■あらすじ『漫画家のアシスタントとして冴えない日々を送る35歳の鈴木英雄(大泉洋)は、ある日、徹夜仕事から帰宅したところ、”腐った死体”に成り果てた恋人(片瀬那奈)に襲われる。なんとか逃げ出した英雄だったが、すでに街中が恐ろしい怪物で溢れ返っていた。それらは“ZQN(ゾキュン)”と呼ばれ、謎の感染パニックが日本中に広まっていることが判明。化け物から逃れて富士山を目指していた英雄は、その道中で女子高生の比呂美(有村架純)と出会い、一緒に行動を共にするが、やがて彼女の身にも恐ろしい現象が起こり始めた…。花沢健吾の大ヒット・ゾンビ漫画を、「GANTZ」や「図書館戦争」シリーズの佐藤信介が迫力のバイオレンス・アクションと臨場感あふれるパニック描写で描き出す驚愕のゾンビホラー超大作!』
※この記事にはネタバレが含まれています。映画を観ていない人はご注意ください。
どうも!管理人のタイプ・あ〜るです。いよいよゴールデンウィークが始まりましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?ゴールデンウィークといえば映画ですよね?というわけで、早速『アイアムアヒーロー』を観て来ましたよ(^O^)/
実は正直、観るまではそんなに期待してなかったんですよね。「なんだ、また人気漫画の実写化かよ?」と。しかも花沢健吾の原作は結構エグい描写も多いから、「どうせ忠実に実写化できるわけがない」と。「たぶんゴールデンウィークの家族連れでも楽しめるような、ゆる〜いパニック・ホラーになってんだろうな〜」と。そんな風に思ってました。が……
とんでもない!めっちゃハードなスプラッター映画だよ!
ゾンビの描写も強烈にグロくて、完全に子供が泣き出すレベル!
”ゆる〜い”どころか、全く家族連れに配慮してない!
こんな映画をゴールデンウィークに公開するなんてどうかしてる!
とまあ、こんな感じで実写映画版『アイアムアヒーロー』は、近年世間で広まっている「アニメや漫画の実写化批判」にカウンターパンチを喰らわせるような、原作ファンもゾンビ好きも狂喜乱舞の壮絶ゾンビ・ホラー映画に仕上がっていました。いや〜凄い!
●本気でゾンビ映画を作っている
何が凄いって、累計600万部を超える大人気マンガの実写化で、主演に大泉洋、ヒロインに有村架純や長澤まさみなど、大メジャーな役者をキャスティングし、韓国ロケやゾンビのメイクに破格の予算を投じて、天下の東宝が配給するという堂々たる大作映画なのに、やってることはB級ジャンルの「ゾンビ映画」ってところですよ。
今も昔も「ゾンビ映画」とは”低予算・手軽な題材”の代名詞であり、『桐島、部活やめるってよ』でも主人公はゾンビ映画を撮っていたし、『スーパー8』でも子どもたちはゾンビ映画を撮っていました。つまり、「素人でも撮れるハードルの低さ」が(作り手側から見た)ゾンビ映画の利点だったわけです。
このため、世界中でゾンビ映画が次々と作られ、当然、日本でも山ほど作られました。特に日本では特殊メイクにこだわる人が多いらしく、井口昇監督や西村喜廣監督の映画を観ると、だいたい「ドビューッ!」と派手に血飛沫が飛び散ったり、グチャグチャに人体が破壊されたり、そういうシーンが大量に出てきますよね。
このような「日本製ゾンビ映画」の特徴として挙げられるのが、例えば同じく日本製ホラー映画の『リング』や『呪怨』などに比べて、「陰惨なイメージを感じさせない」という点でしょう。『リング』を観た時は心底恐ろしかったのに対し、井口監督の『ロボゲイシャ』や『ゾンビアス』は(血がドバドバ溢れているのに)どこか”突き抜けた明るさ”があって、全く怖くないんです。
この辺は恐らく、80年代に流行ったスプラッター映画の影響を受けていると思われます。当時、サム・ライミ監督やピーター・ジャクソン監督らが撮っていたその手の映画は、人体破壊の表現がエスカレートしすぎて、怖いというより”可笑しい”という領域に達していました。つまり、「頭部が破裂して脳みそが飛び散る映像」がエンターテインメントと化していたわけです。
『アイアムアヒーロー』も間違いなく”そっち系”の映画なんですけど、完全にメジャー路線で作っている点が大きな違いで、しかもメジャー向けに残酷描写をセーブするかと思いきや、逆にマイナー路線の映画よりもさらにグロく、もっと過激にスプラッター度がアップしているのだからすごすぎる!まさか手加減なしでアレを実写化するとは…(^_^;)
これって、画期的なことなんですよ。なぜなら、映画の製作規模が大きくなればなるほど「回収しなければならない金額」も増えるため、必然的に色々な制約も多くなるからです(観客動員数を増やすために残酷なシーンをカットしろ!とか)。では、どうして『アイアムアヒーロー』はここまで過激なグロ描写が可能だったのでしょう?
