どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。
先週、テレビで庵野秀明総監督&樋口真嗣監督の『シン・ゴジラ』が放送されて、かなりの反響が巻き起こり、ツイッター等でもシン・ゴジラに関する話題で盛り上がりました。
当ブログでもいくつか関連記事を取り上げたところ、「シン・ゴジラ効果」によって割と多くの人に読んでいただけたようで、大変ありがたく思っております(^_^)
さて、さすがにもう『シン・ゴジラ』に関する新しいネタは無いんですけど、『機動戦士ガンダム』の生みの親として有名な富野由悠季監督も、公開当時に『シン・ゴジラ』を観ていたらしく、雑誌のインタビューで感想を語ってるんですよ。
果たして、あの富野監督は『シン・ゴジラ』をどのように評価しているのか?気になりますよねえ(笑)。というわけで本日は、「キャラクターランドVol.9」(徳間書店)に掲載された富野由悠季監督のロングインタビューから一部を抜粋してみますよ。
●『シン・ゴジラ』の意義について
富野:あの脚本でゴジラを撮ろうとは、ハリウッド版(ギャレス・エドワーズ監督)の後であれば、普通はならないでしょう。それを力技で押し切れた庵野監督が羨ましいし、あれで行ける、行こうと思った周囲の判断の根拠が知りたいとも思いました。
ただ、最初は普通に80点をあげられる映画だと思ったんですが、観終わったあとにネットをあまり見ない僕にも色々な情報が入ってきて、20点ぐらい点数が下がりました。自衛隊も閣議も、用語や組織などが全て現実に近く、庵野監督の想像で出来上がっているものではないと知って、多少ガッカリしたからです。
フィクションではなくドキュメンタリーなんだ、という部分では僕にとってはマイナスになります。しかし、怪獣映画という文脈を離れて映画単体として考えると、とても意義のある作品だと思いました。最近のハリウッド大作は、マーベル・スタジオの一連の作品がいい例だけど、なんでも対決に持って行ってしまう。
そういう幼稚な発想に対して、「こういう作り方もあるんだ」と庵野監督が意義を唱えた。それは非常に素晴らしいことだと思う。でもそれが、イマジネーションの力だけではなかったのがマイナス要因になったんです。
●『シン・ゴジラ』の画について
富野:キャスティングは見事でした。他の実写映画の監督は、これを見倣って欲しいと思いましたね。また、キャスティングだけでなく、人物の撮影も良かったです。女性防衛大臣(余貴美子)のアップがバンと出てくる瞬間、「おおっ!」と思うでしょ?さらに、人物のアップがどんどん増えていく。ああいうシーンでカメラを引いてしまうと嘘臭く見えるんだけど、そこが良く分かっているのには驚きました。
ただ難点を言えば、脇役に比べて主演(長谷川博己)の造形が弱い。竹野内豊と並ぶと、どうしても目がそっちにいってしまう。主役は主役って顔をしてくれないと困るんですよね。でも、もっと基本的なところで不満があるんです。
ゴジラがずーっと、どの形態の時にも瞬きをさせてないでしょ?特に第二形態なんかは、瞬きをしないことで、出来の悪いぬいぐるみにしか見えないんです。アニメでは、キャラクターを生きているって思わせるために「目パチ」を意識的にやらせるのに、なぜアニメ出身の監督がゴジラにやらせないんだ!
機械的な技術と思われがちだけど、それは違います。たとえばお姉さんが振り返った時に、人はまず目を見る。オッパイを見るのはそのあと!目に表情がなければ魅力も感じないし、潤んでいなければ生きているとも思えません。この映画は、全体的に水気が足りないのです。
時代を客観的に写しているドキュメンタリーではあるけれど、艶っぽさがなくてもいいというのは理屈です。石原さとみをキャスティングするなら、彼女の特徴をなぜ活かさない!?小型機での密談が終わったシーンで、飛行機から石原さとみが降りてきて、普段通りの駐機場を俯瞰して、それから唇をなめるカットを入れれば、羽田は潰されていないという説明にもなるし、石原さとみの魅力も生きる。
でもキズってそれくらいです。設定が上手く出来ているだけに、うかつに端折っちゃったんでしょう。80点はやれないけど、一般的にはスルー出来るレベルの問題しかないと思っています。水気が足りない分、パサパサしている方は上手い。あのPCを持ち歩いているお姉さん(尾頭ヒロミ:市川実日子)の姿とか、カッコ良くて息をのみました。
●『シン・ゴジラ』の続編について
富野:ビジネス的には、公開2週目には続編の話が具体化したでしょうね。ただ、この話の続編はおいそれとは作れないですよ。もし庵野監督が作らないんだとしたら、あのラストカットを引き受けて続編を作れる人はいるんだろうか?ということです。ビジネスの要請だけで作ると、これまでのゴジラの歴史の繰り返しになります。あれがそのまま目覚めて、メカゴジラと戦うしかないでしょう。そういうマーベルの陥っているのと同じ轍を踏まず、この続編をどう作るかはこの後に続く若いクリエイターへの宿題、命題になっていると思いました。