに「本気の感動」を求めたのです。
意気込みとして「モノホンのアニメーションを作ろう!」と、そういう意識はありました。つまり、ここでいう”本物”とは、いわゆるオリジナリティということではなくて、アニメとはこういうものだ、というのを作ろうっていう。アニメが持っている端的な要素を取り入れたものですね。 (「トップをねらえ!オカエリナサイBOX」特典ロングインタビューより)
つまり”パロディ”にしても”感動”にしても、庵野さんは全て本気で表現しようと取り組んでいたわけです。『トップをねらえ!』の後半部分は割とシリアスなシーンが増えていきましたが、それでもパロディ部分に手を抜かなかった。そういう本気の姿勢が、結果的にラストの感動を呼ぶことに繋がったのでしょう。
しかし、制作が進むにしたがって”感動”に対する庵野さんの要求がどんどんエスカレートしていったのに対し、山賀さんは「脚本にリテイクを出して割が合うような仕事じゃない。直したいなら勝手に直してくれ」と言ってシナリオの修正を拒否しました。
そこで3話目以降は庵野さんの意向が積極的に取り入れられ、5話と6話に関しては一部を除いてほとんど庵野さんが脚本を書き直したそうです。山賀さん曰く、「だから後半が良くなっていったのは、庵野の頑張りのおかげですよ。僕の誤算は、作品に対する庵野の入れ込み方がハンパじゃなかったってことですね。結果的に『トップをねらえ!』はガイナックスの最高傑作になりましたから」とのこと。
こうして『トップをねらえ!』は、いまだに多くのファンから愛される名作アニメとなったわけですが、そこに至るまでに岡田さんのアイデア、山賀さんの脚本、樋口さんの絵コンテ、そしてそれらをバランスよくまとめて感動的な作品に仕上げた庵野さんの演出力など、実に様々な偶然が重なって生まれたアニメだったんですねえ。
ちなみに、続編の『トップをねらえ2!』を手掛けた鶴巻和哉さんも「どこでどう間違ってあんな傑作になったのか(笑)。たぶん、同じスタッフが集まっても二度と同じようなものは作れないでしょう。本当に奇跡みたいな作品です」と語っていて、全くその通りだなと思いました(^.^)