●テレビ局が関わっていない
佐藤信介監督によると、本作は最初からテレビ局が入らない企画だったそうです。普通、テレビが映画製作に介入すると、将来的に自社の放送枠で流すことを考慮するため、なるべく過激な表現を避けようとします。そうなると、せっかくゾンビ映画を作っても放送コードに引っ掛からないような”当たり障りのない映像”に成らざるを得ません。
ところが、テレビ局が参加しない『アイアムアヒーロー』にはそんな規制など何も無く、まさにやりたい放題!こうして、日本映画史上類を見ない残酷描写が実現したわけです。佐藤信介監督も「どうせやるならテレビドラマでは絶対に不可能な、劇場版ならではの映像表現を極めたかった」と述べている通り、R15指定でもまだ甘いのでは?と思わせるぐらい、圧倒的なバイオレンスシーンに驚愕しました。
そして、テレビ局が介入しないことで得られるもう一つのメリットは、「日本の市場に特化しなくてもいい」ということ。テレビ局主導で映画を作ると、どうしても日本人の好みに合わせた内容になりがちなんですが、『アイアムアヒーロー』はどちらかと言うと「海外市場を意識した作り」になっています。
その結果、本作はジャンル映画の祭典として知られるシッチェス・カタロニア国際映画祭で観客賞&最優秀特殊効果賞を、ポルト国際映画祭で観客賞&オリエンタルエキスプレス特別賞(優れたアジア映画に贈られる賞)を受賞。さらにブリュッセル・ファンタスティック国際映画祭でコンペティション部門のグランプリにあたるゴールデンレイヴン賞を受賞し、「世界三大ファンタスティック映画祭」を全て制覇するという前人未到の快挙を成し遂げました。素晴らしい!
●日本映画はガラパゴス?
このように、『アイアムアヒーロー』は海外の観客にもその面白さが認められたわけですが、そもそもなぜ日本映画の多くが”日本人にしか受けない作り”になっているのかと言えば、日本の映画市場が大きすぎるからなんですよ。
日本の映画興行収入は世界的に見ても極めて巨大で、かつてはアメリカに次いで世界第2位の市場規模を誇っていました(今は中国に抜かれている)。そのため、無理に日本映画を海外に販売しなくても、国内でヒットすればそれだけで十分にビジネスとして成り立っていたのです。
韓国や香港、台湾やインドネシアなどの諸外国は市場が小さいため、自国だけでは投資した資金を回収できず、必然的に海外マーケットを考えながらの映画作りに成らざるを得ません。それに対して日本映画は、「とりあえず日本人の観客が喜ぶ映画を作っとけばOKでしょ!」みたいな感覚から抜け出せないどころか、そもそも「海外で認められる映画を作ろう」という発想すら無かったのですよ(詳しくはこちらの記事をどうぞ↓)。
こういう状況を見て、最近では海外の映画関係者たちから「日本の映画はレベルが下がっている!」などと批判されたりしているわけですが、『アイアムアヒーロー』はそんな”ガラパゴス状態”からの脱却を図り、見事に結果を出して見せたのです。
まあ、日本の映画人口も年々減少しているし、今後は国内だけに頼らず、広く海外へ向けて映画を作っていく方向にシフトした方がいいのかもしれませんね(この件に関しては、ジェット・リョーさんのコメントが非常に的確だったので貼っておきます↓)。
『アイアムアヒーロー』観て思ったのは、TVドラマの延長で国内の手堅い集客を見込める代わりに日本で暮らす人しか見向きしない内輪受けの映画を作るより、内容に当たり障りがあっても海外市場も狙えるような全力の映画を金かけて作る方がトータルの利益は出せるのでは、という事です。
— ジェット・リョー (@ikazombie) 2016年4月25日
●日本ならではのガンアクション
外国映画との違いをもう一つ挙げると、本作ではゾンビを倒すための武器として、刃物やボウガンなどに加えて”銃”が登場します。もちろん他の日本映画にも銃が出てくる作品はたくさんありますが、主に警察・ヤクザ・自衛隊員・犯罪者などで、一般市民が銃を持っているパターンはほとんどありません。言うまでもなく、日本では銃の所持が厳しく規制されているからです。
このため、アメリカ映画のように日常生活の延長線上で銃をバンバンぶっ放すような映画は作り辛いわけですが、本作はその弱みを逆手にとって、「主人公がなかなか銃を撃たない(撃てない)」という、日本ならではのガンアクションを編み出しているのですよ。
どういうことかと言うと、『アイアムアヒーロー』の主人公は一般市民ではあるものの、クレー射撃を趣味としていて散弾銃の所持許可を取得しています。なので、街中にゾンビが発生するという異常事態になれば、映画的には当然「撃たなきゃ!」って流れになるでしょう。
でも、鈴木英雄は真面目な性格が災いして法令を順守しようとする。つまり、銃を持っているのに撃たないんです。これは、アメリカ映画ではまずあり得ないシチュエーションで、観ているこっちは非常にストレスが溜まります。しかし、「早く撃てよ!」という不満が溜まるからこそ、耐えて耐えてついに主人公が銃でゾンビを倒した時に、とてつもないカタルシスが味わえるわけなんです。実に「日本人的なガンアクション」と言えるでしょう。
●どれぐらい忠実に実写化しているか?
さて、じゃあ実際に映画を観た感想はどうだったかといえば、まず主人公を演じた大泉洋さんが良かったです。最初、キャスティングが発表された時は「ちょっとイメージが違うんじゃないの?」と思いましたが、観てみると全く違和感なし。むしろ原作の鈴木英雄にそっくりで驚きました。顔の雰囲気とか全然似てないのに、これは不思議でしたねえ(なお、銃を構えるポーズが『レヴェナント』にそっくりw↓)。
一方、有村架純さんや長澤まさみさんは…まあ、そんなに似てないというか、似てなくても別に問題ないというか、可愛いからOK(笑)。あと、似ているという点では中田コロリ役の片桐仁さんが(さすがにモデルだけあって)そのまんまでした(笑)。
そして内容の方は、原作の8巻ぐらいまでを2時間に圧縮しているため、エピソードの省略や多少の説明不足感は否めないものの、概ね原作を踏襲していて、腹が立つほどの大きな変更や変なアレンジはなかったかなと。「あの原作を2時間でまとめるなら、大体こうなるだろう」という許容範囲だと思います。
世間では最近、「アニメや漫画の実写化」に対して批判的な意見が高まっているようですが(まあ僕も全面的に支持しているわけではありませんが)、本作に関しては”成功作”と見なしてもいいんじゃないか?と。むしろこれを成功と言わずして、何を成功と言うのか?と。そんな感じでした。
●原作について
ちなみに僕は原作漫画を読んでいて、特に第1巻の”あの雰囲気”が好きなんですよね(読んでる人は分かると思いますが)。最初は日常の描写が淡々と続くだけで、特に何の事件も起きないんです。だから、「不甲斐ない主人公が漫画家を目指して悩み苦しむ青春ドラマかな?」と思ってたんですよ。ところが、1巻のラストでいきなり…!という驚愕の展開。
あの衝撃を、実写版ではどう再現するんだろうと思ったら、実写でもやっぱり日常風景を淡々と描いてました(笑)。35歳を過ぎても漫画家として独り立ちできない主人公に、「私はいつまで待てばいいのよ!」とキレる彼女や、編集部に漫画を持ち込んで「キャラに魅力がないんだよねえ」と批判されヘコむ姿など、ゾンビ映画とは思えぬ”普通のドラマ”がひたすら続きます。
ところが!主人公が気付かないうちに、周りでは少しずつ変化が起きていたのですよ。最初に感じたのはちょっとした違和感。それが次第に拡大して、最後はとんでもないことに…。この「ジワジワと日常が崩壊していく恐怖」をしっかり描いている点が実に素晴らしかったですねえ。
●ちょっと気になった点
さて、ここまでは主に良かったところを書いてきましたが、逆に「ここはちょっとどうかな〜」と思う部分もあるわけでして。例えば、「比呂美がキャラクターとして十分に機能していない」とか。いや、分かるんですよ。原作ではあの後、比呂美の能力が開花し、ZQN状態の視点から世界を見たり、他のZQNと意思疎通を図ったり、色々重要な役割を担うようになるんです。
だから、そこまでの展開を見れば比呂美というキャラの重要性がわかるんですが、映画版ではその前に話が終わってるから、比呂美の存在意義が薄くなってるんですよ。あの辺は無理に原作通りにしなくても、実写版独自のアレンジを加えた方が良かったのでは?と思いましたね(比呂美のバックボーンもほとんど語られないため、感情移入し難いし)。
また、ラストの大殺戮シーンは迫力があって良かったんですけど、そもそも大量のゾンビが押し寄せて来る状況を見て「うわ〜、もうダメだあ!」と絶望的な心境になる理由は、「例え銃を持っていても解決できないほどの苦境に追い込まれているから」だと思うんですよ。
それなのに、結局は銃で一匹ずつ倒していくという”全く意外性の無い方法”で非常事態を切り抜けられるのであれば、「うわ〜、もうダメだあ!」となる必要がないでしょう。しかも、機械的にズドンズドンと銃をぶっ放すだけのアクションは映像的な変化にも乏しく、見ているうちに段々と危機感が薄れてくる始末(つーか、あれだけの数とスピードでゾンビに襲われたら絶対に助からないよw)。この辺にもうちょっと工夫が欲しかったなと感じました。
あと、前半の街中がパニックになるシーンで、ZQNの群れの中に金髪のゾンビがいて「メイプル超合金のカズレーザーに似てるなあ」と思ったら本人だったという(笑)。撮影は2014年だから、「M-1グランプリ」に出る前にゾンビ役として出演していたみたいですね。でも、さすがに金髪ゾンビって目立ちすぎでしょ(^_^;)
●色々あるけどやっぱりすごい映画だ!
この映画は、『アイアムアヒーロー』というタイトルでありながら、主人公は気が弱く臆病者で、ほとんど何の活躍もしていません。しかし、最後の最後で大切な人を守るために勇気を奮い起し、銃を手にしてゾンビの群れに立ち向かうのです。
そして、大量のゾンビをぶち殺した後、床に落ちていた帽子を拾って目深にかぶる、その姿のなんたる男らしさとカッコ良さ!この瞬間、彼は正真正銘のヒーローになったのですよ。つまり本作は、一人のダメ人間がヒーローへ生まれ変わるまでの過程を描いた成長ドラマであり、だからこそ、これだけグチャグチャでドロドロな映像にもかかわらず、ある種の”清々しさ”さえ感じさせるような爽快な映画になっているのです。
というわけで、良いところも悪いところも色々書いてきましたが、トータルすると『アイアムアヒーロー』は「アニメや漫画の実写化はつまらない」という世間の風潮など軽く吹き飛ばすような、”極めて質の高い実写化”と言えるでしょう。「漫画の実写化なんて、どーせまた原作レイプの駄作だろ?」などと考えている人にこそ観て欲しい作品です。
ただ一つ気を付けるべき点は、グロが苦手な人は要注意!ってこと。「人気俳優が出ているから観に行こうかな〜」などと軽いノリで観賞しようものなら、とんでもない目に遭いますよ!
今回、ゾンビの特殊メイクと造形を担当した藤原カクセイさんはゾンビに相当なこだわりを持っているらしく、好きなゾンビ映画を聞かれて「『サンゲリア』に決まってるじゃないか!」と即答するほどのゾンビ好きだそうです。なので、ゾンビの顔にウジ虫を這わすなど、今まで出来なかったリアルな表現をやれて大満足だったとか。
”汚い系ソンビ”の最高峰との誉れ高い傑作ゾンビ映画
そんな藤原カクセイさんが思う存分腕を振るっただけあって、手足が千切れ、頭部が吹き飛び、内臓が溢れ出るなど、ありとあらゆるグロ表現が炸裂しまくり、撮影現場はおびただしい数の惨殺死体で足の踏み場もない状態だったらしい。あまりにも残酷描写が激しすぎて、監督の判断でやむを得ずカットされたシーンもあったそうです。えええ?まさか、カットした状態であのレベルだったなんて…。じゃあ元の映像はどんだけスゲーんだよ?
などと驚き呆れ果てるばかりなんですけど、特にクライマックスシーンの凄まじさたるや、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図!総勢200人のエキストラがグチャグチャのゾンビに扮して猛然と襲いかかってくる場面と、その後に繰り広げられる空前絶後の人体破壊シーンは、トラウマになりそうなほどのインパクトでした。ブラッド・ピットの『ワールド・ウォーZ』にも大量のゾンビが出て来ましたが、はっきり言って「ゾンビの気持ち悪さ」では完全に本作の圧勝です。ゾンビ好きは必見!
小学館 (2016-04-12)
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